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テーブルの雲49

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:座右の銘「人は誰でも自分が思っている以上のことができる」 だれが言った言葉でもない。何かに出ていた格言というのでもない。
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 座右の銘
 
 
「人は誰でも自分が思っている以上のことができる」
 だれが言った言葉でもない。何かに出ていた格言というのでもない。
 この言葉は、私が自分の経験のなかから摘み取ってきた思いである。
 むかし、二十代のころは、定まる職もなく、前途にあまり希望ももてず、悶々《もんもん》とした思いを抱いて、非常勤の仕事をあれこれとやりながら、勉強を第一、仕事を第二、という心組みで毎日を辛うじて過ごしていたものだった。
 そのころ、私がもっぱら手がけていたのは、中国唐代の俗小説『遊仙窟《ゆうせんくつ》』の文献学的基礎研究だった。要するに、この作品の二十四本ほどあるさまざまのテキストを相互によく比較して、その違いと一致点を比較研究して、それによって、この難解きわまる小説の本文の正しい原型に迫ろうというのであった。それと同時にまた、江戸時代の中期以後に夥《おびただ》しく生産された「浮世草子」という大衆小説のジャンルについて、その実際の文献の総調査という、これまた気の遠くなるような研究も同時に進行させつつあった。睡眠時間はせいぜい四、五時間、寝ている時間と食事と風呂《ふろ》とトイレの時間を除けば、一日中ともかく机に向かって勉強ばかりしていた。いつ果てるともしれないこういう研究をしたとて、むろん誰に認められるというあてもなかったけれど、それでも、誰もがまだ手を付けられなかった未開の大陸を探検するような楽しみもあった。
 やがて、東横女子短大という学校の専任講師になり、ようやく定収入を得るようになったが、同時にそれは厖大《ぼうだい》な雑務や講義のための勉強に時間を割かれるという苦悩と引き替えだった。
 三十歳になり、無給研究員を兼務していた文献学の研究所|斯道《しどう》文庫の紀要に、『八文字屋刊行浮世草子書誌解題』という、かねての研究の一部を論文の形で発表し、また東横短大の紀要には『遊仙窟の諸本につきて』という長い論文を書き、同時に同大学の二十五周年記念論文集にも『遊仙窟本文|校勘記《こうかんき》』という論文をほぼ同時に発表した。まったく過酷な執筆状況だったけれど、ともかく死にものぐるいで書き上げたのだった。
 それから、しばらくして、私は単身イギリスに渡り、かの地に眠っている古典文献の調査にとりかかった。いったい自分一人の力で出来るだろうか、出来たとしても発表することが許されるだろうかという不安のなかで、粘り強く真面目《まじめ》に調査し、交渉した結果、『ロンドン大学東洋アフリカ校所蔵貴重書書誌解題ならびに目録』の作成に成功し、やがてまた六年間の日子《につし》を費やして(その間ずっと四時間睡眠というような日々が続いたため、私はほとんど過労死寸前の状態になったけれど)、『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』という著作を世に出したのだった。そうして、『イギリスはおいしい』という一般書としての処女作が出たのも、ほぼこれと同時である。
 いずれも、諦《あきら》めてしまったら決して成らない仕事だった。またあらかじめ自分の仕事量を忖度《そんたく》して「そんなのとっても無理だよなぁ」と自分に限界を認めてしまったら、やはり成りはしなかったことであろう。
 しかし、私は決して諦めなかった。一見出来るとは思えないほどの仕事の量と質を自分に賭《か》けて怯《ひる》まなかった。世の中の人が、酒を飲んだりゴルフをしたりして遊んでいる間に、ともかく出来るだけの努力は傾けてみた。すると、始めるときにはとうてい無理かのようにみえた、厖大な仕事が出来てしまった。「有限の仕事は真面目に努力を続けさえすればやがて必ず終わりが来る」といつもそう心に念じて、我慢に我慢を重ねた結果が実ったのである。いってみれば、そのようにして私は自分でこの言葉を見つけだしたのである。
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