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テーブルの雲14

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:車窓の冷凍|蜜柑《みかん》 東洋人には昔から不思議な性癖があった。この四季の恵み豊かな自然の中で、それぞれの季節のいわゆ
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 車窓の冷凍|蜜柑《みかん》
 
 
 東洋人には昔から不思議な性癖があった。この四季の恵み豊かな自然の中で、それぞれの季節のいわゆる「旬《しゆん》」の食べ物を口にしたいと願いながら、反面また、なんとかして季節外れのものをも食べてみたいと念願してやまなかったのである。それで、中国の『二十四孝』などを見ると、雪の積もった厳寒の季節に春の食べ物の竹の子を食べたいとか、氷の張った川で魚をとって刺身を食べたいなどということが、老人の願いの大きなものとして出ている。初物を食べると寿命が延びるなどというのも、いわばそういう意識の延長上にあるのである。これが、一方で促成栽培ということを発達させ(これは江戸時代からあった)、もう一方で古くは「ひむろ(氷室)」などを作らせる贅沢《ぜいたく》へと発展したのである。
 この氷の長期保存や利用ということに関しては、日本は歴史的に世界の最先進国であったといってもよいと思うのであるが、しかし、それは所詮《しよせん》一部の金持ちや貴族の道楽という域を出なかった。
 近頃《ちかごろ》私は、とんと鉄道で旅行をしなくなったので、今でもまだあるかどうかよく知らないけれど、私たちが少年だった頃には、旅行というとカチカチに凍らせた蜜柑がつきものだった。
 まだ蒸気機関車が走り、列車には冷房もなく、夏は窓を開けて走った頃の話である。ターミナル駅の発車ホームには必ず、四角い保冷ケースに入ったカップ入りのアイスクリームと、赤い網の袋に入った冷凍の蜜柑が売られていたものだった。
 この冷凍の蜜柑なんてものは、それほど特筆すべき美味ではないと思うのだが、たしかにそれは、夏の旅行の|嬉しい気分《ヽヽヽヽヽ》の象徴だったといってもよい。買った時には、まだカチカチに凍っていて、皮を剥《む》くことも出来ない。それが、ゴトンゴトンと列車が動きだし、横浜を過ぎる頃には、窓から吹き込む熱風に融《と》かされて、まわりが柔らかくなり、露を帯びて手の中で冷たく濡《ぬ》れていた。それを私たちは「ツメタイ、ツメターイ!」などとはしゃぎながら、そろそろと剥いて食べた。皮は融けてふやけたようになっていたけれど、中身はまだ凍っていてシャキシャキとシャーベットのような歯ざわりだった。こういう果物の冷凍が始まったのは今世紀の初頭のことだそうであるが、それは昔のセンスでいえば王侯貴族の楽しみにも匹敵するものだったろう。季節外れの蜜柑を、しかもこの暑い夏に凍らせて食べる、それがどれほど豊かな気分を味わわせてくれたか、現代の子供にはもはや理解の外《ほか》かもしれぬ。いや、もっと昔、それが最初に実用化された頃のことを想像すると、それはまさに「雪中の竹の子」にも匹敵する、めくるめく贅沢であったに違いないのである。
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