子供の頃《ころ》、私はちっとも本を読まない少年だった。人並に少年文学全集の類《たぐい》は家にもあったけれど、そういうものをじっと座って読むのはあまり得意でなく、原っぱで「駆逐水雷《くちくすいらい》」などという軍国時代のなごりのような遊びにうつつを抜かしていたというのが本当のところである。学校の国語の教科書に出ている文学作品のごときは、最も面白からぬもので、そういうのを無理に読まされて、読後感想文なんぞを書かされるのはまことに往生の極みだった。
従って、小学校から高校に至る「現代国語」の授業は、私にとって常に「退屈」と同義語だったのである。
しかし、高校生になったときに、まるっきり読書の経験を欠いていた私は、なんだか難しい本を深刻に読んでいる同級生に対して、いくらか焦《あせ》りのようなものを感じないではいられなかった。
今から思えば、そのころ深刻そうに難しげな本を読んでいた級友たちにしてからが、いったいどれほどそれを理解し、アプリシエイトしていたのか、実際は心許《こころもと》ないことだと思うのだが、そのころはこれでなかなか容易ならぬことのように思われた。
少年たちは往々にしてこういう劣等感や競争心から本に取りついたりするもので、ま、要するにそれは一種の「青春のファッション」に過ぎないのである。
そのようにして、私は、高校二年生の頃にようやく「本を読む」ということを覚えた。早熟な秀才たちに比べると、なにしろスタートが遅かったので、読書量となると、いまだに彼らに追いつかないに違いない。
元来私は極めてエモーショナルな人間で感受性も人よりはいくらか鋭いところがあった。だから、その頃、私のもっとも愛読したのは、萩原朔太郎《はぎわらさくたろう》である。少年の心は、ある意味では神経衰弱であり、いつも何かに苛立《いらだ》ち、劣等感にさいなまれている。だから、この病的な詩人が、そのころの私に与えてくれた精神の慰安は決して小さなものではなかった。私は、退屈な「現代国語」の授業を白眼視し、俗物の国語教師を心底|軽蔑《けいべつ》しながら、ひそかに朔太郎の呪術《じゆじゆつ》に心酔していたのである。
私は、本は自分で買って読むものだという信念を持っている。図書館で借りて読むのは、どうも頭に入らない。まして、図書館で、赤の他人に混じって何かを読むのはおおきに苦痛である。これは小学校以来、今に至るまでまったく変らない。
やがて、大学に入っても、依然として私は大した読書家にはならなかった。ただ、大学院の時、初めて森鴎外の『澀江抽齋《しぶえちゆうさい》』を読んで、こりゃぁ大したものだ、とはなはだ感じ入った。けれども、高校生の私がこれを読んだとしても、どうだろう、たぶんちっともその良さは分らなかったに違いない。それで、分らぬままに「読んだが、つまらなかった」という印象記憶だけが残ったかもしれぬ。ああ、早熟な読書は、かくのごとく、時に人生にとって有害ですらあり得るのだ。
思うに、近代の散文で、『澀江抽齋』を凌駕《りようが》するものは、いまだ出現しない。私が書誌学という学問に進んだのも、元はといえば、この鴎外先生の作品と無関係ではないのである。
昔の国語嫌いの少年は、こうしていま、国語の教師になった。本を読まなかった少年は、何の因果か、長じて本を書くようになったのである。