早朝から、苛烈な戦場を眺めおろしていた、ミッドウェーの太陽は、傷ついた艦や将兵をそれぞれの色に染めながら、多くの人に消え難い印象を残す夕陽となって、午後三時半、水平線に下端を接し、やがて吸いこまれるように沈んで行った。
飛竜の艦橋では、山口と加来が、無量の想いで、それをみつめていた。まさに薄暮であった。あれだけ待ちこがれていた薄暮が訪れたのである。しかし、いま、発進すべき攻撃隊はなく、手元に残されたのは、格納庫の大穴から、火焔をふきあげる空母だけであった。うす墨色のこの薄暮が、今は、西方への逃避を助けるものとしてしか活用出来ない状況となっていた。
はるかな高空よりするB17爆撃隊の攻撃はまだ続いていたが、命中弾はなかった。
駆逐艦浜風、磯風は、漂流している蒼竜の生存者を救助した後、その周囲を回って潜水艦を警戒していた。
午後四時、蒼竜の火勢は一時おさまったかに見えた。駆逐艦浜風からこれを見ていた蒼竜飛行長の楠本幾登《くすもといくと》中佐は、一策を案じた。真珠湾以来飛行長を勤め、歴戦の士である楠本は、自分で防火隊を派遣して蒼竜の火を消し、榛名あるいは霧島などの高速戦艦によって、日本への曳航を考えていた。ハワイ攻撃はもちろんのこと、印度洋においても、艦爆の名隊長江草隆繁少佐指揮のもとに、命中率百パーセントに近い成績をあげた、輝く歴史をもつ蒼竜を、このまま敵地に放棄するにしのびなかった。やせぎすではあったが、楠本は策に富んだ男であった。彼はまず、相撲部員の体格のよい兵曹を選び出し最初のカッターで、蒼竜に乗艦させ、艦長の柳本大佐を救出させようと考えた。蒼竜を曳航するならば、艦長の指揮が必要であった。
しかし、艦橋は火焔でまだ焼けており、救助は容易ではないと思われた。午後四時十二分、蒼竜は艦尾から沈み始めた。そして同十五分水面下に没し、同二十分、火薬庫に引火したらしく大爆発を起こし、軍人精神横溢《おういつ》した“海軍の乃木将軍”柳本艦長を艦橋に抱いたまま、海底を目ざしたのである。沈没位置は、ミッドウェーの北北西百七十マイル(三百十五キロ)である。
同じころ、ミッドウェーの西北西五百マイル(九百三十キロ)に占位した連合艦隊旗艦大和《やまと》の艦橋で、長官の山本五十六《いそろく》は、思案していた。七万トンの巨艦は東南東すなわちミッドウェーの北方に位置するといわれる米機動部隊の方向を目ざしていた。
飛竜火災の報がすでに入り、艦橋の空気は重くよどんでいた。
「四隻ともやられたか」
山本は、唇をゆがめて、かたわらの宇垣纒《まとめ》参謀長をかえりみた。薄氷に似た笑みのようなものが口辺に漂っていた。
「やられましたな」
ほお骨の張った宇垣が、無表情のまま、ぶっすりと答えた。
「空母なしで、ゆくか……」
山本がぽつんと言った。一語一語がぶち切られたような言い方だった。
「やるほかに手はありませんな」
宇垣はむしろ積極的であった。真珠湾以来、ことごとに図に当たっている機動部隊の司令部が、オールマイティのような雰囲気を持ち、GF(連合艦隊)司令部を無視する傾向があるのを彼は知っていた。このチャンスをとらえて、GFの大艦巨砲の威力を知らせるのは、無意味ではない、と彼は考えていた。彼はまだ日本が敗《ま》けたとは考えていなかった。空母四隻を失っても、それが致命的とは考えられなかった。砲術出身の宇垣には、巨砲決戦の思想が沁みこんでおり、それが拭い去られるには、レイテ沖海戦(19年10月。彼は一戦隊司令官として、大和、武蔵、長門を指揮した)までの時間を必要としたのである。
「ここが、七分三分の兼ね合いというところかな」
呻くように山本が言った。
“七分三分の兼ね合い”とは、海軍の戦訓のための警句である。表面的な損害のみを見て、敵の兵力と味方の損害を過大視し、指揮官が、必要以上に弱気になり、戦闘の大局判断を誤るのを戒めた海軍伝統の古諺《こげん》で、敵の損害三分、味方の損害七分、我にわずか三分の利のみと見たとき、実は彼我《ひが》の兵力は五分五分なのだという意味であった。
午後四時十五分発の長官命令は、四時半ごろ各隊で受信され、その内容は次のような強気のものであった。
一、敵艦隊ハ東方ニ避退中ニシテ、空母ハ概《おおむ》ネコレヲ撃破セリ
一、当方面連合艦隊ハ敵ヲ急追撃滅スルト共ニ「ミッドウェー」ヲ攻略セントス
この夜戦命令に先立ち、攻略部隊指揮官の近藤信竹中将は、七戦隊(熊野、鈴谷《すずや》、三隈《みくま》、最上《もがみ》)を派して、ミッドウェーの砲撃を企図していたが、山本はこの命令の一時間半後、すなわち、午後五時五十分、ミッドウェーのすぐ近くで、伊号百六十八潜水艦が待機していることを思い出し、同潜水艦に、ミッドウェーの砲撃を命じた。(伊号百六十八潜は、後にヨークタウンを撃沈するが、その動きについては後に述べる)