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テーブルの雲65

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:不可思議なる職業 あるパーティに招かれた。 じつにくだらないパーティで、正直言って時間の無駄《むだ》だったと、不愉快にな
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 不可思議なる職業
 
 
 あるパーティに招かれた。
 じつにくだらないパーティで、正直言って時間の無駄《むだ》だったと、不愉快になった。
 そもそも、そのパーティというのは、ある奨学財団が催したもので、その財団が助成した留学生たちの、まぁ言ってみれば「同窓会」とでもいうようなものだった。ナンノナニガシというような代議士だとか、文部省のおエラがただとか、そういう|リッパな《ヽヽヽヽ》方々がわざわざ御臨席になったところをみると、それなりに意義深い催しであるらしかった。しかし……。
 どういう素性の人たちであるか、それは私の知るところではない。ともかくなんだか知らないけれど、妙に派手な着物をきて、途方もなく厚化粧をほどこした女たちがずらりと並んで客を出迎えたのに、私はまずもって驚いた。驚いたばかりでなく、はなはだ呆《あき》れ果てた。
 これがコンパニオン嬢というものだということは、いかに世間知らずの私とて知らぬわけではない。それが日本という世界の田舎国の、|うるわしい《ヽヽヽヽヽ》伝統であることも承知している。いわゆるゲイシャフジヤマ的伝統である。
 パーティが始まった。壇上では、歴々たる貴顕紳士がたの、厳粛にして退屈きわまるアイサツが蜒々《えんえん》と続いている。私は、自分の表情が段々「憮然《ぶぜん》」となっていくのが分った。ミナサマガタノゴケンショウト、ザイダンノマスマスノゴハッテンヲ祝しての乾杯が終ると、ようやくパーティ本番になった。やれやれ。
 しかしそれにしても、四方オジサンだらけである。それも、知らない人ばかりである。料理は、例によって例のごとく、中央の大テーブルにローストビーフのごときもの、スモークトサーモンや寿司のごときもの、と盛りだくさんに並べてある。いわゆるビュフェ式である。どれも、別段にうまそうではない。ファーア、と私は大《おお》欠伸《あくび》をしながら、遠いイギリスのことを思い出した。
 ……イギリスでは、おしなべてパーティというものは、男女の数に著しい不均衡を生じないように、あらかじめよく計算して客を選定し招待する。そうして、たとえば結婚式のレセプションというような場合でさえ、普通ビュフェ式に料理を供するのである。大きなテーブルに沢山の料理が並べられる、とそこまでは日本と変りはない。しかし、イギリスの人々は、そのテーブルの前に行儀良く並んで(日本のように我勝ちに群がるのではない)、なごやかに会話しながら、順序良く、自分の好きなように、皿を料理で満たしていくのである。それから、立食式に立って食べることもあり、各自テーブルについて座って食べることもあるけれど、いずれにしても、必ず男と女がほど良く混じり合って、愉快に会話して時が過ぎる。ビュフェ式でなく正餐《せいさん》式の場合は、もっとはっきりと男女同数に招き、ホスト(主催者側の主人)がここは誰、そちらに貴女《あなた》、と男女が交互に座るよう差配する。すると常に男女とも「両手に花」の状態で食卓につくわけである。嗚呼《ああ》、楽しかったナァ……。
 
「どうぞ!」と鼻先に皿をつきつけるやつがいる。イギリスの思い出にふけっていた私は、はっとしていやおうなく現実に引き戻された。つるりとした顔つきの、ばかに痩《や》せた女である。そのコンパニオン嬢が、勝手に皿になにがしの料理をとって、私に「喰え」と言ってつきつけているのである。あまつさえ、そのうちの姉さん株らしい小ざかしい顔つきの女が、配下の年若い女に「お料理をお取りして……水割りをお作りして」などと盛んに差配している。
 これを世の中ではサービスというのかもしれない。
 くだらぬサービスである。まったく無用の差し出た振舞いである。ビュフェというものは、各自がそれぞれの腹の具合と、舌の好尚《こうしよう》に従って、自由に自主的に食事を楽しむための方便にほかならぬ。それを、こうしてどこの馬の骨とも知れぬアカの他人に、かってに決められてなるものか。それではビュフェにする意味は皆無である。
 およそ、このパーティに限らず、日本ではビュフェ式のパーティにおいて、妙な風習が罷《まか》り通っている。たとえば、男は男どうし、女は女どうしで固まって座る、というつまらぬ習わし。それから、男たちは座ったまま酒なんか飲んでいる、そこへ、女の子たちが中央テーブルから料理をまとめて取って(四人分も五人分も取ってくる)運んでくる、というサービスをする風習。もし、自分の分だけとって、一人で食べている女の子がいたりすると、きっと「あの子は気が利《き》かない」とかなんとかいって、非難されることだろう。女の子ばかりでない、私などは、そういう場合、ほかの人が何を食べたいかなど一向に興味がない。それゆえ、自分の食べたいものを自分の分だけ皿にとって、さっさと食べる。そうすると、なんだか自分が妙に利己主義であるように見えてきて、どうも愉快でない。まして、女の子の場合など、察するに余りあるというものである。嘆かわしい限りである。
 かくのごとき悪習と、男ばかりのパーティにコンパニオン嬢を呼んで鼻の下を伸ばしている弊風《へいふう》との間には共通の根っこが存在する。それは、料亭というような場所に、男ばかり集まって、酒を飲みながら密談し、芸者などがその男どもに酌《しやく》をするためにはべる、という構造である。さすがに料亭だの芸者だのというものは昔ほどには行われなくなった。しかし、それはじつのところコンパニオン付きパーティという形に姿を変じて、前よりもっと盛んになっているらしい。それになぞらえて、普通の会社のパーティなどでも、女の子たちはそういうサービスをするのが当然のつとめだと、馬鹿《ばか》な男どもが(時には女たち自身も)心得違いをしているのである。
 女たちよ、怒れ!
 私は、ほんとうに情けなく思うのだ。これが日本の現実かと思うと、トホホと涙が出てくる。初めに述べた某財団の場合など、その最悪の例である。いやしくも学術的助成、それも海外の留学生に助成をするアカデミックな筈《はず》の団体が、かくのごとき田舎紳士的会合をもうけてテンとして恥じない。そのときたくさん参加していた外国人たちはどう思ったであろう。いや、外国人がどう思うかではない。一個独立の人間として、私はこの日本的悪習慣を是としないのである。
 こんな愚劣なことはもうやめようじゃないか。
 パーティには男女同数を呼ぶようにしようじゃないか。
 コンパニオン嬢なんていう不可思議な職業は廃止しようじゃないか。
 自分のものは自分でとって食べようじゃないか。
 自分の飲物は自分で差配しようじゃないか。
 当り前の事を当り前にやろう、ただそれだけのことである。
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