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テーブルの雲67

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:パソコンの時代と読み書き いっぱしのパソコン使いのような顔をして、パソコン雑誌に出たりしているけれど、正直に言えば、私は
(单词翻译:双击或拖选)
 パソコンの時代と読み書き
 
 
 いっぱしのパソコン使いのような顔をして、パソコン雑誌に出たりしているけれど、正直に言えば、私はいわゆるヘビーユーザーというようなものでは決してない。思えば、このコンピュータという道具とつきあい始めたのは、もう十一年ほど以前にもなろうか。最初にとりついたのは、NECのPC6001というおもちゃのようなコンピュータだった。以来|幾星霜《いくせいそう》、文豪V50、書院シリーズ三種、PC8801、9801、PC286V、マッキントッシュSE30、マック㈼FX、パワーブック170、マック・クアドラ800、パワーブック190と使って現在に至っている。
 この間、ごく初期に僅《わず》かばかりBASICで原始的プログラムをものしたほかは、その種のことにはいっこうに手を染めずにきた。要するに、コンピュータという暗箱のなかがどうなっていようと、それは私のあずかり知らぬこと、私の興味は、もっぱらキーボードからこちら側だけにある。それも、私の仕事というのが、そもそも国文学者と作家ということだから、そのいずれにしても表計算ソフトなどには用がない。データベースも住所録管理に使う程度で、いわゆる学問的なデータの蓄積や検索には現状では使いにくい。容量も不十分、またデータの保存性もいまだ不安定だからである。コンピュータ通信も私の興味の埒外《らちがい》にある。一時は、通信ネットワークに入っていたこともあるのだが、その実体はほとんどが無用の「おしゃべり」に過ぎなかったので、時間と金の無駄だと悟ってすべての通信から手を引いた。こんごとも、まずモデムを買い直してもういちど通信を始めようとは思わない。
 しかしながら、パソコンユーザーとしては、きわめて精力的な使い手であるとは言えるだろう。なにしろ、一日の大半はディスプレイを睨《にら》み、キーボードを打っているわけだから。
 その用途は、まずほとんどはワードプロセッシングである。それから、試験問題を作ったり、または論文のオフセット版下を作ったりするための「ページメーカー」、年賀状や献呈本のリスト作成のための住所録管理はデータベースで行う。そのほかは、たまにペイントソフトを用いて絵を描く程度で、ゲームなどはつまらないから一切やらない。
 この十年あまり、コンピュータやワープロとつきあうようになって、いちばん変わったことは、とにかく文章を書くのが速くなったことである。現在|厖大《ぼうだい》な量の文章をこなせるのは、ひとえにコンピュータのアシストあってのことである。いや、文章を考えるのが速くなったわけではない。それは以前と変わりがないのだが、ただ手書きではその考える速度に手が追いつかなかったのに、キーボードからのローマ字入力をするようになってから、手が発想速度に追いつくようになったということである。やり始めの頃は、なにかこの「変換」というプロセスに違和感があったものだったが、一月もするうちには慣れて何も感じなくなった。それで、今ではまず何を書こうかと思いながら、コンピュータの前に座る、そうするとだんだん考えが浮かんでくるというのが習いとなった。なにぶんコンピュータは推敲《すいこう》自由なので、思うままに一次草稿を書き、それから、注文に合わせて適宜寸法を詰めたり伸ばしたりする、そうしてピタリと注文のサイズにあわせることが容易になった。もうこの利便性を知った身は、二度とあの手書き文化のなかには戻ることができない。しかし、その半面、コンピュータがないと何も書くことが出来なくなってしまったのは、一種のデメリットに違いない。
 コンピュータはあまりにも日進月歩する。二年も使うとはや時代遅れになり、つぎつぎと機種を更新していかなくてはならない。これもちょっとしたデメリットだ。それで、数多いコンピュータ雑誌(これという愛読誌はない)に目を曝《さら》すときも、もっとも熱心に見るのは広告ページと新機種の紹介記事である。いわゆるプログラミングに属する記事や、ゲーム関係記事など、まず読まない。いっそ極めて詳細な充実した紹介・広告だけの雑誌があってくれたらいいのに、と思うことすらある。
 いままで九八・マック両方を使ってきて、現在はすっかりマックだけで仕事をしている。しかし、ウィンドウズ95なども発売され、ハードウェアも驚くほど安くなったことだから、もういちどウィンドウズマシンを試みようかと思わぬでもない。マックは、印刷が遅いのと、その際にとかくトラブルが多く、この点はウィンドウズに一日《いちじつ》の長《ちよう》がありそうに思われるからである。いずれにしろ、ビジネスの土俵でがっぷりにくめる競争相手(選択|肢《し》)があるのは、我々にとって望ましいことである。
 つまるところ、戦後五十年、コンピュータが市民権を得てから、ほぼ十年という現代は、あたかも維新後三十年ころに活版ジャーナリズムが世の中を制覇《せいは》した時代にも似て、確実に「読む・書く」という営為に大きな変化が起こりつつある過渡期であるということである。
 おもうに、このコンピュータ時代には、小学校で徹底的にキーボード操作を教えるべきである。
 また、振り仮名付きの本をどんどん読ませることと、最初からコンピュータによるワードプロセッシングを教えること、それが新時代の読み書き教育のあるべき姿で、漢字の書き取りなどは、かならずしも必要のないことかもしれぬとさえ思うのだ。手書き入力だの音声入力などは、速やかに文章を書くという本質からするとナンセンスであって、しょせんキーボードを素早く操作して入力するのにかなうはずがない。日本語のような複雑な文字体系を持つ言語においては、手書きの書体や音声を認識して文字に変換するのには、キーボードからの単純な変換よりも、理論的に、はるかに複雑な解析プログラムを必要とするからである。そして、コンピュータで書くと文章が間延びするなどという根拠のない迷信がすっかり払拭《ふつしよく》されたときに、ほんとうの意味でのコンピュータ時代が到来するのである。それはもうすぐそこまで来ている。
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