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テーブルの雲59

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:イギリス人の夢 Nothing is written! ロレンスは絶望していく。なにもかもが空《むな》しかった。努力は、なにものをも生み出
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 イギリス人の夢
 
 
 "Nothing is written!"
 ロレンスは絶望していく。なにもかもが空《むな》しかった。努力は、なにものをも生み出しはしなかった。
 ロレンスは絶望のうちに砂漠《さばく》のアラビアから、緑なす祖国イギリスへ帰り、そこで唐突に死んでしまった。
 四時間にも及ぶ名作映画『アラビアのロレンス』は、そのロレンスがオートバイ事故であっさりと死んでしまうところから始まる。空しかったロレンスの生涯《しようがい》が、死によって一場の夢と消え、文字どおり「無」に帰したところから、すべては回想されているのである。
 T・E・ロレンスはだらしのない軍人だった。彼は典型的な個人主義者で、その意味ではすこぶるイギリス的人格だったと言い得るだろう。しかし、軍隊という組織は、それ自体、個性や個人の意志というようなものと相容れない。そういう「なまぬるい感傷」を圧殺するところで、この殺人システムは成り立っているのである。
 映画は、ロレンスを天才的戦略家というようには描いていない。むしろ自省《じせい》的で優柔不断な、軍人失格の男が自分自身と必死で闘った記録として、この物語を構築しようとしているかのようである。トルコ軍とドイツ軍によって制圧されているアラビアを解放する目的でロレンスは派遣される。彼はしかし、けっして勇躍その軍務に赴いたというわけではなかった。それが、ファイサル王子に謁見《えつけん》して、そのイギリス人軍事顧問の俗物根性(つまりは常識的判断)に対する反感から、不可能と思われていたアカバ港攻略を宣言するのである。手勢はファイサル軍の精鋭わずか五十名、それで神が造った地球上最悪の土地とアラビア人たちの間でさえ恐れられていた「ネフド砂漠」をラクダで横断して、油断している敵を背後から襲ってアカバ港を攻略しようというのである。アラビア版のひよどり越えである。誰が考えても無茶な計画だった。ネフド砂漠は途中にオアシスも井戸もない。二十日の内に横断を終えなければラクダは死に、それはロレンスたちの死をも意味する。果たして酷熱の中の難行軍だった。しかしあと半日で砂漠を渡り切って井戸のある所に到着するところまでやってきた。と、その時、ロレンスは部下のガシムが、ラクダから落ちて行方不明になっているのに気が付いた。夜の明け切る前に井戸へたどり着かなければ、横断は成功しない。アラブ人の隊長アリは、もはや捜しに行くのは不可能だと断定する。居眠りをしてラクダから落ちる、そういう者はそこで死ぬのが神の思《おぼ》し召《め》しだというのだ。砂漠の民には砂漠の民の掟《おきて》があるに違いない。
「ガシムの寿命はここまでだったのです。それは既に定まった運命というものです」
 そうアリは言うのだったが、ロレンスは肯《がえ》んじない。
 そうしてロレンスは断固として言い放つのだ。
「Nothing is written!(何も定まってなどいない)」
 ロレンスにとっては、人間の努力によっては全く動かすことのできない「運命」などあるはずはなかったのである。そのとき、ロレンスの強情に怒り狂ったアリは、独りガシム捜索に向かうロレンスの背中に向かって、
「English! English!」
 と罵《ののし》る。つまり、これがイギリス人なのだ。
 イギリスの国土も自然も、そこに住み努力を重ねてきた国民のその歴史的努力の成果だった。そういう人工的風土に生まれ育ったロレンスにとって、努力はすべてを動かすことのできる魔法の鍵《かぎ》だったのである。この「Nothing is written!」という希望に満ちた彼の意志が、その後の軍上層部の腹黒い企《たくら》みや、ファイサル王子の無気力、それにアラブ人の Governability の欠如による部族対立と士気の低下、そういう悲しむべき状況の中で、やがて絶望に変り、あの緑なすイングランドへ帰りたいという退嬰《たいえい》的気分へと落ち込んで行く。この映画はそういう「悲劇」であって、決してロレンスの武勲を称揚するための戦争映画ではないのである。ロレンス役が若きシェークスピア俳優ピーター・オトゥールでなければならなかった理由はそこにあったのであろう。
 
 "But tomorrow, who knows?"[#「"But tomorrow, who knows?"」は太字]
『イマジン』というフィルムを見た。ジョン・レノンが殺されてから早や十年以上|経《た》った。この映画は、彼が死んでから、そのインタビューフィルムを中心として、ビートルズの出発から崩壊、そしてレノンの死に至る道筋を、乾いた筆致で坦々《たんたん》と描いた傑作である。
 ビートルズは、私たちが少年だった時代に、遠いイギリスから不思議な波光を送り続けていたパルサーのような存在だった。ヒットチャートにビートルズの曲ばかり二曲も三曲も並んだりした。そのころ私はイギリスに対して何の興味もなかったし、行ってみたいとも思わなかった。今、その頃のレコードを聞いたり、またコピーバンドの演奏に接したりすると、懐《なつ》かしさよりも哀《かな》しさが先に立つのは、おそらくそれが二度と戻らない少年時代への感傷をかきたてるからである。少年から大人へ、それはつまり喪失の歴史にほかならないのだ。
 レノンはすでに億万長者で、何万坪もの大邸宅に住み、しかし、人生に倦《う》んで財産や名声によっては癒《いや》されない孤独に苦しんでいた。数々の奇行やヨガへの傾倒など、みなその表れである。彼らもまた喪失したものを埋め合わせるすべを知らなかったのである。
 ある日、レノンの大邸宅に一人の浮浪青年が現れる。彼はレノンの詩的世界に憧《あこが》れるあまり、文学と現実の境界を見失って、さまよっていたのである。レノンはそういう若者たちに対して、大きな責任を感じていたらしい。
 彼は、この怪しげな青年に丁寧に応対し、答える。その中で、彼自身の詩は言葉の遊びで、必ずしも意味があるとは限らないと言い、一番新しいアルバムの中に現在のすべての気持ちが表現されている、それは夢だ、というようなことを言っている。
「It will last whole life on that dream,
 ………It's all over………」
 はっきり聞き取れないのだが、レノンは青年に向かってそう言っているように聞こえる。
 ところで、一九六四年に発表されたヒット曲"I'll follow the sun"という曲はこんな文句で始まる。
 
  One day you'll look to see I've gone
  For tomorrow may rain
  So I'll follow the sun
 
  いつの日か君は、
  僕がいなくなってしまったことを知るだろう
  しょうがないじゃないか、明日は雨かもしれない
  だから僕は、こうして陽《ひ》のあるうちに、
  太陽をおっかけて行くんだから
 
 無責任な逃避の歌のようにも聞こえる。しかし、この美しい歌は、遠い所へ永劫《えいごう》に逃避してしまったレノンの、遥《はる》かな予言のようにも読まれるのである。
 それから彼はかのオノ・ヨーコに巡り合った。それ以後のレノンが一段と奇行をくりひろげて、世の顰蹙《ひんしゆく》と賞賛をふたつながら浴びたことは、いくらか記憶に新しい。それを世間ではヨーコのせいのように思って、彼女のことを悪く言う人が多かったけれど、じつはすべてレノンの孤独との闘いの形だったのである。ヨーコはそれを必死に支えていただけだと見るべきである。その奇行の一つ、ベッド・インのインタビューの時に、彼はこれが一つの平和へのアピールであると胸を張り、それが随分世界に知られるようになった、と喜んでみせたあとで、
「But tomorrow, who knows?」
 とつぶやくのである。「明日、それをいったい誰が知ろう?」。そうして、その言葉どおり、レノンは何の脈絡もなく、忽焉《こつえん》として死んでしまった。
 
 "I'll be going home to England, retired to private life, I suppose, a little pleasant country and dogs, and a few books........., every Englishman's dream really"[#「 "I'll be going home to England, retired to private life, I suppose, a little pleasant country and dogs, and a few books........., every Englishman's dream really"」は太字]
 義和団事件を描いた大作『北京《ペキン》の55日』は列強連合軍の戦いぶりをアメリカ的に能天気に描いた作品で、いってみればバンブー・ウエスタンとでもいうような作品だが、ここにデイヴィッド・ニーヴン扮《ふん》するイギリス公使が出てくる。彼はイギリス人らしく穏健で、個人としては和平を望んでいるのだが、公人としては断固対決を主張せざるを得ないという立場になる。義を重んじ忍耐を尊《たつと》ぶというイギリス人の基本的美質を、ニーヴンはよく表現して、秀逸な演技を見せる。物語は、しかし、結局チャールトン・ヘストン扮する騎兵隊風のアメリカ海兵隊長の活躍でなんとか列強軍がもちこたえて、援軍が到着するという、おめでたい筋なのだが、その騒動が決着し、北京城に平和が訪れる。その時、この戦いで最愛の息子を喪ったイギリス公使が城の上から町を見下ろしてこう言うのである。
「イギリスへ帰って、引退しようと思うんだ。で、きれいな田舎に住んで、犬たちと、少しばかりの書物……、あぁ、それはイギリス人誰もが描く夢なのだがね……」
 
 ロレンスも、レノンも、たぶんこのイギリス公使も、最後は同じ夢をみて、そうしてその夢の中に、哀しく辛《つら》い人生を解き放った、のかもしれない……。
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