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テーブルの雲74

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:雨の日にあとがきにかえて 思えば、世の中は不思議である。 私は、少年の頃、一つも本を読まない、つまりそれはごく普通の男の
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 雨の日に——あとがきにかえて——
 
 
 思えば、世の中は不思議である。
 私は、少年の頃、一つも本を読まない、つまりそれはごく普通の男の子だった。けれども、それでは、少年の私がものを知らない蒙昧《もうまい》な子供だったかというと、全然そうではなかった。むしろその正反対で、私は小さい頃からクラスの中の|物知り博士的《ヽヽヽヽヽヽ》な少年だったのである。それは、一つに、私をとりまく世界が「面白いこと」に満ち溢《あふ》れていて、日々その観察と考察に明け暮れていたからである。
 雪が降れば、さんさんたる降雪のさなかに立って、袖《そで》に雪の結晶を受け、その幾何学的な形を観察して倦《う》まなかったし、雨が降れば、直ちに庭にいでてその「にわたづみ」に草木の小船を浮かべ、又は、棒切れで掘り進んでは水路やダムを作り、これまた日の暮れるのを覚えなかった。夏の林間には、カブトムシあり、蟻《あり》の巣あり、山には胡蝶《こちよう》、海には磯虫《いそむし》、花をむしり枝を折り、気が付けばいつしか陽《ひ》は西山《せいざん》に傾いていた。
 友達のない孤独な少年だったのではない。毎日が朗らかで何の曇りもない、幸福な少年時代だった。それでも私は、いつも何かを一生懸命に観察して、それを絵に描いたり、または架空の動物などを空想したりして、一人楽しむのに余念がなかったせいで、ついぞ本を読むところまで思いが至らなかったのであろう。学校の勉強は、学校で真面目《まじめ》にやっていたので、家へ帰ってまで勉強をしたり読書をする必要などなかった。自然や町や友達や、先生や大人や、御用聞きのオジサンや、とにかく自分を取り囲む全《すべ》てのものが先生だった。そういう「三つ子の魂」が、長じて、イギリスを面白がり、食味を探索し、ひいては古典を甘なう魂と変じたのであろう。
 この本は、そういう「三つ子の魂」の集大成であるが、そこには、少年の私、青年の私、イギリスの私、そして現在の私と、いろいろな私がいる。辛《つら》いことも懐《なつ》かしいことも、楽しいことも哀《かな》しいこともある。
 そういうことをそこはかとなく書き綴《つづ》るうちに、ついに一冊の本になった。「テーブルの雲」という題名の寓《ぐう》するところは、巻頭の詩に陳《の》べてある。
「A BOOK FOR A RAINY DAY」という副題は、一八〜一九世紀イギリスの美術史家ジョン・トーマス・スミスの自伝的随筆(?)の題名を拝借した。イギリス人の友達に聞いたところでは、雨の日の徒然《つれづれ》に読む本、という意味に加えて「人生晴れの日ばかりにてもなし」というほどの含意もあるのだそうである。
 最後に、この本を編集するに当って力を尽くしてくれた新潮社の寺島哲也君ならびに文庫版の編集に尽力してくれた福島知子さんと、たくさんの有益な助言を与えられた柴田光滋さんに心からお礼を申し上げる。
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