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ルンルンを買っておうちに帰ろう11

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:バージンをあまりいじめてはいけない この世の中で何がいやらしいったって、男をしった女たちの、バージンに対する優越感ぐらい
(单词翻译:双击或拖选)
 バージンをあまりいじめてはいけない
 
 この世の中で何がいやらしいったって、男をしった女たちの、バージンに対する優越感ぐらいいやらしいものはない。
 ひとりちょっと世間知らずの子がいたりすると、
「仕方ないじゃん、なんせあの子バージンだから」
 とかいって、ヒッヒッと笑い合うでしょ。あの光景というのは、見るもおぞましいものである。
 そうかと思うと、バージンというのはわりと好奇心が強いから、いろいろと無邪気な質問をしかけてくる。それを微に入り細に入り、いろいろと必要以上に喋って、
「あなたも早く捨てなさいよ」
 とけしかけたりもするのである。
 いま中学生とか、高校生とかが、種痘をするような感覚で、われもわれもと男と寝たがるけれど、あれは絶対に先に男をしった同級生たちが、いろいろな情報をあたえすぎるからに他ならない。
 そして彼女たちをせかしているものがもうひとつある。それは時間だ。
 なるべく早く男に抱かれないと、若さという魔法がとけて、もう男に愛されないのではないだろうかと彼女たちは怖れているのだ。
 また彼女たちは、自分がきめた�喪失年齢�というのにも追われていく。それは十六歳とか、十七歳とか、全く根拠のない数字なのだけれど、少女の生まじめさで、これを守りぬこうとするわけである。
 最初に私がいったバージンというのは、もちろんこうした少女たちをさしているのではない。もう少し年齢が上の、男とかセックスがわかりかけていて、しかもバージンであるという状態の女性たちのことである。
 ローティーンの少女たちで、男をしらないというのはごく自然のことだから、バージンという言葉はふさわしくないような気がするのだ。
 バージンというものには、多少なりとも恣意《しい》的なにおいがなければならない。
 さて、ちょっと前の話になるが、私が初めて男と寝たことがある。その時非常に嬉しくて、嬉しくて、友人たちに私は電話をかけまくったのである。その時まっ先にかけたのが、昨日までの私と同じバージンの友人だったということは、いま考えるときわめて暗示的である。
 全く無意識のうちにしたことであるがいま考えると、反応がいちばんおもしろそうだったからに違いない。
 事実を告げると、彼女は電話口で息を飲んだ。そうとうショックだったようだ。これこそ私がいちばんのぞんでいた反応だったのだ。
 もう体験ずみの友人たちとはこうはいかない。
「あーら、やっぱりあの男と。よかったじゃない。おめでと」
 と非常にあっけらかんとした声がかえってくるだけだ。
「それでどーだった。よかった? フフフ」
「もー、いろいろ大変だった。そんでさー、ひとつ聞きたいんだけど、あん時ね、彼ったらね……」
 まあ話していくと話が具体的になってそれなりにおもしろいのだが、もうひとつ物足りないところがある。私としてはもうちょっと驚いてほしかったのだ。
 そこへいくとバージンのコというのは、私の思うとおり、しばし沈黙がつづく。これはなかなか緊迫感があっていいものだ。
 なにせ他人にショックを与えるほどの快感がこの世にあるだろうか。
「マリちゃんが本当に好きだったらいいと思うけど……」
 やがてポツンとした声が聞こえる。
「あの人とは結婚するわけじゃないんでしょう。マリちゃんがだまされてなければいいんだけど……」
「好きだったんだもの、私後悔してない」
「ふうーん、私ね、やっぱり結婚するんでもない人と、そういうことしちゃいけないと思うのよね」
「そうおー、私その時幸せならばいいと思うけどなー」
 彼女の言葉ひとつひとつ、実は最近まで私もいっていたことなのだ。
 男をしるということは、確かに私にとって昨日までのひとつの論理が百八十度転回することであった。こういう経験は、人生にそう何度もあることではない。
 その衝撃の瞬間に、私は彼女に立ち会ってもらいたかっただけなのだ。
 そのために、私はわくわくしながら真夜中に電話をかけたのだ。
 恥をしのびながら私は男をしったばかりの女のエゴイズムのいやらしさを書いたが、いま思えば、男をしるということはそんなにすごいことであったのだろうか。
 私よりいくつか年上で、結婚して半年もたたないうちに離婚した友人がいた。へんな言い方だが、それまで私と彼女は�バージン仲間�で、奔放に生きている女たちをちょっと横目で見ている感じが共通していた。
「アッタマにきちゃったわよ」
 彼女はいった。
「あんなに期待してたのにホントにつまんなかったわ。マリちゃん、あなた絶対に結婚しない方がいいわよ。結婚なんてさ、タンポンが入るようになっただけじゃない!」
 私の場合、タンポンよりはかなりいい体験をさせてもらったような気がするが、友人に喋るだけ喋ると、あとはもう、はしゃがせるものはなにもなかったように思う。
 男をしるというのは、�納得�ということであり、それ以上のものでも、それ以下のものでもないのだ。
 それなのに、寝る男がいるというだけで、あんなにはしゃぎまわる女たちが多いのはなぜなんだろう。そういう女たちに限って、身の上相談ばかりしている。セックスをものすごく過大評価しているから、その代償が多すぎるのだ。
 私の友人は、そんな時、
「トルコに行くよりマシだもんね」
 とひと言ぴしゃりといってやるそうである。
 こういうとたいていの女は不機嫌になって電話を切るそうだ。
「トルコに行くよりマシ」
 これを呪文《じゆもん》のようにとなえると、たいていの恋が萎《な》えてしまうから不思議だ。
 私のところへ会いに来るのも、タダでセックスができ、しかも愛情つき。沸かしたてのお風呂があってビールもある。朝食だって場合によってはつく。
 なるほどうまいことをいうなと感心しながら軽い寒けがした。
 これをはっきりと否定できるような男と女なんて、たぶんいくらもいないだろう。
 恋だの愛だの騒いだって、せいぜいはこの程度のものである。
 このいいかげんさに、ときどき女たちは気づく時があって、だから気ばらしにバージンをいじめるのかもしれない。
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