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ルンルンを買っておうちに帰ろう03

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:飯倉「キャンティ」の対決 私の友人の中に、とにかく病的に色っぽい女がいる。 とにかく色が透けるように白いのだ。小柄だけれ
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 飯倉「キャンティ」の対決
 
 私の友人の中に、とにかく病的に色っぽい女がいる。
 とにかく色が透けるように白いのだ。小柄だけれど均整がとれた体つきで、川上宗薫先生がものすごく好きなタイプだと思う。
 日本的な顔立ちは、「男好きのする」という言葉がぴったり。笑うとちょっと歯ぐきが見えるのも、五月みどり、西川峰子とつづく、そのテの女の系譜にぴったりと一致する。さらに皮膚が異常に薄いのも大きな特徴で、私が難なくドスンとテーブルに置く湯飲み茶わんも、絶対に彼女は手に持つことができないのだ。
「キャー、アツイ」
 とかん高い声で彼女が悲鳴をあげると、その場に居合わせた男共がゴクッと生ツバを飲み込んだものである。
 これがマジメな女だったら話はつまらないのだが、素晴らしいことに彼女はものすごい男好きだったのである。
 情も非常に深く、ある時彼女は四日間連絡なしで職場放棄したことがある。話を聞くと男が盲腸で入院したので、泊まり込んで洗たく、下の世話と不眠不休だったらしい。
「会社に電話するのなんかどうでもよくなっちゃった」
 と彼女は舌を出したが、その動作もすごく可愛らしい。
 あんまり彼女のことをほめると、レズではないかと疑われそうだからこのへんにしとくが、こんな女性を男がほっとくはずはない。
 その頃、私と彼女はある二流プロダクションでチラシのコピーなんかを書いていたのだが、頭のいい彼女は、そこの会社の男なんかハナから相手にせず、わずらわしいことを避けるために絶対にスキをつくらなかった。あくまでも「一流大学を出たエエとこのお嬢さん」という態度をくずさなかったのは実に見事といってもいい。
 彼女は私と違って先が読める人だったから、
「あたしゃコピーライターにそう向いてないみたい。一流になれないんだったら、いつまでもグズグズこんなことしてても仕方ないわ」
 といって、あっさり転職してしまったのだ。
 現在彼女は、あるモデルクラブのマネージャーをやっているが、その仕事がよっぽど性に合うのか、水を得た魚のようにイキイキとしてる。あんまり楽しそうなので、なんか男がからんでいるなとにらんだが、その推察はかなりあたっているらしい。
「マネージャーってどういう仕事よ」
「そうねえ、スポンサーのおエライさんたちと食事したり、飲んだりってのが多いわね」
「ふーん、そして帰りは手ぐらい握らせるわけね」
 彼女はいつものメゾソプラノで、
「あったりまえじゃない。それが仕事なんだもの」
 といって軽くにらんだ。
 とにかく彼女はこんな調子ですべてあけすけ。それがとても気持ちよかった。
 その頃、私と彼女は毎晩のように飲み歩いて、会社の悪口と男の話をしつづけたものだ。
「初めてのオトコ? 高校一年、十五歳の時よ」
 私の推定年数より三つ若い。
「マリちゃんはいくつん時?」
 私はミエをはって、三つも若く答えてしまった。
 しかしこれは、わりと私にとって衝撃的な発言でしたぞ。
 いまでこそ中学生がディスコで男を拾う時代だけれど、彼女が初めて男と寝た頃というのは、いまから十年以上も前。当時としてはかなり画期的である。
 しかもその男とは結婚するだの、駆け落ちするだのと、ものすごい修羅場を演じたらしい。
「まあ十五の時にいろいろやりつくしちゃったって感じね」
 と彼女はいう。
 なるほどわかった。
 色っぽい女は一日にして成らず。
 少女の時からの積み重ねで、今日の彼女があるわけだ。
 そう思って過去を顧みれば、今日の私がこうなっているのも無理ないと、自然にうなだれてしまう。
 私の十五歳の思い出といえば、真っ白い自転車である。レンゲ畑である。
 高校入学の祝いに買ってもらった自転車で私は毎日風を切って通学していた。途中の土手下に、レンゲ畑があたり一面にひろがっている場所があった。私は毎朝そこに立ち寄ってレンゲの花束をつくるのである。それを教室の花びんに飾って、
「誰《だれ》か私のことをお花好きのやさしい女の子と思ってくれないかしらん」
 などと思いながら、クラスメイトになったばかりの男の子を、あれこれと思いうかべたものである。
「ウソー、それ昭和何年頃の話? あなた私と一つしか違わないじゃない。それ本当に日本であったこと」
 今度は彼女が驚く番だ。
「あたしその頃、毎晩慶応の男の子たちと外車連ねて六本木へ遊びに行ってたわよ。�キャンティ�なんかでワイン飲んでさー」
「ウソー、高校生で�キャンティ�。冗談じゃないわよ。あそこなんかいま私のうちと五分と離れてないけどあんなだいそれた店、この年こいても足をふみ入れたことないわよ」
 と今度は私。
 そしてふたり、
「ウッソー」「信じられない」
 と顔を見合わせた。
 まさに童話「田舎のネズミ、都会のネズミ」の一場面だが、私はいくら十五歳で初体験、慶応の学生、外車、�キャンティ�とおいしそうなものを並べられても、私の少女時代と彼女のとをとりかえっこする気ないぞ。
 だって男とか六本木なんて、いまの私ならいくらでも手に入るもん(そうでもないか)。
 十五歳で自転車とレンゲ畑に出会わなければ、いったいいつ会うんじゃ。
 あそこで私は、恋とか華やかな都会への夢を育てていったのだ。そしてそれはじわじわとゆっくり育まれていったから、初めて実物と出会えた時はすごく嬉《うれ》しかった。
 憧れる暇もなく、あまりにも早くいろんなものと出会った少女は、どんなふうにそれらと向かいあうんだろうか。セックスとか、酒とか、出会うということがそのまま少女時代の終りとなるものは、この世の中にいっぱいあるもんね。
「あーら、そんなことないんじゃない」
 彼女はいう。
「私は海外旅行と男を経験するのは若いほどいいと思うわね。心がやわらかくって感動の仕方がぜんぜん違うじゃない」
 なるほど、こういう意見もありましたか。
 しかし、人のものはなんでも羨《うらや》ましがる私が、彼女の話を聞いてもぜーんぜん羨ましくないのよね。それだけ自転車とかレンゲ畑の魅力ってすごかったんだ。
 ひとつだけこれはいえる。思い出の色調が現在の生活とそう変わらないことよりも、パノラマ展開でものすごい変化を見せてくれる方が楽しいと思うけどな。
 いまの私にいえるのはこれだけ。
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