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背後から、突風のように肉薄《にくはく》して来る殺気を感じた。
平蔵は振り向かず、まっすぐに駈けた。ここで振り向いたなら、かならず斬られる。振り向くという一瞬の動作をしたために敵につけこまれるのだ。
駈けながら、提灯《ちようちん》を捨てて大刀をぬきはらうや、
「む!!」
身を沈めざま、背後に迫る敵を、平蔵がなぎはらった。
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[#地付き]「暗剣白梅香《あんけんはくばいこう》」
ぞくぞくとする場面である。瞬間、平蔵の頭の中には「振り向いたときの映像」と「まっすぐに駈けたときの映像」が浮かんだのであろう。それにしても直観的かつ具体的な決断力を見せている。
とっさのときに必要なのは全体への瞬間的解釈とそれへの対応、つまり瞬発力である。
ところが、この瞬発力を備えている人間にはめったにお目にかかれない。それどころか、のっぴきならぬ自己が露見してうろたえてしまう人が多いようだ。おそらくこうした人は日々、決断を回避してばかりいるのであろう。だから、いざというときに頭と身体がいうことをきいてくれない。
決断というと、多くの人はそれが正しいか否かで頭を悩ませてしまう。できるだけ情報をあつめ、時間をかけて正しい決断をしようとするのだ。だがこのとき、大事なことを忘れてしまっている。それは決断の速さだ(外国の要人たちから「日本人は判断能力にすぐれているが、決断するのがめっぽう遅い」と揶揄《やゆ》されていることを思いだしてほしい)。
そもそも決断は、速いからこそ決断なのだ。遅い決断は決断とはいえず、たとえばそれが集団の意思決定であった場合、待つ者を息苦しくさせるどころか、多くの人のやる気を殺《そ》いでしまうという大きなハンディさえ背負いこむことになる。
さらにいえば、決断の対象となるものは、そもそもどちらを選ぼうが「どちらも正しい」のである。この段階で正解などないのだ。重要なのは、決断したものを正解にするように努力することなのである。つまり、「どちらも正しい」からこそ、速い決断を要求されているのだ。極論をいってしまえば、大切なのは「適切な判断」ではなく、「迅速な決断」なのである。
だがじっさいのところ、「忙しい」のを理由に、なかなか意思決定をしない人がいる。彼らの口癖は「忙しくてそこまで手がまわらなかった」である。そもそも「決断が遅いから忙しい」ということにまったく気づいていないのではないか。
なかでも最悪なのは、問題を大量に抱え込んで、しかもいつまでも決断しない人間だ。こういう人は何でもかんでも独占したがる欲張りな人間に多く、期待したところで裏切られることのほうが多いであろう。
そうした人間にならないためには、「決断をした回数が自分自身をつくりあげる」との自覚をもち、「決断は結果ではなく、過渡期にすぎない」と悠然と構えることだ。
一、あわてずに急ぐ。
二、未来の映像を頭の中に描いてみる。
三、自分の強みを考慮に入れる。
四、優先順位をつける。
以上が、決断をする際の、平蔵の心がけである。