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テーブルの雲10

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:翻訳の不可能なる イギリスのケンブリッジ大学で、書物を相手に息のつまるような生活をしていたときのことである。 ケンブリッ
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 翻訳の不可能なる
 
 
 イギリスのケンブリッジ大学で、書物を相手に息のつまるような生活をしていたときのことである。
 ケンブリッジ大学の日本学科の主任教授はリチャード・バウリング君という、日本語の滅法よくできる人である。彼は森鴎外《もりおうがい》の研究をして、あの浩瀚《こうかん》な『鴎外全集』をすべて読破したのだそうである。日本人だってそんな人は滅多といるものではないから、私ははなはだ感心してしまった。その後、彼は『紫式部日記』の英訳を公刊したりして、広く日本文学のために大いに気を吐いているのである。
 そのバウリング君と、ある日、鴎外の文章について議論したことがある。
 私は、かねてより、鴎外の小説の中では『澀江抽齋《しぶえちゆうさい》』が白眉《はくび》であろうと思っている。この作品が、なにしろ好きでたまらないのである。
 しかるに佐藤春夫は、鴎外の作品の中で、もし一作を選ぶとしたら『雁《がん》』だろうと述べ、『抽齋』については次のように論じている。
「いわゆる史伝小説の雄篇《ゆうへん》『澀江抽齋』は先生の晩年に到達した境地で定評ある代表作でもあり鴎外先生ならではの大作、力作という点も第一のものであろうが、この作は先生の学才が詩才を圧倒しているような点でこの一作だけでは満足しかねる。尤《もつと》もこの作にだって一種の詩情は横溢《おういつ》しているが、一般読者はそれに気づくまい」(河出書房新社、日本文学全集15、月報、昭和38年刊)
 なるほどさすがに佐藤春夫の炯眼《けいがん》は、この作品について微妙なところをよく衝《つ》いている。詩情は横溢しているけれど、それは一般読者には知覚され難い、か。
 バウリング君が聞いた。
「林さんは近代日本文学の中で何が好きですか?」
 私は言下に答えた。
「そりゃ、なんといっても『澀江抽齋』です。鴎外の……」
 その答えは、バウリング君を満足せしめなかった。彼はしきりに首を捻《ひね》り、私の顔を疑わしげに眺《なが》めた。
「それはまた、どうしてですか?」
「どうしてといったってね、ウーン、やっぱり文章が良い。散文として、あの力は、古今独歩です」
 私は思っているとおりを答えたけれど、これまた理解されなかった。
「でもね、林さん、あの作品は私たちイギリス人から見たら、全然面白くないよ。あれは小説とすら言えないかもしれない」
 こんどは私が首を捻る番だった。
「どうしてさ? 面白いも面白い、非常に面白いけどね、日本人からすると……」
「だってね、あれは西欧的な目から見るとね、単に事実を羅列《られつ》してあるだけ、と映るよ」
「そうかなぁ」
「たとえばね、『抽齋』を英語に翻訳しようとするだろ。そうするとね、ただ何月何日抽斎はどこへ行ってどうした、とかね、ただそれだけの繰り返しになっちまうわけだよ……それは意味がないよ、文学としては……つまり、すくなくともそれはノヴェルの名に値しないってわけでね、そうじゃないか」
 それはそうかもしれない、と私は思った。鴎外はあれほど外国語と外国文学に通暁《つうぎよう》して、うんざりするほど厖大な翻訳を残したけれど、なんぞ図らん彼自身の作品のもっとも芳醇《ほうじゆん》な結実は、まったく外国語には訳しがたい、訳したところで誰人をも感心せしめない、というのである。皮肉なことだといわねばなるまいけれど、日本人と生まれて、日本語を母国語として、そうして初めてあの颯爽《さつそう》たる鴎外散文の世界をアプリシエイト出来るのだとすれば、それはたしかに私たち自身の、一つの幸いだったかもしれない。
 むかし、三島由紀夫は、その著『文章|讀本《どくほん》』(昭和34年刊、中央公論社)の中で、『寒山拾得《かんざんじつとく》』の一節を挙げて、泉鏡花の文体と比較し、対照的でありながら、並びに近代の名文の双璧《そうへき》であると称揚している。
『寒山拾得』の、
「閭《りよ》は小女《こおんな》を呼んで、汲立《くみたて》の水を鉢《はち》に入れて來《こ》いと命じた。水が來た。|僧[#底本では旧字体]《そう》はそれを受け取つて、胸に捧《ささ》げて、ぢつと閭を見詰めた。(以下省略)」
 の部分である。これについて、三島は次のように感想を述べている。
「この文章はまつたく漢文的教[#底本では旧字体]養の上に成り立つた、簡潔で|清[#底本では旧字体]淨《せいじやう》な文章でなんの修飾[#底本では旧字体]もありません。私がなかんづく感心するのが、『水が來た』といふ一句であります。この『水が來た』といふ一句は、漢文と同じ手法で『水來ル[#底本では小さな「ル」]』といふやうな表現と同じことである。しかし鴎外の文章のほんたうの味はかういふところにあるので、これが一般の時代物作家であると、閭が小女に命じて汲みたての水を鉢に入れてこいと命ずる。その水がくるところで、決して『水が來た』とは書かない。まして文學的|素人《しろうと》には、かういふ文章は決して書けない」
 とこのように、その文章の特質をものの見事に言い当てているのは、さすがに天才的文章家三島らしい。
 そして彼は、さらに言葉をついで、
「鴎外の文章は非常におしやれな人が、非常に贅澤《ぜいたく》な着物をいかにも無造作に着こなして、そのおしやれを人に見せない(略)といふやうな文章でありまして、駈《か》け出しの人にはその味がわかりにくいのであります」
 と言っているのだが、こういうところを読むと、これは先の佐藤春夫と同じことを言っていることがわかる。
「水が來た」、それは思うに全く英訳を拒否する文章である。仮に英語で言えばたぶん「The maid brought a bowl of water」とでも言わねばなるまいけれど、それではまったく英作文の例文みたようで、とてもそこに文豪鴎外の文章の精髄がこもっているようには見えぬ。
 だから、それを外国語の翻訳でしか読むことの叶《かな》わない外国の人には、結局鴎外の文章の真の味わいは、容易に諒察《りようさつ》せられぬであろう。また、バウリング君ほどの日本語の達人をもってしても、鴎外のこの単純にしてなお豊かな詩情をたたえた文章の味わいは、なかなか感得できぬものと見えるのである。
 それでは、単純ならばそれが良い文章なのかといえば、それは勿論《もちろん》そうではない。もしそうなら小学二年生くらいの幼童のものした「きょうカレーをたべた」などという文章こそ、そのもっとも精美なるものだということになるであろう。じじつ、このごろでは四歳だか六歳だかの年端《としは》もいかない子供に、いたずらなる文章を綴《つづ》らしめて、もって天才少年作家などと、やくたいもないことをいうものがあるけれど、もとより取るに足らぬ。
 中国で発達した所謂《いわゆる》山水画の世界では、ただ手先が器用で、巧みに目に見える形を模し、それらしい風景を描いたとしても、それだけでは味わい深い山水にはならぬ、と教えた。東洋の絵画は、簡潔と省略を尊ぶ。それは、空間恐怖のようにみっしりと形を描き、塗り重ねて、全部の画面を隅々まで埋め尽くす西欧的なスタイルとは、明らかに一線を画している。すっと一筆の墨を白紙に掃いて、それで山や、河や、時には動植物や人物までも表現することがある。
 さてその一筆の墨が、ただに幼童のイタズラ書きになるか、それとも神韻縹渺《しんいんひようびよう》たる名画になるか、の分れ目はじつに「書巻《しよかん》の気《き》」の有無というところにかかっている。
 いかに絵画的の才能が非凡であって、子供の頃から巧みに描くことができようとも、それは手先の技、職人芸というに留《とど》まる。絵のなかの景物が、生き生きとした精彩を放ち、その人物が深いメッセージを語るのは、その絵の作者が、どれほど多くの書を読み、研鑽《けんさん》沈潜を重ねたかということによる、というのである。こういう思想が、文人画というものを生んだ力なのであった。
 文久二年に生まれた鴎外は、既に五歳の幼きより論語の素読を授かり、あたかも神童の誉《ほま》れ高かったことは、有名な事実である。学は和漢洋の三才に亙《わた》り、その読書は絶倫で、それらがしっかりと骨肉の間にしみこんでいたのが、鴎外という人である。
 そういう人にして、初めてこの「水が來た」が書けるのである。『高瀬舟』にしろ『堺《さかい》事件』にしろ、あるいは『じいさんばあさん』にしろ、みなこういうしっくりした簡潔な文体の中から、馥郁《ふくいく》と書巻の気が立ち上るのを、私は感じる。なにかこう風韻のようなものの向こうに、潔《いさぎよ》い意志とか、奥ゆかしい心とか、そういう一見古くさく見えて、実は時代を超えた普遍性を有する懐《なつ》かしいものが……つまりは人間というものがほの見えてくるのだ。
 これらは決して難しい作品ではない。読めば誰でも分る。誰でも理解出来るという点においては、漱石《そうせき》の小説などより数倍分り易《やす》い。にもかかわらず読者の数は漱石が鴎外を圧倒しているのは、ひとえにこの「水が來た」の美学が、初心者には理解されないせいであろう。
 国語の嫌《きら》いな人や、文章を苦手とする人は、『上手な文章の書き方』などという下らぬ本を開くよりは、まずこの鴎外の分り易いものを三読されよ。そして、何か感ずるものがあったら、必ず『澀江抽齋』を読まれよ。再読三読、そして、ああ日本語にはこんなに美しい文章があったかと、驚かれよ。げに翻訳の不可能なるところに、私たちの魂が宿っているかもしれぬのである。
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