たしかあれは、小学校の二年か三年か、その頃《ころ》のことだろうと記憶する。そうすると今から三十年以上も前のことになる。
隣に電通に勤めている人があって、たぶんその宣伝の関係であろう、それまでまったく口にしたことがなかったコカコーラというアメリカ渡来の飲料を飲ませてくれたことがあった。当時はまだ、コカコーラなどは日本に入ってきておらず、ふつう町では買うことができなかったのである。
サイダーのように泡《あわ》だって、しかも色は醤油《しようゆ》のように真っ黒である。これは不思議だ、と思ってさっそく一口飲んでみると、なにやら煎《せん》じ薬《ぐすり》のようである。煎じ薬にサイダーを入れて飲むに等しい味がする。私は閉口して二口目はどうしても飲めなかった。アメリカ人はずいぶん妙チクリンなものを飲むものだと呆《あき》れ返り、いかにも納得できかねる気がしたのを、今なおはっきり覚えている。
それから中学生の頃、イタリアの名画『鉄道員』というのを見ていたら、主人公の親子が、なんだか屋台のようなところで、お好み焼きに似たものを買って食べるシーンがあった。あれは何かなぁ、と思っていると、彼らはそれを、歩きながらパクリと食べた。すると、食べるそばから、まるでお餅《もち》のように|何か《ヽヽ》がビヨーンと延びた。イタリア人の親子は、それを舌先でつるつるっとたぐり寄せて、器用に、かついかにも旨《うま》そうに食べた。
あの餅のようなお好み焼きのようなものを、一度食べてみたいものだと思っていたら、暫《しばら》くしてそれはピッツァというイタリア料理だと知れた。あの餅のようにビヨーンと延びたものは、なんとチーズだという。私は不思議の感にたえなかった。なぜと言って、日本にはその頃、チーズといえばパクパクしたプロセスチーズしか存在しなかったからである。
しかし、その後暫くして、私は、たしか六本木の「ニコラス」だったかどこかその辺で、初めてこのピッツァというものを口にしたのだった。コークの時と違って、これは最初に食べた時から、なんてまた旨いものだろう、と思った。
その時私は、たぶん高校生だったかと思われるが、その頃にはすくなくとも都会地では、コークはもはや当り前の飲物になっていた。いつのまにか、私もあの薬のようだと閉口したコークを、好んで飲むようになっていたが、それがいつどのようにして、嫌《きら》いから好きへと変ったのか、一向に記憶がない。つまり、気がつくとすっかりコーラの愛好者になっていたのである。
さて、その最初にピッツァを食べたとき、私はコーラを飲みながら食べた。どうしてこんなことを覚えているのか不思議であるが、熱く脂《あぶら》っこいピッツァと冷たくてシュワッとしたコークは絶好の組み合わせのように思われた。だから私はいつもそうして食べた。
ピッツァはそれほど高くなくて、しかもおなかが一杯になったし、それにちょっとおしゃれでかっこいい感じがしたので、しょっちゅうピッツァを食べてはコーラを飲んだ。
しかしながら、モッツァレッラのように熱で融《と》けるチーズは、氷で冷たく冷やされたコーラなんかと一緒に食べると、胃の中で凝固してずいぶん消化が悪かったのではあるまいかと思われる。そのせいかどうか知らないけれど、やがて私は胆嚢《たんのう》をいたく患《わずら》って散々の目にあった。ピッツァのように脂肪分が甚《はなは》だしいものは胆嚢にはまことによろしくない、と医者に止められて、それから私はピッツァを食べなくなった。それでも大学生のうちは、コーラはガブガブやっていたけれど、これも卒業して大学院に進み、結婚する頃にはあまり飲まなくなった。
今では、ピッツァもコーラも一年に一、二度くらいしか口にしない。
ところで、最近はどこでも、アメリカ式の配達ピッツァ屋がたくさん出来た。電話で注文すると、適宜トッピングを案配して、熱いうちに配達してくる。
ガールフレンドと一緒に、洒落《しやれ》たつもりで六本木「ニコラス」のピッツァをコーラと一緒に食べていた頃を思うと、隔世の感があるけれど、最近の配達ピッツァは「なんだか違うなぁ……」という気がしてならぬ。むろん、昔のほうが旨かったように感じるのである。
たしかに現代のファーストフード的調理方法にも問題があるに違いない。しかし、それはたぶん、昔のピッツァとコークには、未来とか希望とか、恋愛とか不安とか、そういう「若き日」の味がしたからであろう。そういうのを、英語では Sentimental reason というのである。つまり、私が歳《とし》を取ったということである。