飛竜艦爆隊の小林道雄大尉から、「ワレ敵空母ヲ発見、今ヨリ攻撃ス」という電報が入った後、その後の報告がないので、第二航空戦隊司令官山口多聞少将は、旗艦飛竜の艦橋で、いらいらしながら待っていた。
一中隊三小隊二番機の土屋孝美二飛曹が、「ワレ敵空母ヲ攻撃ス、敵空母大火災」と打って来たのは、午前九時二十分であった。
「ふむ、一隻はやっつけたな」
山口は、大きくうなずくと、
「艦攻隊の発進はどうかね」
と加来止男艦長に尋ねた。
加来は、艦橋から発着甲板にいる飛行長の川口益中佐を呼んだ。
「あと二十分位で発進出来ます」
と川口は答えた。
加来は、土屋の電報を川口のもとに送った。電報の発信者を見ると、川口は暗い表情を示した。
「一中隊三小隊二番機か……」
すると、隊長の小林も、二小隊長の近藤武憲大尉もやられたのだろうか。二中隊長の山下途二大尉はどうしたのだろう……。
飛行甲板では、第三次攻撃隊の準備が整いつつあった。艦攻十機、零戦六機が準備された。艦攻は五機を一個中隊とし、第一中隊長が友永丈市大尉、第二中隊長は橋本敏男大尉であった。戦闘機は森茂大尉が指揮した。
小林の艦爆隊を掩護に行ったが、途中、敵のドーントレス爆撃機を追っかけて、燃料不足となり、帰投した峯岸義次郎飛曹長は、戦闘機隊の第二小隊長に入っていた。
第一次攻撃で残った艦攻のうち、負傷者や被爆のため、使用可能機は九機であったが、艦爆が攻撃に行っている間に、赤城の艦攻一機が帰って来て、飛竜に着艦したので、これを攻撃隊に編入し、計十機となった。
このほか、他の三艦の直衛戦闘機が続々と飛竜に着艦したが、川口は被弾して使えない機は、どしどし舷側から海に棄てさせた。
赤城から帰って来たのは、朝、索敵に出た中根飛曹長であった。
この日、敵の空母に対する索敵には、前述の利根《とね》四号機をふくめて、七機が、午前一時半ごろ機動部隊から発進していた。真南に当たる百八十度が中根の乗った赤城の艦攻、その左が加賀の艦攻、ミッドウェーをはずして、百二十三度が利根の水偵一号機、ほぼ東に当たる百度が利根四号機、さらに、北の方向に筑摩《ちくま》一号機、筑摩四号機、榛名の水偵となっていた。
索敵方法は、三百マイル行って、左に直角に六十マイルに飛び、帰投する。中根の艦攻は途中で、日本のミッドウェー攻略部隊を攻撃に行く飛行艇や、B17の編隊を発見したが、無電機が故障のため、報告出来ないままに帰途に着いた。
約六時間の索敵行から帰投した中根機が発見したのは、燃えている三隻の空母であった。中根は燃えていない唯一の空母飛竜を探して着艦したのである。
赤城の飛行士後藤仁一大尉は、自分が第二次攻撃隊に参加したいため、自分のかわりに中根を索敵に出したのであるが、今、運命は皮肉な転回を見せ、赤城の第二次攻撃は取止めとなり、後藤は大火災の赤城にとり残され、彼のかわりに索敵に出た中根が、はからずも、彼の希望を実現して、第三次攻撃に参加することになったのである。しかし、中根の攻撃が果たして、その幸運に匹敵し得るものとなるかどうかは、誰にもわかっていなかった。
友永は、朝の第一次攻撃(陸上攻撃)で右の燃料タンクに被弾した自分の機を使うことにしていた。他に予備機はなかった。橋本が、
「隊長、大丈夫ですか」
と尋ねると、
「大丈夫、敵は近いんだ。両方あっても、いらないときはいらないんだ」
と大きな前歯を見せて笑った。土方《どかた》のトモさんらしい豪快な笑いであった。友永は海兵五十九期生で、気性は荒けずりであったが、真っ直ぐな人柄で、同僚からも、部下からも愛された。友永と同期生で、同じ大分県出身の西畑喜一郎(厚木航空隊副長、七十一航戦参謀を歴任、終戦時中佐)は、「友永は大分中学出身だが、非常に運動神経の発達した男でしたね。とくに水泳と体操が得意だった。負けじ魂が強く、クラスでも好漢として愛されていましたね」と述懐している。
午前九時五十分、蒼竜から発艦した二式艦偵(後の艦爆彗星《すいせい》、高速をもって知られる)が飛竜に着艦して、敵空母はエンタープライズ型三艦で、東に進んでいることを報告した。山口の予想通りであった。
それを聞くと、山口多聞は、加来と共に、艦橋から飛行甲板に降りた。
「いいか。敵の空母は三隻だ。艦爆隊が一隻やっつけたから、あと二隻だ。なるべく無傷な新しい母艦をみつけてやってくれい。そうすれば、あと一隻となる。一対一となるんだ」
山口は、そう訓示すると、搭乗員の掌を一人ずつ握って歩いた。山口は祈る気持であった。橋本は、山口の毛の生《は》えた太い指を握り返しながら、ふと将棋の駒のことを思い出した。内地の港を出るとき、宴会の席上で、山口が橋本たち若い士官のところに盃をさしに来た。
「司令官、今度は存分に私たちを使って下さい。私たちは、将棋の歩《ふ》ですからね」
橋本がそう言うと、
「いや、君たちは歩じゃない。飛車だ、いや香《きよう》ぐらいのところかな」
山口はそう言って笑った。
橋本が思い出したのは、その香のことであった。飛車であるか、香であるか、その判定は、間もなくつけられようとしていた。
加来は、
「機動部隊の主力は、いま君たちだけになってしまったんだ。しっかり頼むぞ」
と、山口のあとから、手を握って回った。
そのとき、艦爆小林隊の第一中隊から一機だけ生還した土屋の機が、飛竜の甲板上を低空で通過し、報告球を落とした。「敵空母ハ予定位置ヨリモ、南ニ寄ッテイル」と書いてあった。土屋は、飛行甲板が艦攻で一杯になっているので、発艦が間近いと見て、至急、報告球で通報したものである。(報告球は、ゴムマリを赤い布でくるんだもので、布のなかに通信文を入れるという簡単な通信用具である)
搭乗員は、敬礼を終わると、一斉に乗機に散った。
報告球をひろった整備員は、すぐに飛行長の川口に渡した。内容を読むと、川口は、すぐに、「橋本大尉に渡せ」と言った。今までの癖で、橋本が友永の偵察員だと思いこんでいたのである。整備員は正直に、プロペラの間をくぐってそれを橋本に渡した。橋本がそれを読んでいる間に、森大尉の機から戦闘機が発艦を始めた。間もなく、友永の艦攻も発艦した。
第三次攻撃隊十六機が発艦して、飛竜の上空で編隊を組み始めたのは、午前十時四十分である。
飛竜の艦橋に戻った山口多聞は、赤城被爆直後にしたと同じ計算を、胸のなかで繰り返した。
——やはり、敵は空母三隻だった。そして、そのうち一隻は、小林隊が撃破した。いま一隻は、友永の隊が叩いてくれるだろう。そうすれば、残りは一対一だ。今日の、本当の戦いは、そのときから始まるといってよいだろう——。
艦爆隊の生き残りが着艦を始めていた。山口は、航空参謀の橋口喬少佐を呼ぶと、第四次攻撃に使えそうな攻撃隊の兵力を計算させた。
橋口は発着指揮所に降りると、飛行長の川口と、計算を始めた。艦爆隊の帰還機は五機であった。零戦は、隊長の重松を入れて、三機が帰って来た。いま、攻撃に行っている艦攻隊のうち、五機が帰るとして、第四次攻撃隊は、艦爆六機、艦攻五機、零戦は他艦の直衛機を入れて、八機が出せると推算した。
(実際に、友永隊の残機が帰投した段階で、午後零時四十分、第四次攻撃隊を編成してみると、艦爆五機、艦攻四機、零戦十機という機数になっていた)
山口は、とりあえず、「第三次空母攻撃隊(第四次のこと)艦爆六、艦戦九、出発準備中」と長良の南雲司令部に打電した。彼は機数の不足を感じていた。午前十一時半、赤城に対し、「貴艦ノ残存機発艦可能ノモノアラバ、飛竜ニ収容シタシ」との電報を打たせた。これは山口にとって、辛い最後のあがきであった。赤城が火焔をあげているのが見える以上、そこに飛行機があっても、発艦不能なことはわかっていた。加うるに、赤城の無電は、発受信不能に陥っていた。長良の艦橋で、山口の電報を受信した草鹿は、暗い顔をした。彼には、山口の気持がわかった。一期上の山口が兵学校の中庭を、悠々と濶歩《かつぽ》しているときの姿が浮かんだ。屈したことのない山口が、飛行機の不足に悩んでいる。そして、機動部隊の参謀長である自分はいま、軽巡の艦橋にいて、なすすべを知らないのである。
草鹿は、南雲の方を向き、
「長官、二航戦からこう言って来ましたが……」
と言って、電報を見せた。
一読すると南雲は、
「山口君も困っているだろう。しかし……」
と言ったきり、前方をにらんでいた。一艦だけ残った飛竜の責任と、機数の不足との板ばさみとなって苦しんでいる山口の苦衷は、南雲にもよくわかった。痛いほど身に沁みた。しかし、いま、彼の関心は水雷攻撃にあった。長良を先頭とし、水雷戦隊をもって、敵空母を雷撃、撃滅することが、現在の彼に与えられた任務であった。自ら課したと言ってもよかった。水雷屋の彼が、三母艦を失ったとき、水雷戦に突入するのは、空を眺めさせられていた鯱《しやち》が、再び水に戻って、鯨を襲撃するのに似て、やり甲斐のある戦いであった。長良は遠くに飛竜をのぞみながら、これと並行し、三十ノットで東北東に急いでいた。