『徒然草《つれづれぐさ》』にこういうことが言ってある。
「よき友三つあり。一つには物くるる友、二つにはくすし、三つには智慧《ちえ》ある友」
「論語」の「益者三友」というのをもじったものであるが、その筆頭が「物くるる友」であるのが、いかにも愉快である。これを隠者兼好の、質素な生活を支えてくれる友に感謝しているのだなどと説くけれど、そんなに難しく考えなくともよいだろう。単にプレゼントを貰《もら》えば嬉《うれ》しいよ、とニヤリとしている彼を想像する方が当っているかもしれない。こういう良き友を私は何人も持っている。これは人生の幸いに違いない。その良き友の一人Kさんが、最近「いちご煮」というものの缶詰《かんづめ》をくれた。郷里|八戸《はちのへ》の名産ですといって下すったのである。これは、八戸以外の地方ではあまり馴染《なじ》みのない料理である。
「いちご煮」といったって、あの赤くて甘い果物の苺《いちご》とは毫《ごう》も関係がない。これは、ウニとアワビを澄ましの汁で煮たもので、味は主として塩味である。どうして、ウニとアワビの潮汁のようなものをわざわざ「いちご煮」なんていうのだろうか。名は体を表さないじゃないか、と思うのだが、説明によると、このかすかに白濁した澄まし汁のなかにつぶつぶしたウニと白いアワビがボォッと霞《かす》んで見える風情《ふぜい》が、春霞に見はるかす野の苺にさも似ているというところからそう呼ぶらしい。ホホゥ……。
こういう郷土料理は本来その場所に行って、現地の人の家庭料理で味わわなければ本当の味は分るまいと思うのであるが、缶詰でもまあまあどんなものか見当くらいは付く。Kさんが「必ず青ジソを刻んで入れてくださいね。青ジソですよ、要領は!」と念を押したので、そのとおりにした。かすかに甘味があって、上品な海の香りが立ちのぼる。一缶はそのまま汁として頂き、もう一缶は炊き込み御飯にした。こちらには青ジソだけじゃなくて葉ワサビも刻んで添えたら、いっそう旨《うま》かった。Kさんに、ぜひ地元でイチゴ煮を食べたいものだと言ったら、「それが海岸のほうの小さな食堂で食べるのが美味《おい》しいのですよ、ほんとはネ」と教えてくれた。なるほどそうか、そうなるとこれはKさんに案内してもらわなくてはなるまいが……。いやいや旨いもののためには千里の道をも遠しとせずして行くべし、しかし八戸の海岸まではちょっと遠いなぁ。