この頃《ごろ》、風間杜夫が無性に好きになってしまった。
彼が出るテレビ番組は絶対にビデオにとっておくんだ。あのスーツが似合う容貌《ようぼう》とか、いかにも保守的で神経質な感じがぞくぞくするぐらいいい。
なぜこんなに好きになってしまったのかしらん。ひとつだけいえる。私のまわりには絶対にいないタイプなのよねん。
私がふだんつきあう男性つうのは、ネクタイなし、ヒゲ、左手のくすり指のリングありというテアイが多い。広告代理店とかスポンサー筋にサラリーマンはいるにはいるけれど、またあれはあれで純粋なサラリーマンというのとはちょっと違うような気がする。
清廉潔白、純粋|無垢《むく》のサラリーマンというのは、私の場合なかなかお目にかかれないのよねー。
六本木のスナックなんかで、バリバリの商社マンっぽいのがよく飲んでる。ふらふらとその横の席をとったりするけれども、よく見るとそのかたわらにJJ卒業生という感じの、きれいな女がいたりして入りこむスキが全くないのだ。
それに男連れだったりしても、彼らの視線はもっぱら、女子大生の二、三人連れの方にばかり集中して、こちらの方なんかまるっきり無視。
いや無視というよりも嫌悪といったものさえ感じる時がある。
派手な格好をした、オレたちとは全然違う世界のオンナ。気ばっかり強くって遊んでんだろうなー、といった視線をチラッチラッと感じる時がある。
私の連れがいけないんだ。私はいっしょに飲んでいる私の仲間をにらんだりするのもこんな時。
雑誌で読んだんだけれど、女子大生に自由業の男ってすごく人気があるんだって。ラフなファッションとかヒゲとかがすごくいいとか。反対のことがなぜサラリーマンの男に起こらないのかしらん。
女の方が好奇心と冒険心に満ち満ちているのに反して、男の方がずっと臆病《おくびよう》である。
でもそこがすごおく素敵。
真っ白いカフスとか、飲んでいるからちょっとゆるめたネクタイの結びめっていうのは、本人たちが感じている以上にずっとセクシーである。
できることなら、カウンターのバーテンダーに、
「あちらの方にカクテルさしあげて」
なんていってみたい。わくわくわく。
私が婚期をのがしつつあるのは、モテないことも多分に影響しているが、ひとつにはサラリーマンへの憧《あこが》れが非常に強いことがある。
こぎれいなマンションかなんかで絽《ろ》ぎん刺しをしながら夫の帰りを待ってるワタシ。
チャイムが鳴って、サラリーマンの夫帰宅。
「やだ、また飲んでらしてー」
「接待だよ、接待、おい風呂《ふろ》沸いてるか」
「ハァイ、お夜食も用意しててよ」
なんていいながら浴衣を後ろからふわっとかける。そのスキに夫の肩に頬《ほお》すりよせて、香水のにおいなんかしないかをしっかり点検しちゃうんだから。
サラリーマンじゃない家庭に育って、サラリーマンの恋人をもったことのない私は、こういう場面の想像がとめどなくエスカレートしちゃうから困るのよね。
その反対に、雑誌「モア」のグラビアによく登場してくるカップルたちって、吐き気がするぐらい嫌い。たいてい奥さんがスタイリストで、旦那《だんな》がグラフィックデザイナーかイラストレーター。あーいうところに出てくるカップルって、たいていは編集者の友人関係から見つけてくるから、ほとんどがカタカナ職業なのよね。
「私たちって個性的に、現代的に暮らしてるでしょ、ほら、ほら」
っていう感じが、ふたりの笑顔からプンプンにおうんだけれど、個性つうもんが集まると、ただのアホにしか見えないって知らないのかしらん。
手づくりの家具があったり、グリーンがいっぱいの部屋っていうのもどれも同じパターンだし、食事をしているシーンだったりすると、女の方が得意そうに、コレクションしている古伊万里《こいまり》の食器が必ず出てくるのもおぞましい。
あまりにも似かよっている人間がふたり、同じ屋根の下に暮らしている嫌らしさがにじみ出ているのよね。ヒワイですよ。
そこへいくと私はエライ。違うタイプの人間というのを求めて、いっしょに暮らしたいと願うんだから。
実は私、ちかぢかお見合いします。お相手は某出版社のサラリーマン。その日に備えてただいま特訓中。あと七キロ減らして煙草《たばこ》もやめたいよおー。そうそう、このショートをやめてパーマかけちゃうんだからね。洋服だってトリイ・ユキかなんか買っちゃう。
でも困っちゃうな。考えてみたら、私若いサラリーマンと一対一で喋《しやべ》ったことないような気がする、実は。
「エチケット読本」の、見合いの章のところを読んでよおく勉強するつもり。