「おい、この穴の奥のほうで骸骨《がいこつ》が発見されたっていう話だぞ」
赤土の崖《がけ》に穿《うが》たれた横穴の奥には、あやかしの闇《やみ》が潜んでいる。
そこは、吸血|蝙蝠《こうもり》が跳梁跋扈《ちようりようばつこ》し、苔《こけ》蒸した人骨が散乱し、秘密の隠し戸の向こうに底知れぬ地底世界が広がり、ひとたび入ったら最後、二度とこの世界には戻ってこられない、かもしれないとそんな気がした。
少年だった私たちは、手に手に蝋燭《ろうそく》や懐中電灯を持ち、背中のナップサックには水筒や非常用食料(つまり乾パンとかビスケットとかですが)を携行して、おそるおそるその闇の中へ進んで行った。赤土の壁には、なんだかぬるぬるするような苔がびっしりと生え、澱《よど》んだ黴《かび》臭い臭《にお》いが充満していた。
「蝋燭が消えたら炭酸ガスが溜《た》まってるってことだからな、すぐ逃げないと死ぬぞ」
隊長格のM君(この男も今は立派な画家になっている)が訳知り顔で言う。その顔にも、やっぱり怖《お》じ気《け》が漂っている。
狭い入り口からわずかに差し込んでいる外の光は、まもなく失《う》せて、洞穴がやや曲折した向こう側は、もはや全く漆黒《しつこく》の闇だった。懐中電灯の光の輪の中に、大きな百足《むかで》がうごめいていた。それだけで、私たちははやくも逃げ腰になり、臆病《おくびよう》な私などは、「ねぇ、出ようよ、もう」と嘆願したりした。
もしかして、この穴の奥の方が複雑に入り組んでいて、二度と戻れなくなったらどうしよう、私の頭の中には、よろづの恐怖が渦巻くのだった。
しかしながら、その横穴は、ちょっと曲がった先ですぐ行き止まりになり、どう調べても秘密の隠し戸などはなさそうだったし、そこにある筈《はず》の人骨も一向に発見されなかった。私たちは、半ばホッとして、半ばはガッカリして、小走りに入り口の方へ駆け戻った。
団塊の世代に生まれて、昭和三十年に小学生になった私たちの少年時代には、戦時中にたくさん掘られた防空|壕《ごう》が、まだあちこちに残っていた。とりわけ、大岡山にある東京工業大学の構内、呑川《のみがわ》のほとりの赤土の崖には、それらがいくつも並んでいて、学校から帰ってただ遊んでいれば良かった暢気《のんき》な私たちの、格好の探検場所になっていたのだった。
親から見れば、はらはらするような危険な遊びであったかもしれない。しかし、こういう探検を通じて、私たちは、少しずつ「独立」ということを知ったのだ。
いま、たとえば『スタンド・バイ・ミー』などの映画を見ると、ああ、たしかに私たちにもああいう独立への胎動があったなぁ、と思い当たる。危険と背中合わせであったけれど、その「大探検時代」が私たちを大人にしてくれたのである。
現代、この管理され尽くした時代に、果たしてあの洞穴は残されているだろうか。遥《はる》かな昔を思い出しながら、私はコンピューターの中でしか探検することを許されていない今の少年たちを気の毒に思うのである。