イースタン島の滑走路の近くでは、レフトン・ヘンダーソン少佐が、部下に訓示を与えていた。折角、ニミッツから、十八機のSBDドーントレスをプレゼントしてもらったのであるが、この新式といえばいえる中古機に乗った経験者は、ヘンダーソンをふくめて三人しかいなかった。ヘンダーソンは言った。
「JAPの母艦が近くに来ている。我々はこの飛行機に慣れていない。しっかり、おれについてこい。ゼロが来たら、まとめて十三ミリをお見舞いしろ。それから、急降下は無理だから、緩降下で爆撃する。おれによく注意しろ」
そこへ、一人の男が、落下傘のバンドを尻にぶらさげて走って来た。第二中隊長機に乗るフレミング大尉だった。
「すまない。寝すぎた」
彼は昼寝をしていたのである。
「フレミング、君の大胆さを、ヤマモトに知らせてやりたいものだ」
ヘンダーソンは、フレミングと握手をかわすと、彼自身もあまり乗ったことのない、ドーントレス=恐れを知らぬ、という意味の急降下爆撃機の方に歩みよった。
角野博治は、通称、カドデンと呼ばれていた。いつもにこにこして、滅多に怒り顔を見せなかった。しかし、彼は今、緊張していた。右足首の下は、機体が破られて、青い海面が見えていた。血が渦を巻くので、飛行服も計器も、操縦も、しぶきで赤くなっていた。突っ込むのがだめならば、爆撃をやらなければならない。彼はまず首に巻いていた羽二重のマフラーを破って、右股のつけねを縛り始めた。機は平衡を失って、酔いどれのように左右にふらつき始めた。列機は驚いて、しばらく遠ざかることにした。強く縛ると、これまで、右足首からぶくぶくふいていた出血は急に減った。彼は計器を見ながら、チョイチョイと顎で操縦を押し、機が錐揉みに入るのを防いだ。
次に、彼はマフラーで左足の足首をフットバーに縛りつけた。右の脛も、マフラーを少し長くして、フットバーに縛りつけた。こうすれば、右足首はぶらぶらでも、方向舵を動かすことが出来る。エンジンをふかして、機を上昇させ、マフラーの残り切れで、風防の血のりを拭った。それだけの作業を終わると、彼は座席にずしっと腰を下ろした。もうこれでいつ死んでもよい。そう思うと、急に目の前が明るくなり、頭がはっきりして来た。さきほどは、死が眼前に黒いヴェールのように垂れ下がって彼を脅かすので、一気にそれを突き抜けるため、地上に突っ込もうと考えたのであった。しかし、出来るだけの処置をすませると、彼は落ちついて来た。——俺は睡そうかな——彼は頭をふってみた。ふらつきは認められなかった。前を行く友永隊長や、二中隊長の菊地大尉の機も、真下のミッドウェーもはっきり見えた。——まだ睡くない、おれは生きている——彼は自分にそう言って聞かせた。その途端、機がガクンとつきあげられた。
「分隊長、高角砲弾です。足はどうですか」
小林の声が耳に入った。
「大丈夫だ、弾丸《たま》を落とすまで、頑張れそうだ」
そう答えると、角野は、正規の三中隊長の位置に着くべく、すわり直して操縦を始めた。
やっと、誘導機の内村が偏流測定から帰って来たので、友永は、彼に誘導させて爆撃コースに入ることにした。右の燃料タンクは燃料が洩れ尽くし、白い流れが止まったので、彼はコックを左に切り換えた。
内村機が先頭になり、友永はその右側に着いた。高角砲の弾幕が濃くなって来た。到るところに白い袋がはじけた。爆撃コースは、高度三千メートル、針路百二十度である。
橋本は照準器をのぞいていた。一番機内村の腹の下から八百キロ爆弾がはなれると同時に、彼の方も投下索を引くのであった。彼は下のミッドウェーをのぞいてみた。イースタン島の上に真っ白な帯が三本走っていた。滑走路は蒼竜の艦攻と、赤城の艦爆がやることになっていた。飛竜の艦攻隊は、サンド島の水上機基地と、すべり(水上機を水面におろすための斜面)をやるのだった。編隊はうまくコースにのっていた。格納庫の屋根がほとんど真下に近よっていた。
サンド島では、格納庫の上で、助手のウイリーが、盛んにフォードの袖を引いていた。
「ボス、来ましたぜ。まっすぐこちらですぜ。防空壕へ入りましょうよ。あっしの命じゃねえ。ジョン・フォードをこんな所で死なせちゃ、ファンに会わせる顔がねえ」
しかし、フォードは無言でカメラを回し続けていた。彼がカットを命じなければ、誰も撮影を中止させるものはいなかったのである。
内村機では、ボイコー照準器をのぞいている偵察員の「チョイ右、チョイ左、宜候《ヨーソロ》……」という合図に合わせて、内村が懸命にフットバーを踏んでいた。
「二中隊長機被弾! 燃料を引いています」
友永機の電信席で、福田の声がした。
橋本は、「うっ……」と呻《うめ》いたきり、頭を上げることも出来ず、投下索を右手に握り、左前方の内村機の腹に吊ってある八百キロ爆弾をみつめていた。
「二中隊長機、編隊についています」
福田の声がしたとき、橋本の眼の前で、八百キロ爆弾が機腹をはなれた。
「投下!」
彼は、右手の投下索を力一杯引いた。ゴトリと手ごたえがあって、機は急に浮き上がった。橋本は、爆弾を見ていた。愛着があった。爆弾は小さくなって、サンド島の海岸に溶《と》けこんで行った。彼は格納庫をにらんでいた。機は急に右旋回をした。高角砲弾の白煙が、鏡面に入った。格納庫から、すべりにかけて、パパパ……と白煙が上がった。
地上では、ウイリーが呻いていた。彼らがいた格納庫は、友永隊の八百キロ爆弾の直撃を喰って、ペシャンコにつぶれたのである。爆撃隊を撮っていたジョン・フォードは、鳥の糞のように機腹からはなれた、とてつもない爆弾が、まぎれもなく自分の方に向かって来るのを認めた。はじめ、彼はそれを魚雷かと思った。
「いかん! 伏せろ!」
フォードは、カメラにしがみついた。爆弾は格納庫に命中し、ウイリーは、はねとばされ、地上にころげ落ちた。フォードは、カメラと共に、地面に叩きつけられ、自分も、肩と脚に負傷した。彼は脚をひきずりながら、カメラをあらためた。フィルムはまだ回っていた。彼はそれを、まだ煙をふきあげているつぶれた格納庫に向けた。爆発はつづき、地表は揺れていた。あとから、このフィルムを現像してみたフォードは、画面がひどくぶれているのを発見した。味方の高角砲射撃と、敵の爆撃のためであることがわかった。
ジョン・フォードが、戦場の場面を撮るとき、カメラをわざと震動させて迫力を出す方法を思いついたのは、このときである。この方法は、長く戦争映画のテクニックとして踏襲された。フォードが撮影した二本の「Battle at Midway」は、日本未公開であるが、アメリカでは、戦意昂揚のため何回も上映された。
橋本は、友永に、
「八弾以上命中」
と報告した。そのとき、イースタン島の滑走路に白煙が上がった。
「艦爆つっこみました」
格納庫が煙をふき上げるのが見えた。呆気《あつけ》ない感じだった。倉庫や道路をこわすために、こんな苦労をして来たのか、という感じだった。菊地六郎大尉の機は、白い燃料の尾を曳きながら、少し遅れてついて来た。
角野の機が再び左から近よって来た。彼は弾丸《たま》を落としたので、ほっとしていた。急に睡くなって来た。偵察員の小林が信号を送った。
「ワレツッコム」
友永がこれを見ると、
「いかん、母艦へ着くまで待て、と言え」
と我鳴るように言った。橋本がその通り信号すると、角野は白い歯をむき出しにして、後退して行った。笑っているようにも、叫んでいるようにも見えた。
攻撃隊はもう帰りの針路に入っていた。針路三百度で、母艦群に向かっていた。
角野はぶらぶらの足で操縦しながら、睡魔に襲われ始めていた。疲れが出て来たのだ。
「おい、母艦までもたん。つっこむぞ」
「分隊長、あと一時間です。母艦に帰ってから、ゆっくりねて下さい」
「うまいこというな。だめだ。眼がかすんで来た」
角野は列機に手をふると、指先を下に向けて、つっこむしぐさをして見せた。左右の列機はぐっと近よって来た。右の二番機の偵察員が黒板を出した。
「分隊長ガンバレ」
とチョークで書いてあった。左の三番機の操縦員は、拳骨を出して、ぐるぐる回して見せた。角野は白い歯を出して、首を左右にふりながら、また指先を下に向けて見せた。左右の二機は高度を下げて、角野の機の腹の下に入ってしまった。角野は半分眠りながら苦笑した。その時、コツコツと肩を叩かれた。うしろの小林が、黒板の先に袋を縛りつけて差し出していた。背をよじって受けとってみると、航空錠甲であった。それは“ねむくならない薬”と呼ばれているもので、後世、文士が愛用したヒロポンと同じ種類の覚醒剤であった。角野は袋をあけると、十錠ばかりをまとめて、口のなかにほうりこんだ。苦い薬であったが、睡気は減ったような気がした。彼は、ふらふらしながら友永の機を追った。列機は再び両側に上がって来た。
編隊はすでに三十マイル以上、環礁を出はずれていた。友永は文案を練った後、福田に南雲長官あて、次のように打電させた。
「吾レ、敵基地ヲ爆撃、地上施設ニ損害ヲ与エタルモ効果不十分、第二次攻撃ノ要アリ、敵戦闘機多数、対空砲火極メテ盛、今ヨリ帰投ス」
友永は、敵爆撃機の大部分は基地を離れており、また基地の施設の破壊も不十分であったため、母艦が発見されなければ、いま一度陸上基地を空襲する必要を認めたのである。
時に、六月五日午前四時であった。