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ルンルンを買っておうちに帰ろう18

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:この頃私はバカになりつつある カーペットに寝そべって、「微笑」の「男の性感大特集」つうのを読んでいた。「微笑」はおもしろ
(单词翻译:双击或拖选)
 この頃私はバカになりつつある
 
 カーペットに寝そべって、「微笑」の「男の性感大特集」つうのを読んでいた。
「微笑」はおもしろい記事が出ているが、ハズカシイのでときどきしか買わない。買う時は裏返しにして、「週刊朝日」と「週刊文春」のサンドウイッチしたりしてなかなか気をつかうのだ。
「男の性感特集」は図解になっていて実にていねいだったが、最近�実物�を見る機会があまりないので、わかりづらい部分が多い。あれこれ思い出し、反芻《はんすう》しているうちにいつのまにかうたた寝をしていたらしい。
 夕陽の明るさで目をさました。口のまわりにひと筋、クッションにふた筋、ヨダレが白くのこっていた。
 とりあえずする仕事もないし、本でも読もうかと考えたのだが、この頃細かい活字は目と頭につらい。田辺聖子とか椎名誠ぐらいしかうけつけなくなっている。
 毎日読む女性週刊誌によって、芸能界の動向は一覧表がつくれるぐらいであるのに、いまどんな本がベストセラーか、とっさには思い出せないくらいである。
 いまの私を見て、「知的な」という表現をつかう人はあまりいないと思うが、昔は確かにそういうコースをたどっていたのである。中学一年からトルストイとか、ドフトエフスキーを読んでいたし、大江健三郎とか高橋和巳など、いまでは本屋の棚に並んでいるだけでも、見苦しくてサッサと通りすぎるような方々も、少女の私にとってはおいしいお菓子みたいだった。
 本当に、昔の私は「どうかしてたんじゃない?」といいたいくらい、頭の構造が違っていたようだ。
「物識りのマリコちゃん」
 とみなに尊敬されていた。それがいまじゃ、
「全く物を識らないコピーライター」
 と物笑いのタネだもんね。
「書く言語障害」といわれるぐらい、思い込みと間違いがはなはだしい。特に弱いのが濁音で、�プ�と�ブ�、�ポ�と�ボ�というのがたいてい入れかわっている。
�ジャンパースカート�が、�ジャンバースカート�となって実際に印刷されたこともあるし、私がプールサイドで叫んだ、
「キャッ、私ってこのあいだの007の映画の、ピ[#「ピ」に傍点]ーチサイドのポ[#「ポ」に傍点]ントガールみたい」
 という言葉は、まわりの人を唖然《あぜん》とさせた。
 その他にも、
「社内恋愛は、男の出世のタマサゲ」
「ひとりっ子ひとりいない公園」
 など、本当にそうと信じ込んでいたのだから問題である。
 コピーライターというのは、そこそこの知性は要求される職業だ。それなのに、もはや私にはそこそこの知性というものも枯れてしまったようなのだ。
 昔はホントにこうじゃなかった。
 ごく最近に近い昔、知性で売り出そうと考えていた頃がある。若さだけはあったけど、お金も美貌《びぼう》も全くなし。
「でも私には心の美しさと知性があるわ。これで男をひきつけられるかもしれない」
 まるで「欲望という名の電車」のブランチ(プランチじゃないよねー)みたいなことを本気で考えていた時期があるのだ。
 いまはなんというか知らないけれど、当時はコンパという学生相手の安く飲む場所があった。そこで、
「三島由紀夫とラディゲの根本的な差は……」
 などと酒を飲みながら、男に喋《しやべ》りつづけていたのである。
 男のことで多少苦労して、いまじゃこっちの方では少しリコウになったから、男の意図を汲んで�ブリっ子�したり、�悪女�したり、いろいろなバリエーションが組めるようになったが、当時はこのテで押しつづけるより他はなかったものね。
 さて、こんな女の子が、
「もうかって楽ができる」
 というイメージに魅かれ、コピーライターとなりました。このコの運命はいかがなるものでありましょうか。
 当然、悲惨ですね。
 私が最初に入社した広告プロダクションの人の話では、
「まだこんなコが東京に残っていたものだろうか」
 と感動したそうである。
 化粧っ気なし。カーディガンにプリーツスカート。まあ昨日上京してきた田舎のネエちゃん、といった感じだったのでありましょう。しかし、私の心は例のごとくどす黒い野心に燃えて、とても素朴なネーちゃんどころではなかった。
「知性的な女に見られたい」というイヤらしい心と、コピーライターに憧れる派手好きの心が同居しはじめて、それが私を苦しめた。いま考えると全く矛盾するものでもないのに、とにかく当時の私はイジイジしていた。
「キミさぁー、いっちゃナンだけど野暮ったいよ。もっとさファッショナブルになって、この業界のヒトっぽくなったら」
 などといわれるとキッとなって、
「そういうの私嫌なんです。こういう世界に入ったからって、私は私。別に変えることもないと思いますけど」
 などといいながら、帰りはオズオズと原宿のブティックを眺めたりする暗〜い少女だった。
 こういう日々の中でも、しっかりと恋をしたのがいかにも私らしい。しかも相手はこの会社に出入りするカメラマンのひとりだったのだ。彼はアメリカへ行ったというし、もう時効にもなっていると思うからはっきりいっちゃうけど、よくも私の純情を踏みやぶってくれたわね! このページをかりてウラミツラミをいわせてもらっちゃうけど、私はあの頃毎日、小田急線のホームを見つめていました。私が男のために自殺しようと思ったのは、あれが最初で最後である。わ〜! いっちゃった。
 モデルをしていたというのが自慢の、やたら背の高いカッコイイ男。軽薄、女好きを絵に描いたような男に、なぜか私は惚《ほ》れてしまったのである。無理もない、学校を卒業して間もない私にとって、彼は非常に新鮮な存在に見えた。新鮮ということだけで、ひとはいくらでも恋ができるのである(同じような理由で、最近私は国立大出のエンジニアを好きになってしまった。月日が流れるのは本当に早いものである)。
 私にとって彼は、目がくらむような全く別の世界の人間だった。それと同じように、彼にとっても、私のダサさ、幼さもいっときは新鮮に見えたこともあったのだ。全く予期しなかったことであったが、男と女の間に、劇的なことって起こるんですねぇー。なんだかんだあって、結局は私はふられてしまった。そのことはまわりの人間たちも知るところとなって、私はその会社にだんだん居づらくなったのだ。課長とのオフィスラブがバレたOLの心境を想像してくださるといい。
 やめることを決心した日、私はひとりアパートで泣いた。
「なんで私だけがこんなつらい目にあうんだろ。いけないのはむこうじゃない」
 昔から私には被害者意識しかないといわれていたが、この時も全く同じである。やがてそれが男への怨念《おんねん》に変わるというのも、いつもと同じコース。
「うらみ晴らさでおくものか」
 という言葉をいつのまにかつぶやいていた。
 つぎの日、私は上司のうちによばれていた。会社をやめる本当の理由を聞こうと、上司が留守の時に、奥さんが夕食に誘ってくれたのだ。心をこめた食事のあとに水割が出た。
 その時私は一世一代の芝居をして、純粋な田舎出の少女の役をうまくやりおおせたと思う。
 私はワッと泣きふしていった。
「私ホントにあの人をこの世界の先輩として尊敬してたんです。だからあんなひどいことするなんて夢にも考えなかったんです。これ、奥さんだからいうんですよ。Aさん(上司の名)には絶対にいわないでください。お願いします」
 あんなに信頼し合っている夫婦。奥さんがA氏にいわないはずはない。そしてA氏の口から社長の耳にとどけば、彼だって会社に来づらくなるに違いない、と非常にたわいない計算であるが、必死に私は考えたのである。
 これを見とどけることなく、私は会社をやめた。しかし男への未練とウラミで、私ははちきれんばかりの火山のようになっていた。やがて私はこの話を手記にまとめて雑誌社におくった。採用となって当時で十万円ぐらいもらい、うまいものをタラフク食って、やっと私の腹の虫はおさまったのである。
 かように昔の私は賢かった。ある部分ではいまよりずっとしたたかだった。
 盗まれるもの、弱いものが山のようにあった。
 自分を傷つけるものとは徹底的に戦わなければ、今度は完全に殺られてしまうと思っていた。
 あの賢さというのは、本当に他人を刺す、針ネズミの針のようだったなー。
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