ある昼下がり、いつものように六本木の誠志堂で女性週刊誌を立ち読みしていた。
すると、どこかで見たことがあるような女が、網タイツ姿で婉然《えんぜん》と微笑《ほほえ》んでいるではないか。
懐かしの天地真理だった。
レビューのタレントとして、三たびのカムバックに挑戦するという。
二度目のカムバックの時のような病的な厚化粧はなくなって、表情もずっとナチュラルになっていたけれど、あの大根足はそのまんま。隣に立っているピーターのまっすぐに伸びた足にくらべるとかわいそうなぐらい(当然誰でもするように、私はピーターのその部分をジッと見つめてしまったけれど、すごくすっきりしていた。やっぱりモロッコにでも行ってきたのかしらん)。
私はそのグラビアをある感慨をもってしばらく見つめていた。——などと書くといかにも年増っぽくなるが、私と彼女がある因縁によって結ばれているのは事実である。ではどんな因縁だ、と問いつめられると困るのだが、彼女の最盛期と、私の最盛期はちょうどぴったり重なっているのだ。
当時の彼女の人気はものすごいもので、どのチャンネルをまわしても、あの声楽の道を途中で挫折《ざせつ》した者特有の、唱歌っぽい歌声と、目は全然笑ってない真理スマイルに会うことができた。
私は大学生になったばかりの十八歳。憧れの東京にやってきて、毎日がお祭りみたいだった頃だ。�青春しよう�と身がまえていた日々だった。現在私が多くの人たちから非難される、短絡的かつ類型的な思考はこの時期からしっかり私の中にあって、
青春→テニス、恋、コンパ
という反応をすぐさま私ははじめたのである。
それですぐ私はテニス部に入り、先輩に恋し、コンパの大好きな女子学生になった。
天地真理というアイドルに象徴されるように、万事がわりとのんびりとしたいい時代だったと思う(などといってもたかが十年ぐらい前の話だったけれど)。
そしてこの話をはじめると、たいていの人がうんざりした顔をするんだけれど、私はテニス部のアイドルになってしまったのね。
いま「むくんでる」とかいわれる丸顔も、若かった当時はぽっちゃりしているといわれた。「異常なる非常識」といわれるドジさかげんも、当時は「無邪気でカワイイ」とかいわれたのね。これホント。
年増になった現在、つくづく考えてみるとあの頃テニス部は若い男女が入り乱れて、戦々キョウキョウとしていた。みながそれぞれのお目あてを狙《ねら》って、さまざまなかけひきが行われていた。その中にあって、私のボーッとした性格と幼さは、ひとり場違いであり、クラブの連中も安心してからかうことができた。ただそれだけだったのネ。
とまれ、私は「テニス部の天地真理ちゃん」とかいわれ、コンパなんかでも大人気だったわね。私のお得意の歌は「虹をわたって」。
※[#歌記号、unicode303d]虹の向こうは〜
とか歌うと、みんなが、
「マリチャン!」と全員でかけ声をかけてくれる(天地真理とファンがやったあれである)。
私は少し照れて、マイクを握ったまま次の出だしをトチったりしたの。いまでは�ブリっ子�といわれるかもしれないけど、私は若かったし、幸福だったから、どんなポーズもきまってたわけよ。
それからすぐだったわね、天地真理の人気は桜田淳子とか森昌子(山口百恵は人気が出るのが遅かった)におされて、だんだんヒットチャートなんかから消えていったのだ。そして彼女といっしょに私も悲しい運命をたどることになる。つまり「飽きられる」といういつものパターンなのである。もう誰も「テニス部のマリちゃん」などといってくれなくなった。二年生になって、一年生のニューフェイスにしっかり人気を奪われた。人気ばかりではない、好きだった先輩だってとられたんだぞ。それがきっかけというわけでもないのだけれど、まるっきりうまくならないテニスに業を煮やして私はクラブをやめた。そして下宿でひたすら昼寝をするという、限りなく暗い青春になってしまったのよ。
天地真理も私も、その黄金期は非常に短かった。そして彼女はトルコ風呂の噂とひきかえにいつか消えてしまった。
けれども私は卒業後、
「田舎へ帰って農家に嫁いだ」
とかの噂こそクラスメイトたちの間に流れたものの、ひそかにしぶとく東京に残っていた。暗〜く潜行していたのだ。
そして再び、私が彼らの目の前に現われたとき、かつてのクラスメイトとかクラブメイトたちは驚いたものだ(と思う)。「クロワッサン」のグラビアに私は「期待されるキャリア・ウーマン」とかでニッコリ笑っていたんだもんね。着ていたもんだって、ケンゾーかなんかだもんね。
そしていつのまにか、私は麻布《あざぶ》の豪華マンションに住み、南青山にアシスタント付きの事務所を構えるまでになっていた。
これを破格の出世といわずしてなんといおう。
そして十年後のいま、私は網タイツの天地真理と再会したのである。そして全く奇妙なことではあるが、私はかつての若い時よりもはるかに、彼女と数多くの共通点をもっていることに気づいたのだ。
彼女はいっている。
「芸能界というのは麻薬みたい。わからない人にはわからないでしょうけれど、一度この世界を知ると、絶対にもう逃れられません」
もちろん私のような二流どこのコピーライターの世界と、芸能界とではその華やかさにおいて差がありすぎるだろうが、私も「もう逃れられません」。
たいして才能もない田舎の少女に許される範囲をはるかに超えて、私はいろんなことを知りすぎてしまったのだ。コピーライターにしてはマスコミにかなり出してもらった。作詞したレコードは出た。有名人とお知り合いになって、ホテルのバーなんかで飲むことをおぼえた。パーティーなんかに行ってもチヤホヤされるようになった。コピーライター志望の女の子たちからファンレターももらうようになった。
もうこの先、私は本当にどうすりゃいいの! ささやかながら、私も「麻薬」を吸ってしまっていたのである。もう十年前の、「テニス部のマリちゃん」で満足していた時代はすぎ去ってしまったのだ。
いろんなものをもちはじめてくると、私はもう寛大にはなれない自分に気づいていた。人に対する余裕ややさしさなんか、ホントにどっかへふっとんじゃったよ。
どっかの若手の女性コピーライターで、評判いいのや、目立つのが次から次へと出てくる。
「ふうん」
とかいって私は煙草をふうっと吐く。
「いいんじゃない、あの娘《こ》。頭もいいし、作品もおもしろいし……」
そして最後にいう。
「でもおんなのコピーライターによくあるタイプね」
なんて嫌な女かと思うでしょ。
私がいつもいちばんでいたい。
私より目立つ女は許せない。
私だけがひとにチヤホヤされたい。
売れてない頃には、「賞もらいたい」「第一線に出たい」という願望があるのみだった。「たい」がいつのまにか、許せ「ない」という憎悪に変わっている。
私も根はいい人間だから、こういう感情はものすごい勢いで私を苦しめる。救ってもらえるものなら、すぐさまクリスチャンになろうと一度は思っちゃったぐらいだもの。
天地真理さんもさぞかしつらかっただろうナ、と考えていると涙が出てきちゃいそうになる。
「あ、天地クン、今度の出番、新人の岩崎宏美クンに先にやってもらうことになったからね。キミ後ろの方で手拍子うっててね」
「すいません、いま南沙織がここに座りますので、化粧室あけてください」
なんていわれつづけたに違いない。
つらかったでしょうね。精神病院へも行きたくもなっちゃうよね。
人よりも早く走り出している。けれどもトップを走っている人たちに追いつくのはまだまだ先だ。走っているうちには、自分はそれほど足が早くないんだということがよおくわかってくる。それなのに後ろをふりむくと、大勢のファイト満々なのが、私を追いぬこうと走ってくる、というのがいまの私の状況だ。
「バカ! 来るな、もどれ」
なんて私なら砂かけちゃうけれど、いつもニコニコ真理スマイルを要求される世界に彼女は住んでいた。
ともかく平均以上に野心と才能を持つ女たちの方が、男よりずっと住みにくいというのは確かなようだ。