「しかしなぁ、どうもアタシは車がないと元気が出ないからなぁ」
私は電話の向こうのTに食い下がった。
Tは、呆《あき》れたような声でこう言い返す。
「そりゃね、お前、とんだ考え違いというものだぜ。なにせ、ここは日本とかイギリスとかアメリカとかさ、そういう普通当たり前の考えが通用しないところなんだからさ。運転はぜひにもやめておいたほうが賢明だとおもうね、これはもう年来の友人としての衷心《ちゆうしん》からの助言だ……、たとえばね、俺たちもうこっちに何年と住んでる駐在員にしてからがさ、決して自分で運転しちゃいけないという会社の内規になってるくらいでね」
Tは決して運転が下手というのでない。むしろ、長い運転歴をもった、上等のドライバーなのだ。
「しかし、十分な注意をしてさ、そろそろと転がすくらいならまぁ、ダイジョブじゃないか、正味」
「お前もわからないやつだなぁ、なにしろね、こっちはレンタカーにしたって、『保険』というものが一向に完備していない。だから万一事故を起こしたら、そりゃ大変なことになる。悪いことは言わないから、やめとけよ、運転だけはさ」
私は、不承不承に彼の助言を容《い》れて、台湾でレンタカーを借りるのは止《や》めることにした。
やがて、飛行機が高雄国際空港に着いた。
Tが周さんという中国人運転手の運転する社用車で空港まで迎えに来てくれた。
それでも、私は運転がしたくてたまらない。だいいち車がないとまるで羽をもがれた鳥のように、身動きがままならない気分である。急に自分の周囲の世界が小さく縮んでしまったように思われる。歩いて行ける範囲などは、車の行動半径に比べればほとんど無視し得るくらいに小さい。私は釈然としない気分でTの社用車に乗り込んだ。雑然たる高雄の街路を走りながら、ああ、これが俺《おれ》の運転する車だったら、そこの道を曲がってみるのに、あの山のてっぺんまで行って、見おろしてみたらどんなだろう、とか次々に想像が膨らんでくる。
やがて、車は高雄の市街に入る。だだっぴろい街路を、縦横無尽に、それこそ一切の秩序無く車が右往左往して走る。ははぁ、これだな、Tが言ってたのは……なるほどこの無秩序の中を走るのは骨が折れそうだ。
そのうち、私は妙なことに気が付いた。この運転手は赤信号でも停車することなく右折していく(台湾は右側通行だから右折は日本の左折に相当する)。してみると、台湾の規則では信号の如何《いかん》にかかわらず交差点は常時右折可なのであるらしい。
「台湾はどの交差点も常時右折可なのか?」
私がそう尋ねると、Tがうんざりした表情で答える。
「いやさ、常時右折可じゃないさ。見ててみろ、この車だってさ、たとい赤信号だとて、左右から車が来なければ右折・左折・直進そのいずれでも、まったく自由に通過する。法規なぞだれが守るものか。ぶつからなければそれでいいじゃないか、と、こう考えるのが台湾流というものだからな」
「しかし、それは危ないなぁ」
「ああ、いかにも危ない。だから台湾の交通事故は日本の六倍の数に上るそうだ」
やがて、車は市街を抜け、郊外に出る。そこで私は妙なものに気が付いた。あちこちの電柱に「請専念、南無阿弥陀仏」と大書してあるのである。
「おい、あの電柱の『南無阿弥陀仏』ってのは、なんのおまじないだい」
Tはめんどくさそうに答える。
「知らんなぁ。まあなにか信心深い人が道祖神みたようなつもりで書くのじゃないか」
すると、だまって私たちの会話を聴いていた運転手の周さんが口を開いた。
「違いますよTさん、あれはね、あの電柱の付近で死亡事故が出たってことですよ」
なーるほど、そうなのか。そうしてみると、なるほど街道の至る所に夥《おびただ》しく死亡事故現場が存在している。
「だから言ったじゃないか。ともかくさ、この国ではね、死亡時の補償金のほうが入院だの何だのの長期の費用よりはずっと少なくて済むらしい。それでな、乱暴な奴になると、なまじはねたくらいでは後が面倒だってんで、わざわざ戻って轢《ひ》きなおしていくんだそうだ」
フーム、私はつくづくと考えた。それが本当なら、これはまた大変な国に来てしまったものだ。そうして、そんなことを夢にも考えずに楽しく運転することができる国に生まれた幸せをしみじみと考え直した。