このごろはすっかり行かなくなったが、十五年くらい前までは、夏は蓼科《たてしな》の山奥の山荘で過ごすことが多かった。その別荘地を管理する会社のKさんは、この辺りで生まれ育った人で、そこらの山に滅法詳しかった。そうして、何も分らない私たちを、夏はマタタビ採り、秋は茸《きのこ》狩りに連れていってくれたものだった。
マタタビは正しくはミヤママタタビというのだそうで、その名のとおり、山奥の古木にまつわりつく蔓性《まんせい》の植物である。Kさんは「マタタビィ採り行きましょ」と朴訥《ぼくとつ》な信州弁で誘いに来てくれる。見れば地下タビを履いて、腰に竹の編み籠《かご》を括《くく》りつけ、万全のそなえである。私たちも恐る恐る運動靴に軍手というようなおぼつかぬ拵《こしら》えで、あとに従った。
Kさんは見晴らしの利《き》く崖《がけ》っぷちなどに立つと、手かざしをしてそこらの斜面をぐるりと眺め回した。そうして、目敏《めざと》く何かを見つけると、やおら指さし「あれあれ、あれせ。あの大きな木んところに、葉っぱの半分白くなったマダラみたいな蔓草《つるくさ》がからみついているでしょ。あれが、マタタビせ。さぁ、行って採りましょ」とそんなことを言ってずんずん崖をおりていった。やがて目的の古木のところにたどり着くと、ひょいひょいと身軽に枝に身を委《ゆだ》ねて、あっという間に登って行く。私たちも真似をして枝の低いところにつかまってみたが、とうてい彼のようには登ることができないのだった。ところが生憎《あいにく》マタタビは枝の高い日当りの良いところに沢山なっていて、下のほうにはあまり実っていないのである。Kさんが籠に一杯採る間に私たちは辛うじて一握りも採れれば良い方だった。Kさんは気の毒がって、私たちにたくさん分けてくれた。
マタタビの実は、キーウィを青くしてうーんと小さくしたような姿の果実である。味も、よく熟したのは甘くてジューシーでとても食べやすい。Kさんたち地元の人は、それを塩漬《しおづ》けにしたり、マタタビ酒を作ったりして賞味するのだったが、私はそのどちらでもなく、そのまま生で食べたり、または砂糖で甘く煮て、爽《さわ》やかなジャムを作ったりした。ジャムはその実のなっていた高い空の、青い空気の香りがするようだった。マタタビは、たまに店で売っていることもあるけれど、あの山奥のそれのような美味ではない。Kさんも今はその会社を辞め、マタタビのジャムも、口にしなくなって既に久しい。