六月三日朝機動部隊は、針路七十度(東北東)で、ミッドウェーの北方に向けて航行していた。攻撃予定によれば、三日の朝十時頃、ミッドウェーに向けて変針し、島に接近して、距離二百マイル(三百七十キロ)のところで、陸上攻撃隊を発進させる必要があった。
赤城の艦橋では、第一航空艦隊参謀長の草鹿《くさか》竜之介少将が、しきりに迷っていた。ミッドウェー島を攻略するには、予定通り、六月五日の早朝、午前一時半に、攻撃隊を発進させなければならない。しかし、内地を出て以来、杳《よう》として消息の知れないのは、敵の空母部隊である。——わが機動部隊は、島の攻略と、空母の決戦という、両様の任務を背負わされている——草鹿は、軽く眉をしかめた。それが出来ない機動部隊ではなかった。しかし、さしあたっての問題は、濃霧で、加賀、飛竜、蒼竜《そうりゆう》の空母をはじめ、一艦も他の部隊が見えぬことであった。予定通り、ミッドウェーに変針するならば、各艦にその旨を知らせないと、衝突その他の事故を起こしかねない。
草鹿は、艦橋右舷の、通称、猿の腰掛けと呼ばれる小さな椅子に腰をかけている、司令長官、南雲《なぐも》忠一の背中を見ていた。——長官は何も言わない。一体、変針をどう考えているのだろうか——腕時計を見ると、午前十時を回っている。真珠湾のときもそうであったが、肝心のときになると、長官は黙ってしまう。元来が水雷屋で、航空にはしろうとなので、自信がないのであろう。無理もないことだ。
草鹿は、あきらめて、通信参謀の小野少佐に訊いた。
「敵空母の動きは、何かわからんかね」
「はあ、敵信班も、懸命になって、キャッチしようとしていますが、まだ何も……」
一体敵は、島の近くに来ているのか、それとも、南太平洋のあたりで、珊瑚海で戦った翔鶴《しようかく》、瑞鶴《ずいかく》を探しもとめているのか……。
草鹿は思い切って、南雲の背中に声をかけた。
「長官! 予定通り変針するには、この濃霧では危険ですから、無電で、各隊に知らせる必要があると、思われますが……」
「電波を出すのかね」
長官は、肩をゆすったきりだった。
そのとき、通信参謀が意見を述べた。
「長波の微勢力電波ならば、遠距離にいる敵にまでは届かないと思いますが……」
「長官、お聞きの通りですが……」
「よかろ」
厚い肩が動いた。草鹿の指令が出た。
「各隊に指令、一二〇〇《ヒトフタマルマル》(午後零時)針路一〇〇度、一三一五(午後一時十五分)針路一三五」
これは、一ぺんに七十度から、百三十五度まで、六十五度も変針しては、三十隻から成る機動部隊が混乱するのを恐れたのである。
濃霧のなかで、無事、変針が終わった午後二時すぎから、霧が晴れて来た。
「何だ。晴れるなら、晴れると言ってくれれば、危い無電など、打たずにすんだのに……」
草鹿は、姿を現わした飛竜や加賀の姿を見ながら、そうボヤいた。幸いにこの電波は、米機動部隊にはキャッチされなかった。しかし、三百マイル後方にいた大和《やまと》の無電室には、明確にキャッチされた。
山本五十六《いそろく》は、二十畳敷ほどもある、大和の艦橋で、黙然と立っていた。
「長官! 赤城が電波を出しました。機動部隊は、一二〇〇MI(ミッドウェー)に向けて変針します」
先任参謀の黒島亀人《かめと》大佐の声には、切迫したものが感じとられた。作戦行動中は、無線封止という厳命があったのである。機動部隊はミルク壺のような濃霧のなかに落ちこんでいるが、大和を先頭とする主力部隊の周辺は晴れている。赤城から大和への気象報告というものはない。それも禁じられているのである。
「困ったものですなあ。変針は予定の行動なのに、電波を出さなければ、統一行動が出来ない。機動部隊はたるんでいるんじゃないか」
連合艦隊参謀長の、宇垣纒《まとめ》少将が、きびしい声で言った。宇垣は海軍兵学校四十期生で八番で卒業した。一番は後に海軍省軍務局長になった岡新《あらた》で、二番は、機動部隊の第二航空戦隊司令官として、南雲のあとに続いている山口多聞《たもん》である。
昭和十五年秋、真珠湾攻撃の計画を山本長官から聞かされたとき、宇垣の頭に、まず浮かんだのは、山口多聞である。——多聞丸なら出来る——と宇垣は考えた。
山口は、支那事変中、第一連合航空隊を指揮して漢口に進出し、戦果をあげ、搭乗員の信頼が厚い。しかし、海軍には、江田島卒業時のハンモックナンバーというものがあり、また卒業年次による序列というものがある。三十二期生の山本五十六の下で、第一航空艦隊司令長官に任ぜられるならば、まず、三十六期の原二四三《にしぞう》か、三十七期の小沢治三郎であろう。二人とも航空のエキスパートである。しかし、ふたをあけてみると、1AF(第一航空艦隊)の長官は、三十六期の南雲であった。——水雷屋か——宇垣は複雑な表情になった。宇垣は岡山県出身で、陸軍大将宇垣一成《かずしげ》の同族につながる。南雲は山形県米沢で、山下源太郎大将を頂点とする“米沢の海軍”の代表である。宇垣は、南雲とは親交がなかった。対抗意識のようなものもあった。宇垣は砲術科で、鉄砲屋とよばれ、大艦巨砲主義の信奉者であった。飛行機のことはわからない。しかし、南雲で勤まるなら、おれにでも、という気持があった。なぜ、山口ではいけないのか。なるほど、機動部隊をひきいてゆくということになれば、各戦隊の司令官よりも先任者でなければいけない。現に、先ほどまで海軍兵学校の教頭を勤めていて、いま八戦隊司令官として、重巡利根《とね》に座乗して、南雲の横を走っている阿部弘毅少将(筆者が兵学校生徒時代の教頭)は、三十九期で、山口より一期先輩である。しかし、宇垣の肚のなかには、——三十九期が何だ——という気持があった。——山口に航空部隊を指揮させ、その他の部隊は、山本長官が自ら大和で指揮をとる、ということは、参謀長の自分が、実際上の戦闘の采配をふるうのだ——という気持が宇垣にはあった。
宇垣の四十期は、きわめて意気壮《さかん》なクラスで、山口多聞のほか、大西滝治郎(終戦時、軍令部次長、八月十六日割腹自決)、福留《ふくどめ》繁(連合艦隊参謀長、終戦時、第二航空艦隊司令長官)、寺岡謹平(終戦時、第三航空艦隊司令長官)などを輩出し、生徒時代から活気があった。
真珠湾攻撃のとき、宇垣は、南雲が、空中攻撃隊の第一撃(第一波、第二波)に成功したのにもかかわらず、第二撃で戦果を拡大しないことに不満であった。事前の攻撃計画で、「第一撃が終われば、避退すべし」と定められてあったにもかかわらず、である。
宇垣の大著「戦藻録《せんそうろく》」には、十二月九日の項に、
「僅に三十機を損耗したる程度に於ては、戦果の拡大は最も重要なることなり。(中略)但《ただし》自分が指揮官たりせば、此際に於て、更に部下を鞭撻して、真珠湾を壊滅するまでやる決心なり」
と、感想が記してある。宇垣は、その最後が示すとおり、積極的で、不屈の意志を具《そな》えた提督であったが、傲岸な点があったのは、部下の参謀たちも認めるところである。
宇垣のボヤキを耳にした山本は、
「見えんのじゃないか」
と、言った。
データが少ないので、このへんの気象は予備知識が多くない。こちらは晴れているが、向こうは雲が多いのかも知れない。
山本は、宇垣とは違って、南雲にはある種の同情を感じていた。真珠湾攻撃を立案したとき、彼は信頼する米内《よない》光政を訪れて、計画を話した。米内は重苦しい調子で言った。
「その方法しかない、ということはわかるが、誰が指揮官で行くかね」
「私がゆきます!」
「君が!?……。ではGF(連合艦隊)はどうするかね?」
「閣下に指揮をとっていただきます」
「なに、わしが……」
驚いたように眼をしばたたいた後、米内は言った。
「オール格下げ、というわけだな。しかし、君、そんな必要はあるまい。日本海海戦の頃とは、通信の普及度が違う。広島湾にいても指揮はとれる。ハワイの指揮官は、だれか行き足《ヽヽヽ》(前進力)のある男を出したまえ。それよりも、奇襲が、だまし討ちにならんように、国際法を勉強しておいたらどうだ」
それで会見は終わった。
昭和十六年の春、極秘裡に機動部隊を編成するにあたって、参謀長に内定した草鹿竜之介が、長門《ながと》にいる山本のところにやって来た。
「長官! 1AFのチーフには、飛行機の大エキスパートか、それでなければ、全然、飛行機のわからん人をいただきたいのですが……」
「飛行機のわからん男の方がいいかね」
「はあ、なまじっか、中途半端な知識で口を出されると、現場はやりにくいのです」
「それは、おれのことじゃないだろうな」
山本は冗談を言った。
「長官、まじめに話を聞いて下さい」
「うむ……」
山本の航空に関する経歴は、海軍大佐以降である。霞ヶ浦航空隊の教頭を勤め、赤城の艦長を経て、航空本部長を勤めている。
草鹿は、大正十五年、海軍少佐で海軍大学校卒業後、霞ヶ浦航空隊勤務となり、以後、軍令部航空参謀、空母鳳翔《ほうしよう》、同赤城艦長を歴任。昭和四年にはドイツ飛行船ツェッペリンに同乗して太平洋を横断した経験を持っている。
長門を辞去すると、草鹿は東京にとんだ。海軍省人事局第一課に、同期の川口義正がいた。草鹿は、山口多聞や宇垣より一期下の四十一期である。草鹿は、川口にも同様のことを頼みこんだ。温厚な川口は了承した。
そして、実現したのが、南雲司令長官である。実直な南雲は、大任に感激したが、真珠湾攻撃の計画を聞くと、山本のところに赴き、反対の意を表明した。理由は、長距離を隠密裡に航行することが困難である。真珠湾に敵がいるかどうかわからない、というふうなことであったが、結局、山本に押し切られた。草鹿は、南雲に同調するような顔でひかえていた。肚は決まっているつもりであったが、南雲にそう言われると、心配になって、山本にダメ押しをしたりした。周囲の幕僚は、草鹿も反対なのか、と思ったのである。
大和の艦橋で、山本はそのような事情を、胸のなかで反芻《はんすう》していた。——南雲はやりにくいだろう、しかし、黙って幕僚に任すことの出来る男だ。あいつの取柄はそこだ。おれも南雲に任せた以上は、口出しは慎むべきだろう——山本はそう考えて、腕を組み、南海の洋上に浮遊する断雲をみつめていた。