私たちが少年だったころ、父は経済官僚として、ひどく忙しい生活をしていた。それゆえ、よそのお父さんたちのように日曜日にキャッチボールをしてくれたとか、遊園地へ連れていってくれたとか、およそそういう記憶がない。だいいち普通の日は、朝は早くから出かけてしまい、夜は私たちが起きているうちには帰ってこなかった。だから平日の夕食に父がいたことはほとんどまったくなかったといってよい。それでいて、たまの休みの日には、むずかしい顔をしてせっせと原稿を書いていたり、または本を読んでいたりで、話しかけると「考え事をしているのでウルサイ」などとおこられたりした。そのかわり、そういう休日の夕食のときなどは、いつも朗らかで、フランスの珍談など、愉快に話をして飽きなかった。それゆえ、私たちは、父親というものは、日頃は仕事、休みの日は勉強、そうして食事のときは愉快に|おしゃべり《ヽヽヽヽヽ》をするものだと思いながら育ったわけである。
とはいえ、彼もまた、子供たちに対して|いちおう《ヽヽヽヽ》父親らしくしたいという気持ちはあったに違いない。そういう「罪滅ぼし」みたいな気持ちは、父の場合「食べ物を買ってくる」という形で表現されるのが普通だった。
私が中学三年生で、ちょうど高校受験の勉強にいそしんでいたときのことである。父は突如として、見たこともないほど巨大で上等なバナナを山のように買って帰ってきた。そうして「望《のぞむ》が勉強をしているので陣中見舞いにこれをやろう」というようなことを言った。私は、なんでまたバナナなんだろうと思いながら、その胸が焼けそうな大バナナを黙々として食べ「ありがとう」と礼を言った。そうして希望の高校に受かった。
それから三年|経《た》って今度は大学受験になった。私はなかなか勉強家だったので、毎日夜遅くまで一生懸命机に向かって受験勉強に励んでいた。すると、父がこんどは新聞紙にくるんだスッポンを買ってきた。そうして「受験をするには精をつけなければいかん」と言った。私も母も、この奇体なる激励に首をひねりながら、それでも母が必死で料理し、食べたら旨《うま》かった。そこで「これは旨い。ありがとう」と礼を言った。これがスッポンを食べた最初である。そのせいか私はめでたく大学に合格したが、よりにもよって生きたスッポンを買って帰ろうと思うに至った父の心理は、いまだによく理解されない。