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テーブルの雲45

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:街角のモダニズム ロンドンの街を歩いていると、羨《うらや》ましくてならないことがひとつある。 街の建物が古いまま残ってい
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 街角のモダニズム
 
 
 ロンドンの街を歩いていると、羨《うらや》ましくてならないことがひとつある。
 街の建物が古いまま残っていて、歴史やその歴史の中を生きてきた人々の心が、さながら凍結され凝固して、不思議な風韻を漂わせているからである。たとえば十九世紀末から今世紀初頭くらいの建築だったら、街中至るところにある。それは、しかもただそこに「在る」だけじゃなくて、立派に「生きて」いて、歴史というものの連続性を目に見える形で訴えかけてくるのである。
 ひるがえって、わが国では、かの鴨長明《かものちようめい》が「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と、いみじくも嘆じたごとく、街も人も常に変って行くもので、その有為転変《ういてんぺん》の中に、歴史も人も、いやすべての「存在」の実相があると観じてきた。街の景観やそれを形づくっている個々の建物などが、落花流水、はかなく散り失せてわずか数十年の命をしか保ち得ないのも、けだし当然のことだと言わなくてはなるまい。
 しかし、こういうことがないだろうか。たとえば、つい半年前までずらりと商店が並んでいた「見なれた」街並みであったものが、時に利あらず、地上げの憂《う》き目に遭って、あっという間に空き地になってしまう、そうすると、さてこないだまであれほど見なれていて、毎日のように買物をしていた、その街並みの「どこに」「何が」あったか、はてすっかり思い出せない、どんな景色だったのかも、すでに全く忘却のかなたに消え失せている、とそういう経験が……。風景の、追憶の、国籍喪失者!
 人は、なんでもない景色やあえかな匂《にお》いや、そういうはかない「もの」との抜き難《がた》い関連のなかに「人生」を生きているのである。そうすると、その景観があえなく消滅してしまった途端に、すでにあれほど強固《きようご》な記憶と見えていたものが、あっさりと跡形もなく崩れてしまうわけである。浦島太郎が、龍宮城《りゆうぐうじよう》から帰り来て、まったくおのれの郷里を認識し得なかったのは、ひとえにこの身近な景観が消滅していたそのことによる。
 つまり、山や川や、そういう変らない景色よりも、どんどん変って行く身近な街並みのほうが、私たちにとってのもっとも切実な「記憶の鏡」なのだということを、もっとよく考えておかなくてはなるまい。
 しかし、考えてみれば、木と紙で出来ていた私たちの国の家屋が、地震の多い国土の中で、それ自体滅び易いものだったことは、これはどうしようもない事実である。だから、そのことを悲しむには当らない。けれども、本来まだまだ命脈を保ち得るはずの、立派なコンクリートの建物をまで、単に流行遅れで使いにくいからというような理由で、何の未練もなく破壊してしまうという、この近視眼的傾向は、なんとしても悲しまずにはいられない。それはそういう跡形もない街並みの破壊によって、そこに息づいていた人々の「思い」をまで、洗いざらい抹殺《まつさつ》することを意味しているのである。
 そのようにして、東京の街は、どんどん変って行く。
「昔恋しい銀座の柳」など、どこにもありはしない。それは、今では、もはやその柳を恋しがる人がすっかりいなくなったということと等価であるかもしれない。
 それでもなお、私の中の「臍曲《へそまが》りの魂」は、ロンドンの街に見られるような変らぬ景観、そこに地縛霊のように張り付いている重層的追憶を求めてやまない。しかししかし、ロンドンと違って、悲しいことにそれは、東京では極めて「珍しい」景色に属するのである。
 なんでもない街並みは、その|ありふれているがために《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、失われ易い。そうすると、五、六十年前にまるで当り前だった景観は今日極めて稀《まれ》な「風景の化石」と変じ、今日もっとも見なれた景色は、数十年の後には、必ずやもっとも見出《みいだ》し難《がた》い「珍景」となるであろう。
 そういう目で街を観察しながら歩いていると、所々で「おやっ」と思うような風景に出会うことがある。
 晴海通《はるみどお》りを下って、築地の「岩間陶器店」の角を左に折れたところに同店の倉庫があるのだが、たとえばこの建物に少しく注意してみたい。この倉庫の正面に立って、ぐいと振り仰ぐと、そこに私の愛してやまない古い「東京の風景」がほの見えてくるからである。
 社長の岩間博さんに伺ったところでは、この倉庫は昭和七年に設計され同八年に竣工《しゆんこう》したもので、設計施工したのは藤原|武太郎《たけたろう》という大工さんだそうである。戦災にも遭わなかったこの好運な四階建て倉庫は、前面がくすんだ茶褐色《ちやかつしよく》の「引っ掻《か》きタイル」で覆《おお》われ、西欧的な鉄格子《てつごうし》の開き窓が三階と四階にそれぞれ四つずつ並んでいる。これがこの倉庫のひょうきんな顔である。げに「引っ掻きタイル」は、大正から昭和初期の時代によく用いられ、その頃のモダンな趣味の申し子だったのだ。
 こんにち、マンションなどの外壁にタイルを貼《は》り巡らしたスタイルは、もっとも現代的な様式として多くの人の目に親しいに違いない。それと同じように、このモダニズムの時代には、くすんだ褐色の「引っ掻きタイル」が、西欧的なそして当代的な様式として、理屈抜きで喜ばれたのである。しかも、この岩間陶器店の倉庫は、別に名のある建築家の設計にかかる名建築というわけではない。一介の大工さんが当時の趣味を取り入れて建てたのである。いわば、当時ありふれた建築物に過ぎなかったのだ。それが、今見るとどうだろう。この一つの時代を、懐かしく美しく表現しつつ、圧倒的な存在感をもって、この築地の一角に鎮《しず》まっているではないか。
 よく見ると、この建物のずっとテッペンに近いところに、何やら白い四角いものが見える。これを望遠鏡でしげしげと観察してみると、横十枚縦十二枚の総計百二十枚のタイルで出来た巨大な商標モザイクであることが分る。白地に藍《あい》の手描《てが》き染付タイルであるが、これは瀬戸へあつらえたものだそうである。この百二十枚の巨大な面積一杯に、笑顔の布袋《ほてい》さんが悠揚《ゆうよう》迫らぬ筆致で描かれている。左手には軍配をもち、右手は人差し指を立てて何かを指し示しているようだ。そして、その肩のところにこれも雄渾《ゆうこん》な字で「商標」とのみ書かれているのである。
「昔は、この倉庫の前の通りに都電の引込線が通ってましてね、その停留所で電車を待つ方々が、よくこの上の方の布袋さんを見上げていられましたなぁ……」
 岩間さんはそのように昔を懐かしまれるのだった。
 その都電も、今はもう無い。
 が、その頃この停留所で布袋さんを眺《なが》めた人が、いまもしも再びここに立ってこの倉庫を振り仰いだとしたらどうだろう。心は、数十年の月日をたちまち遡行《そこう》して、眼前に輝かしい青春時代が立ち現れるかもしれない。
 とはいえ、この建物もすでに老朽|蔽《おお》い難く、いまは危険防止のためのネットに覆われ、近く取り壊されるのだそうである。
「あの布袋さんはどうなるのでしょうか」
「さぁて、そのまま壊されるということになるんでしょうなぁ」
 こうしてまた、一つの風景が消えていく。それを私たちは悲しんではいけないのかもしれないけれど……。
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