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テーブルの雲09

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:一つの幸福 大英博物館が、その規模の雄大なる点において、また蒐集品《しゆうしゆうひん》の広範周到なる点において、博物館世
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 一つの幸福
 
 
 大英博物館が、その規模の雄大なる点において、また蒐集品《しゆうしゆうひん》の広範周到なる点において、博物館世界に覇《は》を唱える存在であることは、多くの人が認めるところであろうけれど、いまや帝国主義の時代はすっかり終焉《しゆうえん》し、反対に民族主義が高揚する時世になってくると、その大英博物館の蒐集品はイギリスの帝国主義的略奪の結果であるという意見が起こり、それぞれの国に略奪したものを返すべきだなどと声高に議論する人があらわれた。しかしながら、こういう議論は極めて一面的で、あまり説得力を持たないと私は考える。
 仮に、もしイギリスがそれらの文物を外国で蒐集してここへ持ち帰らなかったとしたら、と仮定してみる。
 文化遺産というものは、それが何であるか正しく認識され、その価値を正当に評価されることによって初めて、文化遺産として存在しはじめるのである。したがって、それを認識評価できる学問の存在しないところでは、いかなる貴重な文物といえども、単に「虫喰《むしく》いだらけの汚い本」であったり「泥《どろ》の中に時々ある何かのカケラ」であったりするに過ぎない。それは、かのモース博士によって「発見」されるまでは、その考古学的意味をまったく認められていなかった大森|貝塚《かいづか》のことなどを考えてみれば容易に理解されるであろう。
 だから仮にやや略奪に近いかたちでそれがイギリスに持ち帰られたにせよ、それによって、その当該の文化遺産は初めて学問としての光を当てられ、輝かしく歴史に登場したとも言えるのである。逆にもしそうなっていなかったら、あるいは現地で何等の意義を認められないまま、空《むな》しく散逸し、朽ち果て、あるいは焼失し、もしくは盗賊の蹂躙《じゆうりん》するところとなっていたかもしれないのである。
 東洋に関していえば、有名な「燉煌文書《とんこうもんじよ》」など、その良い例である。今世紀初頭に中国辺境の燉煌で発見された夥《おびただ》しい文物は、イギリスのスタイン、フランスのペリオ、日本の大谷大学探検隊などによって、分割買収され、それぞれの国に持ち帰られたのだが、それは結果的に、これらの文物の価値を世界に知らしめ、そのすべてを安全に保存せしめるよすがとなった。それがもし当時の政情不安定な中国にそのままあったら、今日のようにまとまって保管され、世界中の研究者に普《あまね》く公開されるようになっていたかどうか、すこぶる疑わしい。
 大英博物館には、スタインの将来したそれが厖大《ぼうだい》に所蔵され、ほぼ完璧《かんぺき》な状態で保存されて、多くの研究者を益していることは明らかな事実で、そのこと自体まったく非難するには当らない。そしてこのことは多かれ少なかれ、ここにあるすべての文化遺産について言い得ることだろうと推量されるのである。
 私の調べている日本の古い文献に関して言えば、もっとはっきりと、それは略奪的なものではなかったことを証言しうる。おそらく、略奪というような形でイギリスに持ち帰られた本は、ただの一冊も無いに違いない。
 以前は大英博物館と大英図書館は一緒であった。それが比較的近時に分れて別組織となったのである。で、書物については原則として大英図書館に移管されることになったが、一部たとえば「絵本・絵巻」のようなものはもとの大英博物館に残されている。
 それらの文献は、大部分、幕末明治に大活躍した天才的外交官にして篤実《とくじつ》な日本学研究者であった、アーネスト・メイソン・サトウによって、日本で|正当に買いとられ《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》、丁寧に持ち帰られたもので、それを彼は縦横に読み、日本理解の資料とした後は、決してわたくしすることなく、タダのような値段で公開の博物館や図書館に譲渡したのである。私財をなげうって買ったものであるから、普通にはなかなか出来ぬことである。
 その結果、これらの文献は、震災にも遭わず、戦禍《せんか》も受けず、風水害にも際会せぬ安息の地を得て、その後百年余りの年月を閲《けみ》してきた。イギリスは冷涼な気候で、夏は乾燥しているから、本の大敵の害虫はまったく棲息《せいそく》することができず、虫喰いの害に遭うこともまぬかれた。
 しかも、書物にとって最大の敵であるところの「人間」——それは書物を汚し、傷《いた》め、時には故意に切り取ったりする——は、この国では日本の本については存在していないに等しかった。
 こうして、八世紀から十九世紀に至るまでのおおむね五万冊にも及ぶ古典籍は、頑丈《がんじよう》で安全な大英博物館などの書庫の中で、百年の長い眠りについていたのである。今日それらは眠りから覚めつつあるけれど(それを起こそうとしているのは他ならぬ私たちである)、正直言って、それは書物にとっての一つの幸福な眠りだったことは間違いないのである。
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