私は酒を飲まない。いや正確にいうと「飲めない」のである。ところが、こういうと、世の中には無茶な人がいて、
「そりゃハヤシさん、あなた訓練が足りないからですよ。いや不肖この私もです、若い頃《ころ》は一向に下戸でしたがね、ま、世の中に出て先輩たちに訓練されて、今では酒無くて何のこの世ぞ、ですよ。あなたもそういう青いことを言わずと、まあ一つ練習してごらんなさい」
などと、したり顔で教訓したりする。酒を飲まないものは一人前の人間にあらず、という勢いである。
こういう人がいるから、時として急性アルコール中毒で死ぬ人が出たりするのである。困ったことである。
では、私が酒を飲むとどうなるか。
私も、じつは自分が酒を飲めない体質だということを、最初は知らなかった。それで、大学生になったときに、ご多分にもれず、クラブの歓迎会でビールを一、二杯無理やりに飲まされて、たちどころにひっくりかえった。それから一昼夜ひたすら吐き続けて散々の目にあったが、それでも何事も練習だと思って、繰り返し試みてはみたのである。しかし、実際は、その度に悶え苦しむだけのことで、ついにはパブロフの犬のように「酒=吐き気」というのが条件反射になってしまったのである。今でもビールの匂いは直ちに吐き気とつながっていて、まことにああいうものを飲む人の気が知れないという感じがする。
その後、庭でなった梅の実で梅酒をこしらえたところ、あまりに良い匂いなので、茶匙《ちやさじ》に一杯だけ、ちょっと嘗《な》めてみたことがある。このときはテキメンにアレルギー発作をおこし、急性の喘息《ぜんそく》のようになって、息がまったく出来なくなってしまった。家人が慌《あわ》てて救急車を呼ぶという騒ぎになったが、幸い量が少なかったので、命に別状はなかった。けれども、もしヤミクモに「イッキ、イッキ!」などとやらされたら、たぶんあえなく一巻の終りであったろうと思うと、まったく背筋がぞっとするのである。酒飲みの諸君は、だから、ゆめゆめ人に酒を強制するような愚行を犯してはならぬ。酒は、好きな人が、自分の楽しみとして、ゆっくりと、好きなようにたしなめば、それでよろしいのである。
そこでこれより「酒の品」ということにつき少しく愚見を陳《の》べる。
幸いに死にもせず齢《よわい》五十に近い今になってみると、それなりに酒の席にも数多くはべり、さまざまな酒飲みの生態を、シラフであるのをよいことにじっくりと冷静に観察させていただいた。そうすると、まことに酒の力というものは恐るべきもので、仏の浄土じゃないけれど、上品《じようぼん》、中品《ちゆうぼん》、下品《げぼん》の分かちがあって、いかに日頃きれいごとを言っていても、その人が上等の人か下等の輩《やから》か、ごまかすところもなく露顕してしまうのだった。
タレント教授として有名だった慶應義塾大学の故池田弥三郎先生などは、さしずめこの上品中の上品の人だった。先生は大変にお酒がお好きで、また弟子たちを集《つど》えて賑《にぎ》やかに酒盛りをされることも多かった。私自身は先生の直接の弟子ではなかったから、その酒盛りに参ずることはそれほど多くはなかったけれど、学科の旅行や正月の祝いなどの折に、いつも先生が座の中心にあったのを、よそながら眺《なが》めていた。また、先生と東京下町の旨いものを食べ歩く会、というのを数人の友人たちとやっていたことがある。その時も、先生はいつも朗らかに、いかにも美味《おい》しそうに、飲みかつ食べ、陶然と、けれども品良く宝塚の歌を歌い、または江戸の俗謡を吟じなどして倦《う》まれなかった。その間、先生が乱酔|狼藉《ろうぜき》に及ばれるとか、朦朧《もうろう》たる口調で大言壮語されるとか、その種の嘆かわしい態度を見せられたことはついに一度もない。
しかし、先生が上品《じようぼん》の酒飲みたるゆえんは、その先にある。
こういうときシラフの私は、座の隅《すみ》っこに小さくなって、歌も歌わず、大声も出さず、ただ黙々と料理を食べているというのが常態だったが、先生はそういう私にまで、いつもぬかりなく視線を配っておられ、
「おい、ハヤシ、ご馳走《ちそう》を食べてるか。コイツァ、しょうがねぇなぁ、なにせ特異体質だからなぁ。せめてたくさん食べていけよ」
と、そう言って、決して酒を強《し》いたりまた下戸ゆえに疎外したりということをされなかった。そればかりか、どんなに愉快な酒席でも、ある時間がくると、ぴたりと閉会を宣言せられ、酒飲み組の学生のひとりに会計方を命じられるのだった。私がシラフだからといってそういうことを命じられるということはされないのである。酒を飲む者は、どんなに酒を飲んだとしても、なすべきことはきちんと出来なければいけない、それが先生の飲酒哲学だったからである。
私にとっての幸いは、慶應で直接にお教えを受けた故森武之助先生もまた、同じように上品の酒飲みでいらしたことである。先生はまた一段と大酒飲みだったが、いくら飲んでも顔色ひとつ変えられなかった。そして、飲むほどに酔うほどに、清談粋話、静穏な声調で愉快な話柄《わへい》を次々と披露《ひろう》されて、脇《わき》で聞いているのは本当に楽しかった。しかし、お正月に年始の会に伺うと、「ハヤシは甘党だからなぁ」とおっしゃって、黄色い栗《くり》キントンを山のように出してくださるのだけは、正直ちょっと閉口だった。
まだまだ他にも何人かは、こういう立派な上品の飲酒家を存じ上げているけれど、しかしそれは酒飲み全体の中でいえば大海の一滴と言おうか、まったく例外的な存在に過ぎないのである。
中品は、最も多い。これはまず普通の酔っぱらいである。酔うに従って段々と正体を失うが、こっちとしてはあまり迷惑は被《こうむ》らない。ただ、この種の人は時折人に酒を強いることがあるのでちと困る。こういう人とは、酒の席では大切な話はしないことにしているけれど、シラフの時はもちろん信用しないわけではない。
下品の輩は、酒乱のたぐいで、これは日常小心翼々として善良らしく振舞っていながら、ひとたび酒を喫するや、面相は変じ、大声をみだりに発して勇豪を装い、陽《ひ》の高いうちから、はや盃《さかずき》を舐《ねぶ》るというようなだらしない人間であって、こんな連中は、必ず人に酒を強いてやまぬ迷惑千万な小人《しようじん》どもである。こういう種類の人は、たとい彼がシラフの時であろうとも、私は一切信用しないことにしている。
そして、私が非難してやまないのはこの下品の輩で、池田、森両先生のごとき上品の人とだったら、もう一度酒席を共にしてみたかったとさえ思うのである。