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ミッドウェー戦記06

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:五 六月三日夜から、機動部隊は深い霧のなかに閉された。赤城からは、飛竜、加賀、蒼竜の姿が見えず、発光信号を用いても、前方
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 五
 
 六月三日夜から、機動部隊は深い霧のなかに閉された。赤城からは、飛竜、加賀、蒼竜の姿が見えず、発光信号を用いても、前方を行く、利根、筑摩、榛名《はるな》などとの連絡がとれなかった。
 四日早朝、赤城の艦橋では議論が戦わされた。
 このままでは、攻撃予定日の五日をあすにひかえて、部隊の掌握が出来ない、と主張するのが、参謀長の草鹿少将である。通信参謀の小野少佐や、航空乙参謀の吉岡少佐は、今、電波を出すと、敵に位置を知らせるから危い、という慎重論である。
 南雲長官は、腕を組んだまま、赤城の艦首をなめまわす濃霧をみつめている。
 たまりかねた小野通信参謀は、下へ降りて、源田中佐の部屋を叩いた。航空甲参謀で、源田サーカスと異名をとった源田は、風邪をひいて発熱があり、航空作戦に備えて、自室で静養していたのである。
 通信参謀の連絡を聞くと、源田はあわてて上着をつけ、
「今、電波を出しちゃいかん。決戦はあすだ。絶対に敵にこちらの位置を知らせてはいかん」
 と叫びながら、階段を駆け登った。
 しかし、艦橋へ着くと、無電はすでに発信された後であった。草鹿参謀長が起案し、南雲長官は、「よかろ」と言ったきりであった。——惜しいことをした。この霧を利用して接近すれば、隠密のうちに奇襲を加えることも出来たのに……。源田は唇を噛み、発熱で、頭の痛みがぶり返すのを覚えた。
 しばらくすると霧が晴れ、全部隊が視野のなかに捉えられるようになった。落胆と不安で力を失った源田は、力なくラッタルを降りて行った。
 ミッドウェーから発進したアメリカのPB2Y哨戒艇が、ミッドウェーの西方千三百キロの地点で、日本の輸送船と巡洋艦を発見したのは、この日、六月四日の午前六時二十五分である。日本軍のOB攻略部隊)である。発見したジャック・リード少尉は、まず、「輸送船および巡洋艦二十隻以上、東に向かう」と打電し、続いて、ミッドウェー基地からの要請に応じて、「戦艦および巡洋艦六隻、単縦陣で進行中」「輸送船は二十一隻」と打電した。
 発見されたのは、近藤信竹中将がひきいる第二艦隊を中心とするOBの一部で、OBは、戦艦金剛、比叡《ひえい》の二隻、重巡八隻、駆逐艦十七隻、輸送船二十一隻を主体としていた。このうち二十七隻が発見されたわけである。
 二水戦の旗艦神通《じんつう》では、後にソロモンの海戦で“タナカ・ザ・テナシアス(恐るべし)”とあだ名された田中頼三《らいぞう》司令官がこれを認めていた。神通を初め、駆逐艦雪風、初風などが発砲したが、高度が高く当たらなかった。
 ミッドウェー基地では、直ちにB17部隊を発進させて、これを攻撃させたが、大きな戦果は上がらなかった。
 ミッドウェー基地を中継として、この情報が、二千キロ北東にあるフレッチャーの無電室にキャッチされたのは、同日、六月四日の午前十一時であった。
「司令官! 敵発見です。突っ込みましょう」
 バックマスター艦長は、はやっていた。彼は、エンタープライズの三十三ノットにくらべて、こちらが二十七ノットしか出ないことを、痛いくらい心得ていた。立ち遅れるのを彼は恐れていた。
「待て!」
 とフレッチャーは言った。
「ワシントンの情報では、ナグモは北西から接近中だという。今のは空母部隊ではない。ナグモが来るまでは、こちらの手を見せるべきではない」
 フレッチャーは、「待つのも戦いのうちだ」と言った提督のことばを思い出していた。ネルソンであったか、それとも、トーゴーであったかは、思い出せなかった。
 同じ頃、ミッドウェーの北東にあって、ゆっくり西進する空母ホーネットの艦橋で、艦長のマーク・ミッチャー大佐は、緊張と幻滅の入り混った感じで、蒼黒い海のうねりを見つめていた。彼は、近く少将に進級する予定であった。(後に、レイテ沖で小沢艦隊を撃滅し、日本近海を荒し回った第五十八機動部隊の司令官として、彼の名は“悪名”が高い。「汚く戦え」というのが彼の口癖であった。バックマスターにとって、戦闘が“いじましいつねり合い”ならば、マーク・ミッチャーにとって、戦いは“汚い叩き合い”であった。汚い方が勝つのである)
 彼はカーキの戦闘服をつけ、後に有名になった、ツバの長い戦闘帽をあみだにかむり、艦橋後部の発着指揮所から飛行甲板を眺めおろしていた。第八雷撃機隊長のジョン・ウォルドロン少佐が、部下のジョージ・ゲイ少尉をつかまえて、盛んに論議をしていた。彼らはアメリカ東岸、ポーツマス軍港に近い、ノーフォーク航空隊で、雷撃訓練を終わって、ホーネットに乗り組んで来たのであるが、実戦は初めてであった。もっとも、アメリカの空母搭乗員で、実際に魚雷を放った経験のあるのは、珊瑚海で戦ったレキシントン、ヨークタウンの搭乗員のほかにはいなかったのである。
 ウォルドロンの姿を見おろしながら、マーク・ミッチャーは二カ月前、このあたりを航行したときのことを考えていた。ジミー・ドーリットル中佐の指揮した十六機のノースアメリカンB25双発爆撃機が、日本本土を空襲したのは、四月十七日(米国時間)であった。双発爆撃機の発艦について、サンフランシスコに近いオークランドの基地を出港するとき、ミッチャーは、ハルゼー提督及びドーリットルと、真剣に協議した。その結果、二十トンの爆撃機が、五百四十キロの全速を出すことが出来るならば、十五メートルの向かい風で三十ノットで航行する空母の甲板から発艦することは可能である、という結論に達したのである。実験は一回も行われなかった。発艦出来るという可能性は計算されたが、着艦出来るという成算はなかった。陸軍機であるB25の操縦員に着艦訓練を施している余裕はなかった。攻撃は成功し、一部の犠牲者を除いて、B25の搭乗員は、中国に着陸した。(ミッチャーは、この攻撃が、日本の大本営に、最終的にミッドウェー攻撃を決意させた、ということを知らなかった)
 ——あのときも初めての体験であった。今度の雷撃も初めての体験であるが……。ミッチャーは、神に祈りかけて、止めた。普段の言動からして、突然、神が彼を援助してくれるとは考えられなかったからである。
 飛行甲板では、ウォルドロン少佐が、若いジョージ・ゲイ少尉に、雷撃の角度について説明していた。ウォルドロンは、ベテランの操縦員で、米海軍でも、獰猛《どうもう》をもって鳴る隊長であった。彼はテキサス生まれで、先祖にはアパッチの血がまじっており、彼はそれを自慢していた。月夜になると血が騒ぐと言い、彼はそれを、自分の先祖が狼の乳を吸って育ったためだと主張していた。
 彼は腰のバンドに短い山刀をさし、拳銃は肩からのベルトで吊していた。眼の色は青かったが、いつも険しい眼付をしていた。
「おれは欠点の多い男だ。そのなかの一つは、カンに頼りすぎることだ。これは、おれの先祖が数学を習わなかったためだ」
 彼はいつもそう言って自慢していた。
 ウォルドロンは、自分たちがそれに乗って戦う雷撃機、ダグラス・TBDデバステーターが、地上で最も性能の悪い戦闘用の飛行機であることを知っていた。速力は最高で、百八十ノット(三百三十キロ)そこそこで、操縦性は鈍重であり、運んでゆく魚雷は、高速の空母をうしろから追い駆けた場合、追いつけるかどうか、自信が持てないほど遅かった。ただ一つ、彼が頼みにしているのは、後部電信席に新しく装備された二連装の新式機銃であった。ホーネットがパールハーバーに入港したとき、軍需部に日参して割り当ててもらったものであった。ところが、新しい二連装機銃は、旧型のデバステーター雷撃機の機銃台座にうまく合わぬため、兵器員の徹夜の努力にもかかわらず、十五機の雷撃機電信員の大部分は、機銃を自分の手で持ち上げて、腰だめで、射撃しなければならぬ実状にあった。
 ウォルドロンは、ゲイ少尉に向かって言った。
「ゼロ(零戦)は、手持ちの機銃でやっつけろ。その方が回し易い。魚雷を発射したら、JAPの空母のデッキをのりこすんだ。帰りの燃料がなくなったら、燃料タンクのなかにツバを吐いて、自分の手でペラを回せ」
 ジョージ・ゲイは、微笑して言った。
「私にも、アパッチのカンとやらいうものがさずかってもらいたいものですな」
 
 一方、飛竜の士官室では、橋本たちのクラス会が続いていた。
「おい、橋本、貴様や重松はいいな。何しろ、ハワイ以来、実戦の経験があるんだからな」
 近藤が二人を見ながら、うらやましそうに言った。
「なに、おれなんか、ベテランの操縦員のうしろに乗っかってゆくだけさ」
 橋本は、少しはにかみながら、そういうと、笑った。
 橋本は背がすらりと高く、鶴のようにほっそりしていた。色が白く眼の円《つぶ》らな顔は、年よりも一層若く見え、白い歯を見せて大きく笑うと、少年の面影があった。彼は明早朝のミッドウェー島第一次攻撃に参加することになっていた。
 彼は、偵察員でハワイ、印度洋の実戦に参加した経験があり、真珠湾攻撃のときは、飛竜の第二中隊長として、淵田美津雄中佐にひきいられ、カリフォルニヤ型戦艦に水平爆撃を行っていた。
 橋本は、明日の陸上攻撃には、新しく着任した友永丈市大尉(海兵五十九期)の後席に乗ることになっていた。友永は太平洋は初めてであったが、支那事変では長い実戦経験を持っていた。
 橋本は艦攻分隊士と同時に、飛行士をも兼務していたので、明朝の搭乗割りや、航空図や、攻撃隊の編成や、攻撃の要領などを研究し、必要な航空図や糧食などを準備し終わると、飛行甲板の搭乗員待機室から、士官室に降りたのだった。
 近藤と重松は、共に小柄だが、タイプはまるで違っていた。
 近藤は頬骨が高く、眼がやや凹《くぼ》み、鬚が濃く、彫りの深い顔をしており、無口だった。(筆者の霞ヶ浦時代の受け持ち教官は、近藤大尉と同期の岩下豊大尉であったが、この人は気が短く、怒ると操縦《かん》をぐるぐる振り回す癖があった。近藤大尉は温厚で、怒った顔を見せたことがなかった)近藤のあだ名は、和製クーパーであった。
 重松は丸顔で色が白かった。笑うとえくぼが出た。朗らかで、人を笑わせることがうまかった。白いあんぱんのような感じであり、あだ名は“おしげ”であった。舞妓のように、女性的なところがあった。
 重松は、ハワイ以来の乗組で、運動神経のよい彼は、すでに十機以上のグラマンF4Fや、カーチスホークP40、ホーカーハリケーンなどを墜としていた。
 近藤は霞ヶ浦の教官から転任し、実戦は今度が初めてなので、少し不安らしく、クラスメートに質問していた。
 近藤はラムネを呑みながら、重松に訊いた。
「おい、敵さんの機銃弾がアイスキャンデーみたいに見えるっていうが、そんなものかい?」
「うむ、よく似ているな。曳痕弾や、焼夷弾が、黄になったり、赤になったり、青みがかったり、花火みたいで、なかなかきれいなもんだよ」
「あすは、相当猛烈に来るな」
「大丈夫さ、どれもこれも、自分に向かって来るような気がするけれども、自分の前まで来ると、みんな外れてゆくものさ。もし、外れてゆかないやつがいれば、つまり、アイスキャンデーを喰うだけさ、それでおしまいだ。簡単なものさ」
 重松が、少し得意そうに説明した。
 
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