いま思い起こしてみると、私たちの少年時代(昭和20〜30年代)には、ずいぶんと不思議なお菓子がたくさんあった。森永ミルクキャラメルなんてのはその当時から今まで生き残っている数少ない古典的銘菓の一つで、あれは言ってみればキャラメル界のシーラカンスであります。一粒三百メートルという分ったような分らないようなキャッチコピーで売っていたグリコキャラメルなんかは、あの頃一箱五円で、その箱のうえに小さな別の箱が付属しており、そこに木で出来た汽車だとか、およそそのたぐいの役にも立たない小さな玩具《おもちや》がはいっていた。私たちはこのオマケ欲しさにせっせとグリコを買ったのである。これと拮抗《きつこう》する勢力は「紅梅キャラメル」といういかにも日本的な名前のキャラメルで、味からいうとどうもグリコよりは一段劣るもののように思われた。しかし、こっちはなんだかカードのようなのがくっついていて、それを集めるとなにかが貰《もら》えるというシステムだったような気がする。それからもう一つはスキーキャラメル、これは赤い地に白でスキーヤーの絵が描いてあるパッケージで、たしかカバヤ製菓の製品だったか。どうして「スキー」なんだか、それは一向に分らない(もしかすると猪谷千春《いがやちはる》選手の銀メダルと関係があるかしら……)けれど、ともかくそれはグリコや紅梅にくらべるといくらか高級なキャラメルという感じだった。
チョコレートでも、明治や森永のいわゆる板チョコは今も昔もさして変りはない。けれども、あの頃、遠足というと必ず私たちが持って行ったものに「シガレットチョコレート」とチューブ入りのペースト状のチョコレートがあった。シガレットの方は、ほんとの煙草《たばこ》のようなパッケージに入っていて、紙巻き煙草そっくりに紙で巻いた棒状のチョコが入っていた。私たちはそれを大人の真似《まね》をして指に挟《はさ》み、「スパーッ」なんて言いながら食べるのが楽しみだった。チューブの方は小さな絵の具ほどのチューブに練り状のチョコがつまっているもので、これはチューブの口に直接|唇《くちびる》を接して、チュウチュウ吸うように舐《ねぶ》るのである。楽しい遠足のバスの中で、あっという間になくなってしまうチューブのチョコなんか、あれはあれでとても美味《おい》しかったよなぁ。こういう、もう無くなってしまったお菓子を今食べたら、いったいどんな味がするのであろうか、さて。