今から三十年ほど前、父が小金井に家を建てたので、新宿の官舎から引っ越してきた。そのとき、庭にまだヒョロヒョロの柿の木を植えたら、これがまことに良い柿で、それから毎年大きな艶々《つやつや》とした実を付けた。つるりとした口触りの甘い柿で、秋には、いつもたくさん飛来するヒヨドリやムクドリと実の取り合いになった。
それから、十年程たって、同じ小金井市内だが、駅の反対側に引っ越した。私が結婚して、二世帯で住むには前の家が手狭になったからである。
そのとき、もうすっかり太い立派な木になっていた柿の木の枝をはらって、今の庭に植え替えたが、植木屋は「こう大きくなってからでは、うまくつくかどうか分りませんよ」と危《あや》ぶんだ。事実、春先に引っ越して、一月くらいたっても、柿の木は一向に丸太のまんまで芽ぶかなかった。けれども、幹に触ってみると、ザラリとした皮の下にたしかに温かな生きている感じがあって、心配はしなかった。
やがて五月になるころ、突然丸太ン棒のあちこちから浅緑色の若葉が吹き出して、すっかり息を吹き返した。
間もなく息子が生まれた。
その頃《ころ》、近所の農協で作物の品評即売会があったので、実の尖《とが》った大きな渋柿を買ってきて干柿を作った。すると、その内の一個が腐って落ち、そこから柿の実生《みしよう》が生えた。私はそれも大事に育てることにしたのだった。
一茶に「柿を見て柿を蒔《ま》きけり人の親」という句がある。その時こんな句を思い出して、これが「柿を|植え《ヽヽ》けり」じゃないところが言い得て妙だと思っておかしかった。
さてそれから、今では大木になった甘い柿の木は毎年大きな良い実を付ける。一方渋柿の木は毎年|僅《わず》かばかりあまりぱっとしない実を付けるのだが、いつになったらあの最初に買ってきた親柿のような立派な実を付けるだろう。
そう思ってどっちも平等に可愛《かわい》がっているうちに、あの時生まれた息子はいつのまにか大学生になった。