紙と木で出来ている日本の家屋はなにしろ燃え易《やす》いから、家の中で火を飼い慣らすのはなかなか困難なことに属する。
「いろり」は、その見事な解答で、壁のどこからも離して、ということは大きな部屋の真中に、しかも不燃材である灰に包んで火を燃やすという仕組みなのだった。そうしておいて、火を微妙に調節しながら小出しに燃やすのである。すると、人々はその小さな火の回りにうずくまって煖《だん》をとる、というあのいろり端《ばた》の風景になるわけで、それは椅子《いす》とテーブルの西洋式生活には当然ながらマッチしない。家屋と室内生活の近代化(ということはつまり西欧化)に伴って、いろりが急速に滅びていったのは蓋《けだ》しやむを得ない趨勢《すうせい》であったろう。
一方、子供の頃読んだ西欧の御伽話《おとぎばなし》の絵本や、向こうのテレビドラマなんかを見ると、天井の高い堂々たる部屋の壁に立派な煖炉《だんろ》があって、その中では薪《まき》が盛大に赤黄色い炎を立てて燃えているのだった。西洋人たちはその火を囲むようにゆったりと安楽な椅子を置いて、パイプをくゆらしたりしながら、暖かそうに話をしている。私たちは、狭苦しい公団住宅なんぞに暮らしながら、あのアメリカやイギリスの、つまりは西洋人たちの悠然《ゆうぜん》たる暮らしぶりをどれほど羨《うらや》ましく思ったことだろう。その西欧的生活の象徴とも言うべきものは、ほかならぬシャンデリアとマントルピースだった。
そこで、すこし生活に余裕が出来てくると、建売り住宅などに、不釣合《ふつりあ》いなシャンデリアと、形だけのマントルピースを付けるのが流行したことがある。そういうのは、じっさい哀《かな》しいスノビズムで、たった九尺の高さの木の天井に燦然《さんぜん》たるシャンデリアがきらめき、鉄平石なんかを貼《は》りつめた見せかけの煖炉《だんろ》の中にガスストーブが燃えているのなどは、戦後という時代の嘘《うそ》くささを象徴して余蘊《ようん》がなかった。こういう薄っぺらい西欧趣味は、しかし、やがて段々すたれ、今日ではもっと本格的な(ほんとの煖炉のある)洋風住宅が現れてきたのは、ちょっと喜ばしい。
けれども、私たちの世代が、貧しかったあの時代に「羨ましいなぁ」とため息をついたあの気持ちは既に脳味噌《のうみそ》の奥深く刷り込まれ、抜き難い「憧《あこが》れ」となって残った。それ故《ゆえ》、私がイギリスに暮らすことになったとき、まず夢見たものは、どっしりとした煖炉のある部屋で、盛大に薪を燃やして、炉辺談話に時を過ごすことだった。
ロンドンで親しくしていたスティーヴンという友達は、煖炉に火を起こす名人で、マントルピースの焚《た》き口に新聞紙をヒョイとかぶせるようにして、簡単に薪やコークスを燃え上がらせて見せた。かくて私は、俄然《がぜん》、煖炉の燃やし方を学んだのである。ははァ、煖炉ではああして火を起こすのか……。
後に、ケンブリッジ大学に招かれて、家族でイギリスに暮らすことになったとき、だから、「ついについに余《よ》もヴィクトリア時代風の煖炉のある部屋の主となりて、何十年来の夢を果たすべきの時至る」と胸がわくわくした。そうしたら、スティーヴン直伝《じきでん》の技をもって、思うさま薪を焚いてロッキングチェアで本を読むのだ。
やがて、イギリスについた。家はケンブリッジのスタッフが捜しておいてくれた。「林さんは日本人だから新しい便利な家がいいでしょう?」といって案内された家を見て私はヘナヘナと力が抜ける思いがした。そこは戦後に出来た新興住宅地の情ない安普請《やすぶしん》で、天井は低くドアは薄く、煖炉なんぞは影も形もありはしなかった。そのかわりに、一向に効かないラジエターと壊れかけたガスストーブ……。あぁ、あぁ、私たちがひたすら西欧風を学んでいるすきに、やんぬるかな、イギリスでは日本式の安普請を学んでいたのである!