午前四時二十八分、利根四号機からの電報を握った草鹿は唸った。「敵ラシキモノ十隻見ユ……」
「遅いな、すぐ『敵ノ艦種知ラセ』とやれ!」
草鹿は時計を見ながら、通信参謀に言った。いらいらしていた。格納庫のなかでは、雷装を爆装に転換中であった。上空では第一次攻撃隊が着艦請求の発光信号を送りながら旋回しており、各空母は、B26の雷撃や、B17の爆撃を回避するのに忙しかった。
続いて四時五十八分「敵針八〇度、速力二〇ノット」、五時九分「敵ノ兵力ハ巡洋艦五隻、駆逐艦五隻ナリ」と入電があり、さらに、五時二十分、利根四号機は「敵ハソノ後方ニ空母ラシキモノ一隻ヲ伴ウ」という重要な電報を送信して来た。米軍の哨戒艇が日本の機動部隊を発見したのは、午前二時半であるから、丁度、三時間、索敵が、つまり、立ち上がりが遅れたわけである。この時点で、マクラスキーとウォルドロンの隊は、すでに発進しており、スプルアンス部隊の他の隊も発艦を完了していた。
「サラニ敵巡洋艦ラシキモノ二隻見ユ、ミッドウェーヨリノ方位八度二五〇マイル、敵針一五〇度、速力二〇ノット」という入電があったとき、赤城の艦橋では、草鹿が、首席参謀の大石保中佐、航空甲参謀の源田などと頭を集めて協議をしているところであった。
ここで、ミッドウェーの勝敗を決した大きな要素である「索敵」について、一言しておこう。
ミッドウェーについては、よく“運命の五分間”ということがいわれる。すなわち、友永隊長の「第二次攻撃の要ありと認む」という電報によって、司令部が、「雷装を爆装に換え」を令し、さらに、利根四号機の敵空母発見の報によって、爆装を雷装に換えた。この発艦が五分間遅かったために、赤城、加賀、蒼竜の三艦が被弾したというのである。
しかし、筆者の見解は、全然違う。問題は索敵である。
前出の付図1を見ると、米機動部隊のエンタープライズと、ホーネットは、午前三時、ミッドウェーの北北東二百マイルの位置に達している。赤城からは、東北東二百十マイルであった。
付図2を見ていただきたい。ちょうどこの頃、エンタープライズの真上にさしかかった日本機があった。筑摩の一号機である。しかし、機長の黒田大尉は、二隻の空母を囲む大輪型陣を発見することは出来なかった。なぜか……。雲が低くて、見とおしがきかないため、黒田機は雲の上を飛んでいたのである。
アメリカの戦史によると、スプルアンス麾下《きか》のエンタープライズ、ホーネットの攻撃隊が発艦を開始したのは、午前四時である。
(アメリカの哨戒艇が日本の機動部隊を発見したのは、午前二時三十四分)
もし《ヽヽ》、黒田機が雲の下を飛行して、運よく米空母を発見していたら……、もし、雲が晴れていて、見とおしがよく、三時までに、空母を発見していたら……、そして、赤城にその旨を打電していたら、合戦の様相はがらりと変わったであろう。
雷装で待っていた、日本の第二次攻撃隊の方が、エンタープライズや、ホーネットよりも早く発艦し、攻撃を加えることが出来たのである。
そして、ここに、今まで知られなかった第二の「もし……」がある。
まず、最も常識的な「もし……」について紹介しておこう。それは先に述べた利根四号機の問題である。
ウォルター・ロードの労作「Incredible Victory=邦訳名『逆転』実松譲訳」によれば、ロードは、もし《ヽヽ》……利根のカタパルトが故障せず、利根四号機の発進が三十分遅れなかったならば、赤城は、友永から、「第二次攻撃の要ありと認む」の電報を受信する前に、米空母を発見出来たであろう、と述べ、利根四号機三十分の遅延が作戦に大きな支障を来たしたように書いている。
なるほど、友永大尉が打電したのは、午前四時であり、利根四号機が「敵らしきもの見ゆ」と米機動部隊発見を打電したのは、午前四時二十八分である。従って、数字的に見れば、利根四号機が、定時に発進しておれば、友永の電報の前に「敵発見」を打電出来たことになる。しからば、その後の戦闘の様相も大きく変わったであろう。
しかし、事実は違う。「付図2」でもわかるとおり、防衛庁戦史室の資料によれば、利根の水偵第四号機は、発艦が三十分遅れたため、たまたま、米機動部隊を発見出来たのである。予定通り発進しておれば、敵の位置を早目にとび越えてしまい、発見出来なかったというのである。
ここに、筆者の主張する重大な第二の「もし《ヽヽ》……」が存在する。利根の土井参謀によると、利根第四号機の発進が遅れた大きな原因は、コンパスの故障だ、という。これは今まで発表されていなかった。発艦まぎわになって偏差、自差の修正が行われていないことがわかり、どうにか修正して、三十分遅れて発艦したが、コンパスの針は十度右ヘブレていた。そのため、予定コースよりかなり南へずれて飛行し、四時二十八分に米軍を発見したのである。
「もし……」コンパスがブレていなかったらどうか。「付図2」で自明のとおり北寄りに飛べば、三十分前には、米空母を発見出来たはずである。米機動部隊は、赤城の予想よりも、接近しており、午前四時前後には、発艦のため進路を南東に向けて、艦首を風に立てていた。この時、エンタープライズの上空には、断雲があったが、晴れていた。利根四号機は、眼下に二隻の空母を囲んだ大輪型陣を容易に発見出来たはずである。利根機の発見第一電によって、赤城司令部の作戦は大きく変わったであろう。運命の五分間の前に、運命の“十度のブレ”があったのである。
この重大な「もし《ヽヽ》……」は実現されなかった。ミッドウェー海戦の勝敗を決したのは、一つのコンパスのブレであった、と筆者が主張するのは、この点である。
話を赤城の艦橋に戻そう。
問題はいうまでもなく、新しく出現した母艦群に対する攻撃であるが、目下爆装に換えつつある艦攻をどうするか、ということである。加うるに、護衛の戦闘機も少なかった。ミッドウェーから帰った第一次攻撃隊も収容しなければならない。敵の母艦を沈めるには、陸用爆弾で水平攻撃をやっても効果は少ない。ここはどうしても雷撃で潰滅的打撃を与えねばならない。草鹿の頭には、ハワイ以来勝ち進んでいる常勝将軍のゆとりと奢《おご》りが半々になっていた。
この頃、長官の南雲は操艦に夢中になっていた。ミッドウェー基地からの、旧型爆撃機が緩降下して来たのである。先に戦死したヘンダーソンの同僚ノーリス少佐のひきいるヴィンディケーター十一機であった。南雲はこれを回避するための操艦に身構えていたが、ノーリスの隊は、空母は手ごわしと見たか、大部分が、榛名《はるな》と霧島の方に向かった。
「長官……」
草鹿は、源田と相談した結論……爆装を再び雷装に換える旨を南雲に伝えた。操艦に一息入れていた南雲は、戦闘帽をぬいで、汗を拭いながら、少し考えると、
「よかろ」
と言った。
再び、格納庫は喧噪になった。敵襲の合間を縫って、第一次攻撃隊の収容が開始された。機動部隊は、飛行機を収容し、兵装を転換しつつ、一路北東を目指した。肉薄、決戦を望んだのである。このとき、赤城の艦爆隊は輪型陣の味方駆逐艦からかなり撃たれた。着艦した千早や山田は、「味方を撃つなんて、駆逐艦の奴ら、どういう眼玉をしてるんだろう」
と、眼を三角にした。
「いや、敵襲が続くと神経質になる。ああいうのは、撃ち出すと止まらない、そう怒るな」
と村田がなだめた。
飛竜の艦橋では、山口多聞が、双眼鏡を眼にあてて、四千メートル先の赤城を見ていた。今、利根四号機から来た電報は、「敵空母一隻見ユ、〇五二〇」であった。山口は、直ちに航空参謀の橋口喬少佐を呼ぶと、「直チニ攻撃隊ヲ発進スル要アリト認ム」と赤城に発光信号を送るように言った。橋口は驚いた。普通、作戦命令は、参謀が起草して、司令官がそれにOKを与え、発令となるものである。司令官が自分で信号文を作って下令することは珍しいことであり、それだけ、事は緊急を要すると思われた。山口はじりじりしていた。見敵必戦のこの勇猛な提督は、敵空母発見次第、一撃を加えなければ、この戦いは危いということを見抜いていた。一航戦の艦攻は爆装であるが、二航戦の艦爆三十六機は、ベテラン江草少佐(蒼竜)指揮の下に、朝から発艦を待っているのである。抱いているのは陸用爆弾であるが、これでも二、三発喰わせれば空母の飛行甲板を破って、発着不能に陥れることは容易である。それからゆるゆる雷撃で料理しても遅くない。これが、二航戦司令官山口の判断であった。時に五時三十五分であった。
しかし、この適切な意見具申に対して、赤城司令部の返答は、「爆装ヲ雷装ニ換エ、今ヨリ北上、敵空母ヲ撃滅セントス」であった。
飛竜の艦橋で、山口は、大きく右掌を上げて、自分の出っ張った下腹を撃った。ぼこんと音がした。
「兵は拙速を尊ぶだ。南雲さんは、わかっているはずだがな……」
山口は、赤城の幕僚が近視眼になっているのではないか、とおそれていた。一航戦の赤城と加賀は、午前の基地攻撃に艦爆を供出したので、艦攻各二十七機計五十四機が格納庫に入っている。こいつに魚雷を抱かせて、またも轟沈と凱歌をあげさせてやりたいのは人情である。しかし、二航戦は、艦爆だけが残っている。早くゆかせてやりたい、これも人情である。そして、艦爆三十六機を先に出すのが、この場合戦術というものであった。
五時四十分。友永は、敵襲のすきを縫って艦首を風に立てた飛竜に着艦した。着艦して機首が上を向くと、プロペラが止まった。燃料はほとんど残っていなかった。彼の中隊に続いて、角野の機が着艦した。彼は母艦が見えたのに、変針を繰り返して、一向に着艦出来ないので、いらいらしていた。ここで自爆するわけにもゆかなかった。右の足首は、血がどすぐろく固まり、少し動かしても、生皮をむしるような痛みを感じた。
「分隊長、もう少しで着艦です。そしたら、ゆっくり眠って下さい」
中間席の小林は、黒板で角野の背を叩きながら、叫び続けた。着艦コースに入ると、角野の機は、生酔いの人間のように、何度も頭をふらつかせた。小林はうしろから「七十(ノット)、六十八、六十七……」と機速を読みながら、「分隊長、右にふれています、今度は左です」と注意を繰り返した。角野はその度に、「うー、うー」と手負い猪のような唸り声で答えた。彼の機は、機首が少しさがり、艦尾の気流に吸い込まれそうになったので、少しエンジンをふかして、やや高目に艦尾をかわし、七番索にひっかかった。
バリケードの向こう側に機が運ばれると、小林はすぐに座席からとび出し、整備員を呼んで、角野をデッキに抱き下ろした。角野はやや元気を回復していた。
「分隊長、よく頑張りましたね、いや、実際頑張りなさったですよ。随分きつかったでしょう」
肥満した角野を背負いながら、小林は分隊長がいとおしく感じられた。
「うん、有難う、みんな小林兵曹のおかげだよ」
角野はもの憂げな声で、背中から返事をした。二人は戦時治療所になっている士官室に入った。
「さあ、分隊長、もう大丈夫です。ゆっくり寝て下さい」
小林は笑おうとして、ふいにしゃくりあげた。
「いや、もう眠くなくなったんだ。あの薬が効いたんかな?」
角野はほろ苦く笑ったが、うつろな眼をしていた。軍医は彼の傷を見ると、黙って、鋸を出し、足首の骨を切り落とした。出血が激しいので、輸血の必要があった。小林と角野は同じ血液型であった。小林の血が注射器に抜きとられ、点滴が行われた。自分の静脈に刺された針を通じて、吊された容器の赤い液体が徐々に減ってゆくのをみながら、角野はふいに自己嫌悪に陥った。——いやなことだ——と彼は考えた。小林がおれを励ましてくれたのは、自分が助かりたいからではなかったのか。おれが突っ込めば、後席も一蓮托生だ。では、おれは、小林の命の恩人というわけだ。そして、そのお礼に彼は血を提供してくれた。その人間とおれの血は混合しつつある。これはどういうことだ。——そう考えて、——なぜ、こんな考えが浮かぶのだろう、おれは疲れている。なぜもっと、人間の滅私的な献身、美しい友情などについておれは考えられないのだろう、おれはいやな人間だ——そう考えている間に、角野は体が温まって来るのを覚え、眠りに落ちて行った。
彼の頬に血の気がさすのを見た小林は、電信員の今村と顔を見合わせて微笑をかわし、息を一つついた。