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テーブルの雲64

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:給食の個人主義 私の娘は、小学生のころ不思議な性癖があった。 毎月学校から「今月の献立表」というものが配布され、私の家の
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 給食の個人主義
 
 
 私の娘は、小学生のころ不思議な性癖があった。
 毎月学校から「今月の献立表」というものが配布され、私の家の台所の壁にはそれが貼《は》ってあるのだが、毎朝、学校へ出かける前に、娘はその日の給食のメニューを母親に読み上げさせる。そして、「げっ、まずそう!」などと一言批評してから出かけるのである。今日の給食はなんだろうなどということは知らずに出かけたほうが、昼の楽しみがふえるだろうにと思うのだが、どうもそうではないらしい。
 それはともかく、そのメニューの読み上げを毎朝聞いていると、これがすこぶる美味《おい》しそうである。はなはだ贅沢《ぜいたく》である。
 ある日は「ワカメ御飯と白身魚の野菜あんかけ、付け合せにお浸し、ヨーグルト、デザートにミカン」。またある日は「こぎつね御飯にメルルーサの南蛮漬《なんばんづけ》、味噌汁《みそしる》、それとヨーグルト」、ウームこれも食べたいなあ。「ビビンバにかきたま汁、牛乳と、栗《くり》」。ナニ、ビビンバ? そういうものが給食に出るとは、これはびっくり。ビビンバとくると私の無二の好物なのだ。いやいや、そんなことで驚いてはいけない。「|ししじゅうしい《ヽヽヽヽヽヽヽ》に豚汁、牛乳」なんて日もある。この「ししじゅうしい」ってのは、どうやら沖縄料理であろう(「じゅうしい」は漢字を宛《あ》てれば「雑炊」とすべき沖縄方言だから)。
 どうです、和・洋・中・韓・琉《りゆう》とその多彩なこと、まったく感歎せずにはいられない。
 思い返せば、私たちの少年時代はどんな風だったろうか。
 哀《かな》しいことに、私たちの小学校時代は、まだ終戦後の貧しさが尾を引いていた時分で、給食なども、従ってまことに貧しかった。そのころとしては、栄養士の方々は奮闘精励、乏しい材料と不足がちの予算をやり繰りしてせいぜい子供たちの空腹を満たすべく涙ぐましい努力をしてくれていたのに違いない。
 しかし、何といっても主食はあの味もそっけもない、それでいて大きさだけは充分に大きなコッペパン(このコッペパンなんてものも、このごろでは一向に見かけなくなったが、あれはいったいどこへ行ってしまったのだろう)と、池の鯉《こい》に喰《く》わせる麩《ふ》のようなパフパフする食パンに限られていたし、そこへグニャグニャにとろけている銀紙包みのマーガリンを付けて食べるものと決まっていた(このまずいまずいパンを六年間も問答無用で食べさせられつづけた後遺症で、私はその後も長いことパンが嫌《きら》いだった)。たまに、べっとりと甘いピーナツクリームとか真っ赤な苺《いちご》ジャムなんかが付いてくることもあったが、そういう時は、それでもなにやら得したような気がしたものだ。
 壜詰《びんづ》めの普通の牛乳はいまだ出現せず、進駐軍払い下げの脱脂粉乳がせめてもの栄養補強源というわけだった。クラスの女の子たちは、たいてい目をつぶったり鼻をつまんだりして、いやいやこの脱脂粉乳を飲んでいたけれど、私自身はそれほどまずいものとも思わなかった。あれはアメリカでは豚の餌《えさ》なのだとか、缶《かん》のなかにハンマーだかネジマワシだかが入っていたとか、悪口を言う人は一杯いたけれど、私は功罪|秤《はかり》にかければ、明らかに「功」の方が勝ると信ずる。いやあの頃《ころ》育ち盛りの私たちを栄養的に支えてくれたのはたしかにあの、生ぬるい脱脂粉乳だったじゃないか、と大いに弁護したいと思うのである。
 とはいえ、それでいて、おかずの方は容赦なく和風のものが出たりするのだった。これがそもそもいけなかったのではあるまいかと思うのだ。たとえば、カレーがあるのにライスがないという、このじつに情けない感じ!
 あのころは鯨肉が安い食肉の代表株で、給食にはこの鯨の揚げ物なんぞがしきりと登場したものである。鰯《いわし》も、フライなどの形で給食の食卓を飾ったけれど、そのいずれにしろ、私たちは御飯というもっとも食べ易《やす》い(そしておかずにマッチする)主食を与えられることがなかった。黒いような色をした鯨の立田揚げやチクワのてんぷら、それに衣ばかり厚いハムカツなんぞを(結構ウマいと思いつつ)かじりながら、私はいつも「あーあ、これで御飯があったらなぁ」と長大息したものである。
 
 こういうことを思い出してみると、現代の小学生たちは本当に恵まれた給食生活(そんな言葉があるかなぁ)を送っているなぁ、と心底|羨《うらや》ましい気がする。これはおおきな進歩である。それは間違いないし、たしかにめでたいことである。
 けれども、ひるがえって考えてみると、もう一つ違った形の進歩が考えられても良いのではないかと思われる。それについてこれから、少しく書いておきたいと思うのである。
 
 一九八六年の春から一年間、私たち家族はイギリスのケンブリッジに住んでいたことがある。私がケンブリッジ大学の客員教授として招かれたからである。
 そのとき息子は小学校四年生、娘は幼稚園の年長組だったが、イギリスの小学校は複式学級を原則とするので、それぞれ三・四年組と一・二年組に編入することになった。
 これからすこし詳しく述べようとするのは、そのイギリスの小学校の給食のことである。この小学校は、セント・ルークス小学校といって、いわばごく普通の公立小学校である。いや厳密にいうと、英国国教会立ともいうべきもので、校長はアンダーウッド先生という髭《ひげ》の牧師さんだったが、しかし、実際のところ殆《ほとん》ど宗教色はなく、日本の市立町立とかいうような当り前の公立小学校と何も変りはないのだった。
 この小学校は、ケンブリッジの中心からすこし北に外れたあたりにあって、その辺はおもに労働者の住む地域だったから、全児童の七割ほどを占めるイギリス人生徒は、従って労働者の子女が多かった。
 けれども、この学校はまた、ケンブリッジの諸小学校の中で特に外国人の教育に力を入れるという方針で運営されている二校の内の一つで、日本風にいえば、ややインターナショナル・スクールめいていたと言ってもよい。だから、生徒たちの中には、アジアやアフリカ、アメリカ、アラブなど世界中からケンブリッジにやって来ている人々の子供たちも多く含まれていた。
 そういう、肌《はだ》の色も、母国語も、文化的・宗教的背景も、みなとりどりの生徒たちに、まったく無料で懇切な英語教育を施し、学用品もこれまた完全に無料で配布し(教科書もノートも鉛筆も画用紙も粘土もなにもかもタダで学校から支給されるのだ)、いじめられたり疎外されたりしないように、念入りに目を配り、威張らずどならず、粘り強く真面目《まじめ》に責務を果たそうと努力しているイギリスの先生たちの熱意と、それを支えているこの国の教育制度には、しょうじき頭が下がる思いがした。
 それゆえ、単純に計算テストなどの結果からのみ見て、イギリスの小学校教育は日本より遅れているなどと思ってはいけない。それは浅はかな考え方である。いや、むしろある意味ではまったくその逆だと言ってもよいのである。
 ただ、給食(英語では School dinner という。昼御飯なのにディナーというのは、昼に一番盛大に食べるということを意味している)だけはある程度の自己負担があったが、それとてもしかし、日本の小学校の給食費と同じくらいのごく安い負担に過ぎなかった。
 いま手元の記録を見てみると、二人の子供の給食費は合わせて週九ポンド四十五ペンスとある。すなわち、ひとり毎週千円強というところである。
 上流階級の子供たちが通う一流のボーディングスクール(寄宿舎学校)ではもちろん食事は全員一様にお仕着せであるらしい(こっちのほうについては、私はよく知らない)。それもごくまずいものを強制的に食べさせるというかたちで、忍耐と質素を旨《むね》とする英国紳士の心意気を養成するのだそうであるが、一般の学校はそんなことはない。
 セント・ルークス小学校では、給食には原則として個人の自由が認められていた。
 すなわち、入学すると、まず「給食をどうするか」について選択することが出来る。選択|肢《し》は三つある。
 第一は、給食を食べる。
 第二は、パックランチすなわちお弁当を持っていく。
 第三は、自宅へ帰って食べる。
 宗教的な、あるいは経済的な、もしくは健康上の、または信念上のさまざまな理由で、給食はだめだという人もいるに違いない。そういう人々に対して、イギリスの体制は極めて寛容で、基本的に「個人の自由」を認めているのである。
 こう書くと、日本だってそれは認められている、という反論が聞こえて来そうである。しかし、私はそうは思わない。入学に際してまずどれにしますか、と尋ねることを原則と心得る(すなわち、どれを選ぶかは全く個人の自由で、その選択に関しては何等の理由を必要としない)社会と、特に何等かの理由を申し立てて給食を拒否するのでないかぎり問答無用で給食にさせる、という社会とは、その一番根本のところで大きな違いがある、と私は考える。
 では、私たちはこのイギリスの学校でどうしたか。
 美味しいものもまずいものも含めて、その国の食べ物をよく食べ、よく味わうことは、すなわちその国の文化と人間をよく知ることの第一歩である。てんぷらは食べるけれど、刺身や寿司《すし》は食べない、という外国人がいたら、その人は日本の文化に対して受容的でないと見てよい。文化を日常の一番根底のところで受容できないならば、その上部構造の理解はとうてい覚束《おぼつか》ない、というのが私の信念である。
 しかし、そうはいっても味覚というものは、本質的に慣れ(特に幼少時の「刷り込み」)が左右するので、大人になってからイギリスの料理に慣れようとするのは、かなり無理がある。
 従って、もし自分の子供を将来イギリスでも不自由なく暮らせるようにしたいと思うならば、子供の時にある程度強制的にしかも長期間「慣れさせる」ことが必要だし、それが、こういう外国の学校に入った場合に現地の子供たちと良い人間関係を作り上げるためのもっとも良い近道だと思うのだ。
 私たちは、だから、迷わず給食を選択することにした。
 ところが、イギリスの小学校の給食は、日本と違って、うんざりするように単調な献立が続くのだった。
 例えば、ソーセージとベイクドビーンズ、マッシュポテト、グリーンピースの茹《ゆ》でたの、チップス(=フライドポテト)、ミートパイ、スコッチエッグというような、これはもうどこにでもあるような、単純にして平板な味わいのイギリス料理が、ごく狭い範囲で繰り返されるのである。そして、パンとか御飯とかいうような形のいわゆる「主食」は全然出ない(いや、正確に言えば、このマッシュポテトやチップスが主食に該当するのだが……)。
 そのソーセージやスコッチエッグなどが、我々のふつうの感覚からするといかにまずいものであるか、ということは拙著『イギリスはおいしい』に縷々《るる》述べておいたので、ここでは再説しない。
 ともあれ、すでに四年生になっていた息子は、もともと我慢強い性格であったせいもあって、別に文句も言わずにこの単調な給食を食べ続けた。
 しかし、娘のほうはまだ幼かったし割合食べ物に神経質だったので、どうしてもこの給食を食べたがらないのだった。学校に行き始めて二日間、彼女はひたすら泣き続けて給食を食べようとしなかった。これには先生たちもよほど困却したとみえて、三日目にはとうとう、学校から「パックランチにしたほうが良いと思います」という手紙が届いた。
 性急に無理をして学校生活全体をスポイルするよりは、各人の適応の仕方に従って、無理なく馴染《なじ》んで行くべきだというのが、イギリス的な考え方だったのであろうと思われる。
 しかたがない。私たちは娘については無理をしないでパックランチを持たせることにした。すると、彼女はどうしたわけか「ジャムサンドだけがいいの」と主張して、毎日毎日飽きもせずジャムサンドだけのお弁当を持っていった。もっとも、私たち日本人は夕食にいちばん重い食事をとるので、昼食はジャムサンドだけでも、まあ大過無かったのである。
 そのころ、娘のクラスにはもう一人だけ日本人がいた。だから、(当然といえば当然だけれど)彼女はもっぱらこの日本人の少女とくっついていて、なかなかイギリス人やそのほかの子供たちと馴染もうとしなかった。また多少はイジメのようなこともあって、彼女のイギリス生活は、必ずしも愉快な出発ではなかったのである。
 やがて、夏休みになった。夏休みの長さは、日本もイギリスも別にかわりはない。
 九月になると、学年が改まって、担任の先生も変った。
 そうして、給食のやりかたにも、少しばかりの改良が加えられた。学校から麗々しく刷り物が配られてきて、それには「本校では、生徒の自主的選択を重んじ、給食をより楽しく充実したものとするべく、新学期からカフェテリア方式を採用することに致しました」とあった。
 娘のクラスの日本人クラスメイトは夏休みのうちに帰国してしまって、秋の新学期からは、彼女はクラスで只《ただ》一人の日本人となった。私たちは、きっとそれは彼女にとって良いことに違いないと思った。
 私たちは、いつになったら娘が「ジャムサンド」に飽きて給食を食べたいと言い出すかと楽しみにしていたが、果たせるかな、とうとうその時がやってきた。
「もうジャムサンドは飽きたから、わたしも給食でいい」と娘が言うので、これ幸いと新学期からは、そのようにしてもらうことになった。
 新学期になって暫《しばら》くしたころ、「このカフェテリアというのはどんなんだい?」と息子に聞いてみると、彼はあっけらかんとした口調で答えた。
「いやぁ、別に出るものは今までと変りないんだよ。だけどね、今まではね、今日はミートパイとグリーンピースと決まってたら、クラス中みんな揃《そろ》って同じものだったのがね、今度は長いテーブルに三種類くらいの物が並んでてね、コレって言うと、オバさんがそれを皿にドカッとのっけてくれる。ただそれだけのことだよ。どっちにしてもあんまり美味しくはないけどね」
 結局、献立が単調なことは一向に変りないのである。
 こうして、閉口しながらも子供たちはだんだんイギリス流の給食生活に馴染んでいった。
 やがて、秋も深まったころ、私は何気なく「今日の給食に何食べた?」と聞いてみた。すると、また息子が飄々《ひようひよう》とした風情《ふぜい》で答えた。
「ンーと、ソーセージとマッシュポテト」
「他にどんなものがあったの?」
「グリーンピースとかベイクドビーンズ、それから、生のニンジンとかぁ、なんだかグチャグチャしたパイみたいの……」
「へー、旨《うま》そうじゃない」
「いや、ちっとも美味しくないよ、特にベイクドビーンズはヤッキー!」
 すると娘が脇《わき》から助太刀をして言った。
「そう、あれはベー、超ヤックなの、ネッ、お兄ちゃん!」
 ヤックとかヤッキーとかいうのは、イギリスの子供言葉で「まずい」という意味である。しかし、イギリスのソーセージが、「超まずい(子供風に略せばチョマズ)」ことは私自身つとに閉口頓首しているところだったので、私はさらに言葉を継いで、息子に尋ねた。
「でもさぁ、ソーセージなんか、まずいじゃない。どうして他のものにしなかったの?」
 すると、息子が不本意らしい表情で答えた。
「ソーセージは美味しいよ」
 いや、イギリスの小学校の給食で、少なくとも我々のセンスからすれば、美味しいソーセージが出るはずはないのだ(イギリスのパン粉だらけのソーセージに関しても『イギリスはおいしい』に委曲を尽くして述べてあるゆえ、是非参照されたい)。
 しかし、これを食べ続けることおよそ半年にして、彼の味覚にはこの貧しい味のソーセージ(イギリスの子供言葉ではバンガース bangers という)が「美味しい」というコードと結びついて刷り込まれたのである。
 しめた、これでもう心配ない、と私は思った。
 息子がソーセージを美味しいと感じ始めたこと、娘がジャムサンドに飽きて給食のほうが美味しそうだと思い始めたこと、子供たちが日本人とじゃなくてイギリス人や韓国人や中国人やの様々な子供たちと一生懸命意思の疎通を図り、お互いの家を訪問しあったりして遊び始めたこと、英語が格段に解り始めたこと、それらのことはみな同じ根に萌《も》えいでた枝や葉に外ならないのであろうと思惟《しゆい》された。
 
 そこで私は考える。豊かな私どもの国の給食が、かくのごときイギリスの貧しい給食に学ぶことがありはせぬか、と。
 それは、すべての子供たちが、基本的に給食について「選択の自由」を与えられている上に、さらに一段と徹底してカフェテリア方式の選択制を採用する(その実際の食物の旨いまずいやバラエティはひとまず置くとして)、こういう方向の「進歩」について日本の給食ももう少し考える余地はないだろうか、ということである。
 じじつ、娘の場合、こうして無理な給食の強制をせずにジャムサンドばかりのお弁当を根気よく続けた結果が、逆に自発的な給食への参加という形に結実していったのだ。
 この寛容な個人主義的方法を、給食の「もう一つの進歩」として考えていくことが必要ではあるまいかと思うのだ。それは決して贅沢でもわがままでもなく、国際化時代の教育のあるべき姿だと私は信ずる。
 昔に比べると、現代の学校給食は、さまざまな問題を内包しながらも、格段と豊かに、ヴァラエティに富んだ姿へと変貌《へんぼう》を遂げてきた。それを羨ましく思うのは、最初に書いたとおりである。けれども、ごく一部の実験的な学校を除いて、日本では生徒一人一人の自由意志を尊重するというベクトルでの改革はあまり顧みられることはなかったのではあるまいか。
 給食の時間に家へ帰ってしまう子供がいたっていいじゃないか。ジャムサンドばっかりお弁当に持ってくる子供がいたっていいじゃないか。
 いろいろ難しいことがあるだろうということぐらい分っている。けれども、イギリスの小学校で出来ることが、どうして日本の学校ではあまり考慮されずにきたのだろう。不思議といえば不思議なことである。
 ことは給食だけに限らない。どうだろう、日本の学校は、全員揃って「団体生活になじませる」ことばかりを金科玉条としすぎてはいないか、私自身はいつもそのことが気になって仕方がないのである。
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