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テーブルの雲53

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:ゴールは遠く 大学ラグビーの王者を決する早明ラグビーを観戦にいった時のことである。 明治のフィフティーンが、サァッとグラ
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 ゴールは遠く
 
 
 大学ラグビーの王者を決する早明ラグビーを観戦にいった時のことである。
 明治のフィフティーンが、サァッとグラウンドに駆け出て来た。場内から潮のようなどよめきが沸き起こり、国立競技場の見上げるような大スタンドには紫紺の応援旗が波のようにうち振られる。フィフティーンの背中には緊張と誇りの混じり合ったような硬い表情が見える。こうして紫紺と白のジャージが青い芝生の上に散って行くのを見ていると、遠い日々が夢のように思い出された。
 
 まだ、ラグビーが今のような大騒ぎにならなかった昭和三十九年から四十二年ころ、つまり高校の三年間と大学一年にかけて、私もまたラグビー少年の一人だった。大学一年の時に腰をいためてやめてしまったけれど、ラグビーが私の青春時代の大きな一部分であることは動かない。
 私は都立戸山高校を卒業して慶應に進んだのだが、当時の都立高校はあの悪名高い学校群制度以前で、まさに文武両道、勉強もするけれど運動もなかなか強かった。東京の高校ラグビー界では日比谷高校とわが戸山高校が都立の雄で、全国大会出場こそ果たせなかったけれど、予選のベスト16、どうかするとベスト8あたりまでは勝ち残る実力があった。その戸山高校のジャージは明治大学とまったく同じ紫紺と白のストライプだったのである。
 TBSのニュースキャスターの料治直矢《りようじなおや》さんや俳優の山口|崇《たかし》さんは、戸山高校ラグビー部の先輩に当る。顔つきや体格からして、料治さんはフォワード、山口さんはスタンドオフかウイングあたりでもあったろうかと想像されるのだが、私は体が小さかったのでスクラムハーフだった。
 そのころ、ラグビー少年たちの聖地はなんといっても秩父宮《ちちぶのみや》ラグビー場で、全国大会予選の決勝戦をこの秩父宮で闘うことが、私たちみんなの夢だった。
 結局その夢は実現しなかったけれど、私はたった一度だけ秩父宮の芝生にトライを果たしたことがある。高校二年の早春、新人戦のゲームでのことである。今となってはそのゲームの結果は忘れてしまったが、自分がトライしたその周辺だけは、妙にはっきり覚えているのである。
 秩父宮メインスタンド南端の下に、控室からグラウンドへの通路があって、私たちは秩父宮での初めての試合を前に、その入口のほとりで緊張に青ざめながら、入場の時間を待っていた。
 時間になった。
「さ、行くぜ」という主将の声を合図に、私たちは暗いスタンド下から、明るく広々とした芝生のグラウンドへ一気に駆け出していった。がらーんとした秩父宮ラグビー場の上空は重く垂れ込め、早春の淡雪がチラリチラリと舞っているのだった。砂利だらけの硬い校庭に慣れた足には、芝生のグラウンドはふかふかと柔らかくて、足が宙に浮いているような感じがした。
 
 国立競技場のフィールドでは、両校のフィフティーンがキックオフの位置につこうとしている。もはや場内は興奮状態である。旗の数では圧倒的に明治が多い。そこらじゅう明治だらけである。よくみると、中には、顔を紫紺と白の絵の具でシマシマに塗りたくり、頭に妙なハゲのカツラをつけ、ばかに長い紫紺のビニールコートを着て、ビールなんぞをあおりながら、スタンド中を駆け回っている学生風がいたりする。タワケめ! 明治大学の学生なのだろうけれど、まったく世も末である。場内の若い観客の多くは学生風で、しかも女の子を伴った「サークル活動」という様子で浮かれている。そういうのが、プロ野球かサッカーのワールドカップの応援よろしく、間断無く大声を発し、ウエーブを起こし、なんだか大混乱という感じである。どうやら、ラグビーの規則はもちろん、あの英国的アマチュアリズムの総本山ともいうべき麗《うるわ》しい紳士的伝統など、なにも知らずに来ているらしい。
 あぁ、時代は変ったのだ。
 硬派の禁欲的スポーツだったラグビーは、もう昔の語り草となりおおせたのかもしれない。
 いや、言うまい言うまい。
 私は強《し》いて目をグラウンドに転じた。
 私自身は慶應の出身だから、この試合は早明いずれの味方でもないのだが、この明治の応援の狂躁《きようそう》状態を見るにつけ、どうでも早稲田を応援したい気持ちがしてくるのだった。
 キックオフ早々、早稲田がペナルティゴールと守屋のトライで一方的にリードを奪った。よーし! あまりにもあっけない展開だった。ウム、これはもしかすると、早稲田の華麗なるライン攻撃が見られるかもしれない。私はちょっと胸が熱くなった。ディフェンスラインを巧みにステップして切り抜けると、あれよあれよという間にゴールへ運んで行くその速度、その飛燕《ひえん》のような身のこなし。よくイギリス圏のチームが見せてくれる、これでもかこれでもかというバックスの波状攻撃とフォワードのフォロー、そういうラグビー本来のスピーディな面白さが見られるかと思ってわくわくしたのだが……、正直言って、興奮させてくれたのはそこまでだった。
 早稲田も明治もボールが手につかない。ちょっと回すとすぐにポロリと落してしまう。スクラムは回転したり崩れたりして、何度も何度も再スクラムだ。フォワードはごたごたと混乱の中でボールを奪い合っていて、ラインへの美しいヒールアウトがちっともない。たまにラインへ回ったかと思うと、きれいに攻撃ラインが出来ているのに、スタンドオフあたりがキックしてしまって、パスをつないでいく、あの手に汗握る運動がない。
 私は少なからず退屈してしまった。
 と、二十二分になったころ、早稲田のスクラムハーフ堀越が、突如オープンサイドをついて、見事なステップを切りながら、明治のラインを突破していった。おお、いいぞいいぞ、これだ、こう来なくちゃ、ア、ア、危ない、フォローはどうした、フォローが続かない、と思った瞬間、堀越は明治のディフェンスに倒されていた。
 
 あの日の対戦相手は日本学園という私立高校だった。たしか黒地に白の帯の入ったジャージで、体格は私たちより一回り大きく、いかにも強そうに見えた。
 けれども、実力は見た目よりは伯仲《はくちゆう》していて、前半、戦況は一進一退を繰り返していた。どちらもたいして点を取ることは出来ずにいたような気がする。
 相手方陣地の二十五ヤード線付近、右のタッチラインから十五ヤードくらい入ったところでマイボールのスクラムになった。
 ボールイン。
 ボールは、あっという間にヒールアウトされた。主将のT君が何か叫んでいる。敵のディフェンスはオープンサイドに集中して、ブラインドには一人しかいない。スクラムの背後でボールをつかんだ私は、ブラインドへ展開しようと思ってスタンドオフのO君を見ると、かれは既にオープンの方へステップを切り始めていた。右のウイングのI君にパスしようとして、ふと敵のブラインドサイドを見ると、誰もいない。相手のスクラムハーフは私をマークしないでバックスの方へチャージに行っているらしい。私は、夢中でスクラムの脇《わき》をすりぬけ、そのままブラインドを駆け抜けた。どういうわけか、相手のディフェンスはばらばらで、ゴールラインまで一|条《すじ》の細道が、ぱっとあいて見えた。
 たったの二十五ヤードが遠かったけれど、私はタックルにも遭わず、斜めにゴールラインを駆け抜けて、右隅《みぎすみ》にトライしてしまった。夢中でタッチダウンすると、インゴールの芝生はふだん踏まれていないせいか、足首がもぐる程に深く、ボールはまるで布団《ふとん》の上に置いたように、ふわっと地面についた。
 相手も味方も、まさか私がブラインドを衝《つ》いてトライするとは思っていなかったらしく、驚いたような顔で走ってきた。私はふと正気に戻ると、ディフェンスがまったく付いてきていなかったことを知って「しまった!」と思った。「……こんなことなら、もう少しインゴールを回り込んでゴールポストの真下にタッチすればよかった……」
 
 ハーフタイム。ますます大騒ぎはひどくなって、その妙な興奮が後半まで持ち越した。後半四分、明治の永友がPGを狙《ねら》うが、場内の騒ぎは収まらない。
 場内アナウンスがプレースキックに際しては静かにしろと繰り返し叫んでいる。
 結果、このキックは失敗に終った。こういう大事な一瞬に、かかるバカげた場内放送をしなければならないとは、そもいったい何事だろうか。こんなとき、何も言われずとも、場内水を打ったように静まり返るイギリスのラグビー試合を思い出して、私は泣きたい程の怒りを覚えた。
 呆《あき》れ返っていると、十六分、永友がゴール前のモールからブラインドを衝いて、あっという間にトライしてしまった。あ、やった。私は、思わずあの秩父宮での初トライを思い出したが、国立競技場のインゴールはふかふかした芝生ではなくて、乾き切った薄っぺらい人工芝なのだった。
 ノーサイドの笛が鳴ったとき、私は思った。
「もうこんな騒ぎは沢山だ、さあ静かな秩父宮へ帰ろうじゃないか!」
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