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テーブルの雲32

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:おこめ 米という字を分解すれば「八十八」、米がわれわれの口に入るまでには、農民が手を尽くすこと八十八度、春夏秋冬に及ぶ辛
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 おこめ
 
 
 米という字を分解すれば「八十八」、米がわれわれの口に入るまでには、農民が手を尽くすこと八十八度、春夏秋冬に及ぶ辛苦がこめられているのだぞ、などと私たちはもっともらしい語源説(というか教訓説)を聞かされて育ったものだった。そして、それだから「米は一粒も無駄《むだ》にすまい」、また「一口の米は八十八回ずつよく噛《か》んで、感謝していただけ」などとも言われたのを覚えておいでの方も少なくないに違いない。
 けれども、ごく一部の、なにか特別な食養生法を信奉し実践しているのでもない限り、そういう「八十八度噛む」などということを実行している人はめったとあるものでない。実際は、たとえば昼食などは実質五分かそこらでガツガツと掻《か》き込み、食休みもそこそこにお次の人と交替するとか、ツルツルと蕎麦をのみこんで(蕎麦をモグモグとよく噛んでいたひにはせっかくの味が台無しになるというものだ)薬味の葱《ねぎ》を歯にひっつけたまま出ていくとか、およそそんな風に殺風景なのがほとんどだろう。
 それで、日本人はせっかちで働きすぎだとか、生活に余裕がないとか、これをある意味での「生活の貧しさ」に結び付けて説くむきもないではないが、いや、ちょっと待ってもらいたい。
 象徴的な(あるいは倫理的な)意味はさておくとして、じっさい「味わう」というタームズで見れば、米はほんとに八十八回も噛む必要がある食品だろうか。栄養学的にまた医学的にはそうした方が消化が良くてよろしいのかもしれない。けれど、曇りのない目で見れば、米はもっとも柔らかな主食の一つで、それほど必死になって噛む必要はないものであるに違いない。
 たとえば寿司《すし》。あの江戸前の寿司を、グチャグチャといつまでも噛んでいたのでは、もう食べる甲斐《かい》がないというものだ。寿司をつまむときは、パクッと頬張《ほおば》って、さっさと軽く噛んで、ぐっとのみこんじまうのが一番おいしい。ねっ、そうでしょう。農民への感謝を心に念じつつ瞑目《めいもく》して、寿司をいつまでもいつまでもニチャニチャ噛んでいたら、そりゃやっぱりおかしいじゃないか。
 寿司の飯などは、飯の中ではもっとも固くしっかりと炊《た》かれるものであろうけれど、その寿司にしてからがかくの如《ごと》くである。飯は喉《のど》をスッと滑っていくのである。まして、病人食たるお粥《かゆ》とくると、これは最初から噛まずとそのままのみこんでも大事ないようにできている。
 総じて柔らかいことは良いことなのだ。
 すなわち、日本人の「食事」の根本を探ってみると、「柔らかくて噛まなくとも大丈夫」ということが、ことのほか重要なファクターになっているのである。
 だいいち、まず日本人のタンパク源たる魚介類、これは概《おおむ》ね柔らかなものである。そんなことはない、じゃスルメはどうだ、などという人は相当根性の曲った人である。よろしいか、スルメは、あれは御飯のおかずではありませぬ。あれは酒のみがニチャニチャ噛んで、しみったれて酒を飲むための道具であります。わが国の伝統では酒を飲むことと食事とはまず別の事柄《ことがら》と考えるのである。魚肉というものが西洋の獣肉に比して、充分に軟質な食品であることは自明のことである。魚は箸《はし》でもむしって食べられるが、一般に獣肉は箸ではむしれない。そこで、この「柔らかなもの」に慣れた我々の口が、たとえば牛肉のようなものに関してさえ、「魚肉のように」柔らかなことを求める(豚肉だって、西欧のそれに比しては日本の豚は非常に運動不足で肉が軟弱である)。こうして、霜降りで箸でも割って食べられる程に軟弱な肉が作られるのである。そんなものを美味しがるのは魚肉民族たる我々だけで、西洋人はそういう風には感じないのが当り前である。
 柔らかな御飯と軟質な魚肉というのが、相性の良い組み合わせだとしたら、西欧的な固く筋っぽい獣肉には、当然しっかりと固いパンというのが、相方《あいかた》にふさわしかろう。それゆえ、パンを主食的な感じで食べるフランスのようなところでは、パンはあのしっかりと噛みごたえのあるフランスパンとなった。
 こうして、狩猟牧畜民族である西欧人は、いやでもよく噛まなきゃのみこめない食物をゆっくり|噛みながら《ヽヽヽヽヽ》味わうようになり、この「噛む習慣」が西欧人の顎《あご》の骨を充分に発達させた結果として、彼らにはいわゆる乱杭歯《らんぐいば》や反《そ》っ歯が比較的に少ないのである。逆に、日本人のように、柔らかい食事を好んで、あまり|噛まないこと《ヽヽヽヽヽヽ》に美学を見いだしてきた民族では、顎の骨が未発達に終り、結果的に歯並びの悪い人が多くなったということだ。
 要するに、われわれは、滑りの良い柔らかなものを、あまり噛まずに、のみこむがごとくにして食べたいのである。「八十八回噛め」などという標語は、そういう「噛まない習慣」に対する反措定《はんそてい》なのである。それは、だから百万回唱えても無駄である。
 私たちの食生活が、米を中心として、その周りに柔らかな魚肉とおとなしい野菜を組み合わせるという形であるかぎり、「噛まない方が美味しい」というこの皮肉な事実は変りようがない。いや、この頃は日本人だってずいぶん肉を食べるじゃないか、などといっても駄目である。なにせ、日本では肉さえも「御飯のように」ふわっと柔らかく飼い慣らされてしまったからである。
 そういう風に見ていくと、日本人が近頃ずいぶん米を食べなくなったとはいっても、食文化の中心として米は筆舌に尽くし難く重要な「意味」を担《にな》っていることが分る。
 先日東京新聞に、農民作家の山下|惣一《そういち》さんが、「米は安すぎる」と書いておられた。計算すると、十キロ五千円の米でも一|膳《ぜん》あたり三十円に過ぎないそうである。私も、この山下さんの意見に百パーセント賛成である。コメは大事だ。どんなに税金を使っても、日本のコメ農業を保護するのは国家百年の大計に叶《かな》うものである。だいいち「日本の米は高い」などと言っている人にしてからが、その何倍も高いパンを平気で買って食べてるじゃないか! パンならば百円出しても高くないけれど、農家の人たちが辛苦して作った米は三十円でも高いと言うのは、それは亡国の民というものである(ちなみにカリフォルニア米だってロンドンでは日本の米と同じように高い)。
 栄養的に見ても、味覚的に見ても、また、以上述べてきたような文化的肉体的条件から見ても、米は日本人にとって最良の主食で、国内自給体制は必ずや堅持すべきものと考える。私は生まれてこのかた都会暮らしで、農業に従事したことは全くないけれど、そういう人間でも米が高いと思っている人ばかりではないのである。
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