もう何年か前に亡《な》くなられたが、遠藤諦之輔《えんどうたいのすけ》という古書修補の名人があった。ただ職人として腕が良かったというばかりでなく、最晩年に至るまで、研究熱心な古書修補学の先進的学究でもあった。もともと宮内庁書陵部の修補専門官だったが、定年後は小金井の自宅を仕事場として、ごく貴重な筋の良い文献だけを心を込めて修補された。
その頃私は慶應義塾大学の斯道《しどう》文庫という文献学の研究所の研究員だったが、折々文庫の貴重書を修理するという時には、私が大切に遠藤さんのところまで持参して、修補が済むとまた取りに伺った。遠藤さんは少しももったいぶったところのない方で、私などが行くといつも仕事場に入れてくださり、「こういう虫喰《むしく》いはね、こんな風に裏打ち紙を手でちぎってね、一つずつとめるんです」などと懇切に隠さず教えてくださった。それがどれほど書誌学の勉強になったか分らない。
あれは何だったろうか……具体的な書名は既に忘れてしまったが、ともかく室町時代の大振りな写本だった。その本は一度水に濡れて紙がくっついて固まり、その上から真っ黒くカビが生えて、手も足も出ないほど傷《いた》んでいた。遠藤さんのところに持っていくと、包みを開けるなり「ははぁ、こりゃひどい。斯道文庫はいつもやりがいのある仕事を下さいますねぇ」と苦笑された。それから暫《しばら》くして伺うと、遠藤さんはちょうどそのくっついた紙を剥《は》がし終ったところだった。「水でくっついたものは水で剥がします。もっとも乱暴にやると朱の墨が流れちまうので、そこが問題でね」と言って、複雑慎重な仕事のあらましを包まず話してくださった。それからまた暫くして、修理が終った。取りに行くと、見違えるように美しく修補されたその本が高雅な気品を放って目の前に置かれていた。「一世一代の大変な仕事でした。けれどもこの仕事をやらせていただいたおかげで、正倉院の蝋燭文書を手掛ける自信が付きました」と遠藤さんは微笑《ほほえ》まれた。
蝋燭文書というのは真っ黒く固まってしまった古い御物《ぎよぶつ》の巻物で、その棒のように固まった姿が昔の和蝋燭みたいなのでそう呼ばれるのである。私は本当に遠藤さんに蝋燭文書を手掛けさせて上げたいと思った。また遠藤さんでなければそれは出来ないだろうとも思った。
しかし、それから間もなく遠藤さんは突然死んでしまった。蝋燭文書の修補はとうとう永遠に見果てぬ夢となった。