日语童话故事 日语笑话 日语文章阅读 日语新闻 300篇精选中日文对照阅读 日语励志名言 日本作家简介 三行情书 緋色の研究(血字的研究) 四つの署名(四签名) バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬) 恐怖の谷(恐怖谷) シャーロック・ホームズの冒険(冒险史) シャーロック・ホームズの回想(回忆录) ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记) 鴨川食堂(鸭川食堂) ABC殺人事件(ABC谋杀案) 三体 失われた世界(失落的世界) 日语精彩阅读 日文函电实例 精彩日文晨读 日语阅读短文 日本名家名篇 日剧台词脚本 《论语》中日对照详解 中日对照阅读 日文古典名著 名作のあらすじ 商务日语写作模版 日本民间故事 日语误用例解 日语文章书写要点 日本中小学生作文集 中国百科(日语版) 面接官によく聞かれる33の質問 日语随笔 天声人语 宮沢賢治童話集 日语随笔集 日本語常用文例 日语泛读资料 美しい言葉 日本の昔話 日语作文范文 从日本中小学课本学日文 世界童话寓言日文版 一个日本人的趣味旅行 《孟子》中日对照 魯迅作品集(日本語) 世界の昔話 初级作文 生活场境日语 時候の挨拶 グリム童話 成語故事 日语现代诗 お手紙文例集 川柳 小川未明童話集 ハリー・ポッター 新古今和歌集 ラヴレター 情书 風が強く吹いている强风吹拂
返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

ミッドウェー戦記01

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:プロローグ 一九四二年(昭和十七年)六月三日(アメリカ時間六月二日、以下日本時間を使用する)、ジョン・フォードは、北緯二
(单词翻译:双击或拖选)
 プロローグ
 
 一九四二年(昭和十七年)六月三日(アメリカ時間六月二日、以下日本時間を使用する)、ジョン・フォードは、北緯二十八度のミッドウェーにいた。
 ジョン・フォードは、防空壕の入り口に据《す》えつけた三十五ミリカメラの、テストに没頭していた。
「ねえ、ボス……」
 と、擬装用のヤシの葉を防空壕の屋根に並べながら、助手のウイリーが言った。ミッドウェーは、不毛の島なので、わざわざ、ハワイから運んで来たものであった。
「こんなに、準備して、JAPのやつは、本当に、やって来るんですかねえ」
「うむ、来るさ」
 と、フォードは答えた。
「少なくとも四隻、多ければ六隻の航空母艦と、数隻の戦艦を含む百二十隻の艦隊が、この島をめざしているんだ」
「空母……。するてえと、空襲ですね」
 ウイリーは、空を仰いだ。
 断雲があったが、陽《ひ》ざしは強かった。
「ねえ、ボス……。その空襲に来る、JAPの飛行機を撮《と》ろうてんですかい」
「違う……。空中戦闘を撮るんだ。アメリカの戦闘機が、日本の爆撃機を墜《お》とすところを撮るんだ」
「だったら、いっそのこと、アメリカの爆撃機が、日本の空母を沈めるところを撮ったらどうです? その方が、ぐっと景気がいいや……」
「うむ……」
 フォードは、ぐっとつまった後、
「爆撃機に乗せてくれと頼んだんだが、二座だから、カメラマンは無理だというんだ。それで、この島の雷撃機隊長ヘンダーソン少佐に頼んで、八ミリを回してもらうことにした。リックという偵察員がやってくれるはずだ。フォートレス(B17)爆撃機の偵察員にも頼んであるんだ」
「ボスを乗せてくれればいいのにな、折角、海軍を志願したんだからな」
「搭乗員以外はだめだとさ。海軍は、映画の宣伝価値を知らん。戦闘の厳しさを国民に示さなければ、税金も国債も集まらんぞ」
 そう語っている所へ、海軍のミッドウェー基地指揮官、シリル・シマード中佐が視察に現われた。ジョン・フォードは、白いヘルメットのヘリに二本指をあてて、敬礼した。彼は志願による海軍大尉であり、軍人らしくふるまうことに充足を感じていた。
「リューティナント・フォード……」
 と、シマード中佐は呼びかけた。
「その半ズボンは長ズボンに変えた方がよい。真珠湾の経験によると、長袖、長ズボンの方が、空襲の場合、被害が少ないことが立証されているんだ。それに……」
 と、一息ついた後、シマードは言った。
「君をここで殺すわけにはいかん。アメリカの映画ファンから恨まれるからな」
「まったくですよ、中佐。こんな小さな島なんか、どうだっていい、うちのボスを死なせるわけにゃいきませんからねえ」
 と、ウイリーが言った。
「馬鹿なことを言うな!」
 と中佐が一喝した。
「この島をとられてみろ! 日本兵が上がって来て、我々はみな、これだ」
 彼は、のどぶえをカットするしぐさを見せて、
「ジョン・フォードは、ヒロヒトの前で、見世物にされるぞ」
 と言った。
「ところで、中佐……」
 と、フォードは尋ねた。
「JAPの空母は、本当にこの島に来るんでしょうね」
「うむ、パールハーバーの司令部は、数日前、ミッドウェー通信部に、『もっとパイナップルを送れ』と、平文で打電させた。すると、二日後、日本の軍令部では、暗号で、『AFには新鮮なフルーツが不足している』という情報を、西部太平洋で行動中の、ヤマモトに打電した。AFというのは、ミッドウェーのことだ。そして、敵は、Dデイに、この島に上陸するつもりだ」
「Dデイというのは、いつですか?」
「さあ、六月初めだろう。そこまではわからん。もっとも、ヤマモトも、わが軍のパイナップルが、爆弾を意味することには、気づいていまいよ」
 シマード中佐は、そう言い捨てると、ジープで立ち去った。
 映画監督、ジョン・フォードは、このとき、四十七歳であった。
 アイルランド移民の子として、アメリカ東部で生まれ、本名は、シーン・オフィニーと言った。一九二四年、処女作「アイアン・ホース」を二十九歳で発表。一九三五年、アイルランド独立運動を描いた「男の敵」で、監督としての地位を確立した。
 そして、一九三九年には、同じアイルランド系の大男、ジョン・ウェインを使って、名作「駅馬車」を作り出し、一躍、スターダムにのしあがった。
 その後「怒りの葡萄」「タバコ・ロード」も好評で、太平洋戦争の始まった四一年には、「わが谷は緑なりき」で、アカデミー作品賞と、監督賞を受けた。
 しかし、戦争が始まると、彼はじっとしておれなくなった。真珠湾空襲のとき、なぜハワイにいなかったのか、と嘆いた。彼は、硝煙のなかに生きる男だった。実弾のとんで来るなかで、カメラを回してみたい、というのが、このアイルランド男児の願望であった。ついに、海軍に志願し、大尉として情報記録班に採用された。ハワイの艦隊司令部は、暗号解読により、日本軍のミッドウェー攻撃を察知した。そして、すぐれた戦争映画を作らせるため、ジョン・フォードの撮影隊を派遣した。フォードにとっては、一つのチャンスであったが、アメリカ海軍が、フォードを派遣する余裕があったということは、日本の機動部隊にとって、暗い運命を予想させるものと言えよう。
 フォードは喜んだが、見送りのとき残念がったアイルランドの男が二人いた。一人は「男の敵」に主演した、ビクター・マクラグレンで、いま一人は、「駅馬車」のスター、ジョン・ウェインであった。
「監督! 今度は、あっしらの役はないんですかい?」
 と、三十四歳のジョン・ウェインが訊いた。
「陸軍でも志願するんだな。砲兵隊で、背の高い男を探しているそうだ」
 と、フォードは微笑しながら答えた。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%