大学二年になった息子が、イギリス留学のため、成田を飛び立っていった。子供の頃《ころ》から手塩にかけて育ててきた息子で、それが、親元を離れて遠いイギリスで学問の修業をしてくる、と言って出かけていった。いつのまにか、こいつめずいぶんと大人になった、と私たち夫婦は密《ひそ》かに喜び、いっぽうでちょっと寂しい感じも味わった。
思い出すと、私が初めてイギリス留学の途に就いたのは、いまから十二年前、もう三十五歳になってからのことであった。行った先に知る人もなく、入国の時に一年のヴィザを貰《もら》えるかどうかもおぼつかず、英語にもからっきし自信がなくて、ほんとうに心細かった。ショボショボと景気の悪い雨の降る夜で、オジサン風のスーツを着てのパッとしない旅立ちだった。そんな情けない事がふと思い出された。
息子は、私たちの教育方針のしからしむるところか、それとも天性の質か、極めて独立独歩の人となった。そうして、自分は学問をすると宣言して、その基礎として英語を勉強の為イギリスに留学すると言いだした。むろん私たちは、何の反対もなく、私たちにできる限りの助力を与えた。しかし、学校の手続きなど、彼は自分でとっとと実行し、あれよあれよと言う間に、すっかり手はずを調えてしまった。
そうして、出発の日は、たちまちに迫ってきた。
「僕は一切振り返らないよ」
私と妻のほかに、妻の母つまり彼にとっては祖母、の三人が見送りに行く、と言ったとき、息子は、ちょっと緊張した表情でそう言った。
空港の通関口の所で、彼は「じゃ、行って来ます」と言った。私は「せいぜい、たくさん恥を掻《か》いてくるようにな」と、柄《がら》にもない教訓を与えた。息子は、さっと向こうを向くと、そのまま愛用のスペイン製ギターを抱えて、足早に階段の向こうへ降りていった。妻はさすがにすこし涙ぐんで見えた。私たちはそのまま二階のロビーから、搭乗《とうじよう》口への通路を見ていた。やがて、青いセーターをぐずぐずに着た息子が、通路を通って行くのが見えた。彼は、その言葉どおり、最後まで一切振り返らなかった。それで、まったく平気な態度で、すたすたと搭乗口の方へ消えていった。
私はそれを見送りながら、自分は初めてイギリスへ旅立った時、ちょうどあそこで振り返って手を振ったっけ、ちょっと涙が出そうになったよなぁ、と十二年前の夜を思い出した。そうして、小柄な息子の「背中のダンディズム」に密かに拍手を送った。