今から思うと、その頃《ころ》森武之助先生はまだ五十六歳かそこらだったのだが、大学二年生の私たちから見ると、ずいぶんおじいさんに見えた。長身の背を曲げるようにして、教室に入ってこられると、ちらりと私たち学生の方を一瞥《いちべつ》されたきり、何だ面白くもないという顔つきで、すぐに講義を始められた。それはいかにも軽妙な感じの池田|弥三郎《やさぶろう》先生とは好対照で、とっつきの悪い、おっかない先生のように見えた。
講義は文学史で、江戸時代の小説の歴史を講じられた。
だいたいが、先生の声はくぐもったような低い声調で、教室のちょっと後ろの方へ行くともう聞こえなかったが、さりとて一番前の方で聞くのは、先生に睨《にら》まれているようで気が進まなかった。要するに私たちは先生が恐《こわ》くてしょうがなかったのである。荒い声を出されるとか、鉄拳《てつけん》を振るわれるとか、そういう野暮な種類の恐さではない。先生の|こわさ《ヽヽヽ》は、もっぱらその「目」にあった。
講義中、先生は講義ノートを見られるかたわら、顔をノートから上げて学生の方をご覧になることがあった。そういうとき、先生の視線は漠然《ばくぜん》と教室の空中を泳がれるのではなく、いわば「睨みつける」ように学生ひとりひとりの目を正視されるのだった。お前らが勉強していないことくらい分っているぞ、と言っておられるようなその目つきはいつも少年のように澄んでいて、目が合うと、こちらの視線をはねかえして、網膜に突き刺さってくるようだった。
不埒《ふらち》な学生だった私は、したがって、たいてい先生の視線の射程から外れるあたりに席を取ったものだったが、そうすると困ったことに今度は先生の声も射程外になってしまって、先生がおっしゃったことを一向に聞き取ることが出来ないのだった。
講義はまことに坦々《たんたん》としたもので、江戸初期の仮名草子から幕末の合巻本に至るまで、江戸時代の小説の展開を辿《たど》って行かれたが、なにしろ、殆《ほとん》ど聞こえなかったので、どんなことを話されたものだかよく分らない。おおむね、まず作品をあげてその概略を話され、それからこの作者なり作品なりについて文芸的な意味での評価を下されるのだった。そのような締めくくりの批評を述べられる前には、たいがい喉《のど》にからんだタンを払われるように微《かす》かに口を開いて咳払《せきばら》いをされる。だから、その直後には少し声がはっきりして、批評のところだけは、射程外にいる者たちにも辛うじて聞こえて来るのである。が、私の印象に残っている限りでは、どういうわけか、それらはたいてい否定的な評価なのだった。
「これが、まーったく、くだらない悪ふざけばかりの作品で」とか、「これもまた、じつはまるで類型に過ぎないものです」とか、「これまた、なーんにも取柄《とりえ》のない無性格な男が、意味もなく泣いたり笑ったりするような、馬鹿《ばか》げた作品で……」などというように、次々と繰り出される一刀両断的な批評のところだけが、その声の調子、言葉の抑揚、すこし首を斜めにされて学生たちを睨みつけられるその仕草などとともに、今も彷彿《ほうふつ》と思い出される。
若かった私は、なんというくだらない馬鹿げた作品ばかり取り上げる先生だろう、と呆《あき》れてしまったが、そうはいいながら、不思議なことにそういう先生の弟子となって、実際くだらない作品ばかり多い江戸時代文学の研究者になってしまったのだった。
やがて、卒論、大学院、と森先生の膝元《ひざもと》で過ごしたのだったが、その間、指導らしい指導は殆どしていただいた覚えがない。しかし、それは先生が教育者として無能だったとか怠慢だったとかいうことでは決してない。いま、自分も教職にあって思うのだが、森先生は本当に優れた教育者だった。教育はただ知識を教えることではない。そんなことより大事なのは、弟子が「自分で自分を育てる」のを、どれだけ我慢強く見守ってやれるかということである。小乗的な二流の先生は、つい我慢しきれなくて口出しをし、弟子の自ら伸びる力を曲げてしまう。大乗的な一流の先生(つまり森先生のような)は、余計なことを教えない。教えずにじっと我慢していてくださる。その間に弟子たちは、試行錯誤しながら、自分で自分を育てて行くのである。
「これもまた、じつに、くだらない作品で……」と江戸時代の俗小説を切り捨ててやまなかった先生が、私たちの論文や研究に対して、「これもまた、じつにくだらない研究で……」と内心苦々しく思われたことも再々あったに違いない。けれども先生は、あの純真な眼差しでこちらの心の中まで静かに見通して無言で諭されるばかりで、口に出して「指導」されることはついになかった。そのことが、私にとっては、一生の御教えであったと、今になってつくづく思い当るのである。
教壇に立って、学生と対峙《たいじ》しながら、ときどき私は先生の口調を真似《まね》てみることがある。「三十度を超えるような暑い日に勉強なんかすると、頭が馬鹿になりますから……」などと言って学生をケムにまく時とか、文学史の講義で、ひとしきりくだらない小説の筋を話してから、「これが、じつに、くだらない作品で……」などとやっつけるとき、私の心の中には、あのなつかしい森武之助先生が、いますが如く蘇《よみがえ》って来るのである。