さだまさしが「ひめゆりの塔」の中で歌っている主題歌がものすごくいい。感激して涙が出ちゃったワといったら、ワーッと軽蔑《けいべつ》されて、まわりの人間たちからしばらく口をきいてもらえなくなった。
私がつきあっている人たち——マスコミ、広告関係の連中たちの中には、三つのタブーがあって、
さだまさし
松山千春
五木ひろし
この三人の名前を肯定的に口にしようものなら、「信じられない」とか「こんな人と、私お友だちだったの!」とかいうごうごうたる非難につつまれるのだ。たのきんトリオだとか、シブがき隊だとパロディとして笑ってすまされる。ジュリーだとわりと賛同の言葉で迎えられる。松田聖子はどうかというと、男がほめる時にのみ許されるようである。
私も「センスが悪いヒト」といわれたくないばかりに、このへんの微妙なニュアンスが少しずつわかるようになってきている。
彼ら、または彼女たちは、自分たちの感性や先取り精神というのに多大な自信をもっているから、ときどきものすごい�先物買い�とか�ゲテモノ買い�をするのよね。
�先物買い�の方は外国のアーティストや、日本のロック歌手に多くって、カタカナに極端に弱い私は、一度いわれただけではどうしても記憶できないから省略する。
しかしもう一方の�ゲテモノ買い�の方は、さすがに記憶に残る人々が多い。ちょっと異質の方を支援して、自分たちの好みというのがいかに個性的かを誇示する遊びなのだが、つい最近までは平山美紀サンだった。
そして現在、圧倒的な人気を得ているのはなんといっても矢野顕子であろう。
私のまわりには彼女と仕事をいっしょにしたり、個人的に親しい人が多いのだが、みなは彼女のことを、
「アッコちゃん」
とよんでるね。
「もー、アッコちゃんは可愛いし、歌はうまいし最高よぉー」
と異口同音にほめそやすんだけど、私それを聞くとすごく嫌な気分になるの。
だいたい芸能人とかシンガーの好みをあれこれいいそやすのって、ひとにほぼ平等にあたえられた平均の情報量の中で楽しむもんでしょ、その平均をはるかに超えたレベルで、ひとの意表をつくような好みをつくったって仕方ないじゃないかと私は思うのだ。
だいたい、一度でも会った有名人を、チャンづけでよぶのは、この業界の習慣みたいなもんだけど、矢野顕子ぐらい「アッコちゃん」なんていう可愛いよび名に似合わない女はいないもんね。あの「ひみつのアッコちゃん」が泣くよ。
「下品な歯ぐきブス」という「ビックリハウス」の高校生の言葉の方が、私にはすんなりとうけいれられる。
とにかく私は彼女が大嫌いなのだ。
そしてはっきりと口に出して、大嫌いといえない空気を私のまわりにつくったことが、私がますます彼女を大嫌いにしている大きな原因になってくる。
つまり彼女を支持する人々から発射される「彼女を認めないものは、感性がにぶくて、世間一般の常識にとらわれすぎている」といった光線が私にはとてもつらいの。
ひょっとしたら本当にそうなのかもしれないという不安に揺らぐ時があるが、人間、これだけはどうしても譲れない部分ってあるでしょ。
私にとっては矢野顕子がまさにこの存在なのである。
あの声、あの顔、どこをつっついたら好きになれるっていうの!
私は普通のひとが普通にもつ印象を素直にいうだけなのに、なんであんなに非難がましい目つきで見られなきゃいけないんだろ。なんか彼女に対して、私もみんなもすごくイコジになっている。
誰かが、
「坂本龍一みたいないい男を亭主にしているから、ヤイテ……」
とかいったけど、こういういわれ方もすごくしゃくにさわるのだ。いくぶんはあたってるから……。
あるパーティーで坂本さんを紹介された私は、その噂《うわさ》以上の美男子ぶりに、目がくらむような思いをしたものだ。まだ新潮文庫のCMなんかに出るずっと前で、ややマイナーっぽい雰囲気が、「趣味の呉服」ならぬ、「趣味の美男子」とゆう感じですごくよかった。初めて会った時、彼は私の求めに応じて肩を抱いていっしょに写真を撮ってくれた。二回目に違うパーティーで会った時は、
「よく来たね」
といって手を握ってくれた。肩から手へとコトは順調に進歩している。三回目はどうなるかと考えたら胸は躍った。もう一度彼のテーブルに近づいて、
「坂本さん、お休みはどんなことしてるんですかぁ」
とミーハーっぽく聞いちゃおうかな、などワクワクしているところへ、矢野顕子が通りかかったのである。
写真で見るよりずっとブスだった。本当に妖怪《ようかい》じみた感じがあった。けれども彼女が通ると、
「アッコ」とか、
「アッコちゃん」
といったアイドル歌手顔負けの声がとびかう。ほとんどが音楽事務所やレコード関係者たちだった。いい大人たちである。その声にかすかではあるが、媚《こ》びやへつらいを感じたのは、私が多分この会場で唯一の、彼女のアンチ・ファンであるからだろう。
「矢野顕子は最高」
という言葉は、
「トリュフにアルジェリア産の蟻《あり》のジャムつけて食うと最高」
といった、ひねったグルメのいやらしさがある。
私は�通�にならなくても、グルメにならなくてもいいのである。そういうことをいいはじめると、いつか自分で自分をしばっていくような気がする。
普通の人の直感というものぐらい強いものはないのを、みんなは知らないんだろうか。