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テーブルの雲54

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:読む方法について「では、みんな四十ページを開いて今日から、中島|敦《あつし》の『山月記』を読みます。お、ハヤシ、中島敦に
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 読む方法について
 
 
「では、みんな四十ページを開いて……今日から、中島|敦《あつし》の『山月記』を読みます。お、ハヤシ、中島敦について、何か知ってることがあったら言ってみろ」
「知りません」
「知らないか、読んだことないか、何も?」
「はい」
「そうか、じゃみんなはどうだ。この中で中島の作品を一つでも読んだことがある者、手を上げろ」
「ハイ!」
「よし、マスダさん。何を読んだ?」
「中学生の時に『山月記』を読みました」
「どうだったか、読んでみて?」
「難しくてわかんなかった」
「どこが、難しかった?」
「言葉が難しくて、何を言っているのかわかんなかった……」
「そうだな、中島の作品は、中学生にはちょっと難しかったかもしれないな。じゃ、先生がちょっとだけ説明するぞ、読む前に……みんな51ページの作者の紹介をちょっと見て、お、タカナシ、お前読んでみろ、そこんとこ」
「ナカジマアツシ、一九○九年(明治42年)五月五日、東京に生まれる、ウンヌンウンヌン……」
「はい、ちょっとだけ補足します。中島敦は今でこそ有名な作家だけれど、生前はほとんど無名だった……まあ、みんなも読んで分るとおり彼の文章は随分漢字が難しいな、これどうしてだと思う? ……実は、彼のお祖父《じい》さんは中島|撫山《ぶざん》といって、漢学者だった。そのほか、そのお父さんも、綽軒《しやくけん》といってやっぱり漢学者だったんだね……そればかりか、そのお父さんの兄弟も揃《そろ》って学者という家庭に育った、それが彼の教養や作風に大きく影響しているんだ、分ったか。ともかく今では有名になったが、それは主に死後有名になったので、早死にした関係で、生涯《しようがい》に作品は二十作程度しか残っていない……ま、ともあれ、まずは読んでみよう。最初に先生が朗読します。難しい言葉や漢字がいっぱい出てくるから、よーく聞いて、チェックしながら読むように。それから、先生が読むのに合わせて各自黙読するんだぞ……それほど長い作品じゃないけれど、読みながらこの全体を段落に分けてみるように……エヘン、では行くぞ……ロウサイノリチョウハ、ハクガクサイエイ、テンポウノマツネン、ワカクシテナヲコボウニツラネ……
  ……………………
 ……マタ、モトノクサムラニオドリイッテ、フタタビソノスガタヲミナカッタ。……はい、では、いま一読してこの作品から受けた感想をノートにメモしてごらん、はい始め!」
  ……………………
 キンコーンカンコーン……
「お、きょうはもう時間になった。じゃ、みんな今手元のノートに書いたメモをもとに、家に帰ってそれを四百字程度の感想文を書いてくる。いいね、これは次回までの宿題。では、これで終ります」
 
   * * *
 
「『山月記』の二時間めに入ります。さーて、みんなちゃんと感想文書いてきたかな? ……よし、ハヤシくん、ちょっと読んでみろ」
「はいっ、感想文……まず、この作品を読んで最初に僕が感じたことは、言葉が難しい、ということです。それから、詩人だった人間が、急に虎《とら》になってしまうという設定は、不思議で、ありえないことという感じがしました。それでも、こういうふうに作者が書いたのは、それによって人間の執念とか、そういうことを表現したかったのかな、と思いました……」
  ……………………
 もういい加減にしよう。これは、ある教科書会社が出している『山月記』の「教師用指導書」の授業計画モデルをもとに、若干肉付けして、それらしく作ったものである。このあと、この指導書は各段落の要旨を押さえ、それぞれに「見出し」を付けさせる。それからその、段落のうち、主題と関連のありそうな段落はどれとどれかを発表させ「作品構成の妙について説明する」とある。ははぁ、なるほど。続いて、各段落ごとに、語句の解釈読解を進め、「|袁※[#「にんべん+參」unicode50aa]《えんさん》が李徴《りちよう》の詩について感じた疑問について考えさせ」たり、彼の「臆病《おくびよう》な自尊心、尊大な羞恥心《しゆうちしん》について、似たような経験がないか発表し合わせ」たりしつつ、「結末部の余韻を味わわせる」とある。フーン。で、最後にもう一度第二次感想文というものを家庭学習用に宿題として与え、それからその「課題の感想文に基づいて、この作品の主題について話し合わせる」のだそうだ(皆さん覚えがあるでしょ、こういうの)。
 で、結局、何を教え込みたいのかといえば、「現代では恐ろしい勢いで、人間性の崩壊、人間の解体が進行している。こうした時代にあっては、李徴の自己崩壊の恐怖とその結末としての醜悪で恐ろしい異物への転化は、決して虚誕《きよたん》な変身|譚《たん》としてでなく、リアリティを帯びた切実なものとして我々に迫るはずである」ということなのだそうである。ハッハッハ。
 こういうことをべんべんと述べるのが教師用の「指導書」というもので、殆《ほとん》どの人はこういう書物を目にする機会はないことと想像されるが、そのじつはまぁ、こんな程度のものである。いったい、中島の『山月記』をこんなふうに「切実なもの」として読む人が本当にいるんだろうか。こんなことを、この指導書の筆者は、本気で思ってるんだろうか。私にはどうしても信じられない。現代国語というのが、こういう指導書を鵜呑《うの》みにして、いわば「手垢《てあか》のついた」方法で行われている以上、それが退屈と同義語であるのも無理はないのである。
 こうした、不可思議に道義的で、いたずらに「真面目《まじめ》」な、そうして重箱の隅をつつくような方法で、しかも一定の方向に強制された「制度的」な読み方で押し付けられる結果、ほとんどの人は、指導書の筆者の案に相違して、こういう作品を少しも「切実なもの」としては読まなくなってしまう。しかも、せっかく快速な漢文調で緊張感を保って書かれてあるものを、五時間も六時間もノンベンダラリと段落に切ったり、妙な分析なんかを加えたりする結果、そのリズムもテンポもすっかり意識の向こうに消え失せ、なんだかダラダラした作品のように感じられてしまうのである。そこで、ほとんどの生徒たちは、中島敦と聞いただけで、あぁ、あのやたら難しくて理屈っぽいやつか、とウンザリした気分で思い出す、というわけである。
 それは困るじゃないか!
 言葉が難しい。それはそうである。これは漢文の読み下しのようなものだから、難しいのも当然である。
 しかし、心配するには及ばぬ。必ずその一々には語注が付いているから、それをさっさと参照しながら、スピードを出して読んで行くのがよい。テーマはなんだろうか、|自分の人生と重ね合わせて《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》考えるべき点はなにか、などということは、すべて余計なことである。ともかく、この快速な文章を舌頭に転がすつもりで、まっすぐに読み(できれば音読し)、あっという間に読み終る。そうすると、なんとなくすーっとした気分があるであろう。それから、次にたとえば、『名人伝』などに読み進む。これはもう少し易しい。易しいし、第一面白い。そこで、次に、すこし長い『李陵』をやってみる。これは難しいことばもあるけれど、全体が歴史小説としての結構をもっているので、ぐんぐんひきつけられる。言葉の難しいのなんか、やがてちっとも気にならなくなる。こうして読み進めて行くうちに、やがて中島の難しい言葉遣いもさして気にならなくなる。
 それから、『斗南先生』に行ってみよう。
 これは、趣が全然ちがって、ほとんど難しい言葉は出てこない。すらすら、すらすらと読めるに違いない。そして、この主人公「斗南先生」というのは、中島敦の実の伯父に当る実在の人物で、それを見つめる視点人物三造は、むろんほかならぬ中島敦自身である。これは、漱石などを読んだ人なら、じゅうぶん面白く、しかも楽に読めるに違いない。そして、それを読むことによって、作者の屈折した内面がたしかに見えてくる。
 さて、こうして、もういちど元へ戻って『山月記』を再読してみる。「あぁ、なるほど……」とうなずくか、それとも「なーんだ」と思うか、「ウーム」とうなるか、それはすべて読者に任されているのである。もちろん何も感じなかったら、それはそれでよい。今は感じなくとも、いずれ何かの折に読み返して、あっと感動するかもしれぬし、一生無縁で終るかもしれない。それはどちらでも人生にはちっとも切実な問題ではないのである。そういうことを、無理に一定の型にあてはめて、変に深刻ぶって、人生の大問題みたいに読まなければいけない、というような一種の教条主義、それは文学にもっとも遠いものである。
 そして、文学作品というものは、それをどんなふうに読もうと、または一切読まずにいようと、あるいは評論家や学者のように分析的に読もうと、それはまったく各自の自由で、|読む側それぞれの《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》「問題意識」がそれを適切に読ませ感じさせてくれる。それ以外には、読む方法などありはしない。感想文を書いたり読んだり、ましてそれをもとに話し合ったり、などは、すべて無用のことである。
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