どうして焼肉屋というのは、ああいうあやしげな雰囲気を漂わせているんだろうといつも思っていた。
盛り場のはずれたところにも、一軒か二軒必ずあって、他の店がシャッターを降ろしている真夜中でも、焼肉屋だけはネオンがついている。
いつ入っても客があまりいなくて、古い週刊誌がちらばっている。そしてちょっと日本語のアクセントのおかしい主人がいる。そしてヤーさんっぽい常連客と、ぽつりぽつりと冗談をかわしたりしている。
ふり返ってみると、焼肉を食べに行く時はたいてい男といっしょだった。常日頃、私はわりとカンショウなところがあって、アカの他人であるところの男(まだ深い関係がないという意味)とひとつ皿から、物を食べたりすることが絶対にできないのであるが、焼肉だけはなぜか別なのである。さんざんねぶって、ごはん粒の半かけがくっついているような箸《はし》で、彼がひっくり返してくれた肉のきれはしを、何の抵抗もなく嬉々《きき》として食べるのだから、焼肉の威力というのはスゴイもんである。
私と焼肉を食べる人間は、かなり不利な立場に置かれることを覚悟しなければならない。大食いの家族にきたえられて育ったせいか、私はスキヤキとか、しゃぶしゃぶ、焼肉などゲーム的要素を持った料理を食べるのがすごく得意なのだ。特に焼肉は冷たいビールが味方についてくれたりすると、もう完全に私の勝ち。�流し込む�という形容詞がぴったりのくらい、すさまじいスピードになる。火に追われ、人に追われ、なにかさし迫った気分で箸を動かす。
先日などは、
「キミ、もっとゆっくり食べようよ。ネ、ネ」
と悲しそうな声でいわれたから、その速さたるや、自分で意識している以上にスゴイものがあるようである。
とにかく私は焼肉が好きなのだ。
そして焼肉が好きになるのとほぼ比例して、なぜか私はステーキが嫌いになっていった。いまではほとんど憎んでいるといってもいいぐらいだ。
なぜそんなに嫌いなのかと問われると困るのだが、たかが肉風情で、すごくエラそうにしているのが気に入らない。そもそも私の�ステーキ体験�というのは、あまりいい思い出がないのである。これをいうと両親の恥となるから、あまり大きな声でいいたくないのだが、私は高校を卒業して上京するまで、豚と牛の区別が全くつかない少女であった。はっきりいうと、牛肉を食べたことのない少女だったのだ。うちでステーキというと、豚のステーキのことであり、スキヤキの時も確かに豚肉を使っていたと思う。これはことさらにうちが貧しいということよりも、その小さな田舎町全体がそうだったような気がする。なぜなら、同級生の家で夕食をごちそうになった時も、あの時の肉は確か豚であったように記憶する。おまけにあの中には、小さく切ったじゃがいもが入っていた。かくして、余ったスキヤキは、一晩たつと「肉じゃが」という惣菜《そうざい》に変身する仕掛けである。
上京して牛肉を食する機会は何度かあったかもしれないが、なにせ貧乏学生の悲しい身の上、豚と牛をはっきりと差別化できるほどの�大物�を噛《か》んだことがないのだ。
だからこそ、私は「ステーキ」という、名前からしていかにも豪華なこのメニューに憧れつづけたのである。
ステーキを食べる時は赤ワインもいっしょに飲むのだ。
と誰《だれ》かが教えてくれたこの言葉も、私をワクワクさせていた。
そして私は、ステーキと目もくらむようなすんごい初体験をしてしまったのである。
初体験の場所はホテルでだった。
ホテルはホテルでも、帝国ホテル。帝国ホテルのグリルでステーキを食べたのだ! いま文字をつらねるだけで筆がふるえるような、神もおそれぬこの行為を、学生のぶんざいで私はしてしまったのだ。
日比谷《ひびや》で映画を見た帰り、私と友人ふたりは、帝国ホテルのコーヒーハウスで、パンケーキでも食べようと相談していた。これだけでもかなりしゃれた発想といえるだろう。しかし、コーヒーハウスは満員だった。
発想は突然ものすごい飛躍をとげた。
「上のグリルへ行こう」
といい出したのはいったい誰だっただろうか。もちろん、私たちがこの暴挙に出た背景には、アルバイトでもらったばかりの万札があったということをのべておかなければならない。
私たちはものすごい緊張で顔をこわばらせながら、グリルへの階段をどどーっと登っていった。少しでも躊躇《ちゆうちよ》の心が芽ばえれば、この決心が即座にこわれるのはよくわかっていたからである。
私たちにとって幸いだったことに、その時グリルのクロークは工事中で閉鎖されていた。もしあの時、クロークが開かれていたら、ズラッと並んだ毛皮とか、黒い服のフロントの女性たちが目に入り、我々はただちに「回れ右」をしたであろう。
グリルはゆったりと広く、ひややかな程度に暗かった。私は入口のところで足をふんばって、「ここはよく行く学校近くの�洋食つばめ�なんだ」と思い込もうとしていた。
まあ我々はなんの失敗もなく席につきました。そしてメニューがくばられる。金ピカの文字で書かれていたそれをついに見つけた。
シャリアピアン・ステーキ
私は当時から週刊誌などが大好きな、情報過多少女だったから、ここのシャリアピアン・ステーキがどんなに有名でおいしいか、よーく知っていた。帝国ホテルといえばシャリアピアン・ステーキ、シャリアピアン・ステーキといえば帝国ホテル。週刊誌の口絵に出てくるそれと、私はついに対面できたのである。
故郷の両親にこの事実を知らせたいと思った。
あいかわらず豚ばっかり食べているであろう、三つ違いの弟に、このひと皿を見せたいと思った。
私は感激にわななきながら、このステーキを非常においしく食べた。といいたいところだが、事実はそうではない。
考えてもほしい。豚しか知らない田舎の少女が、突然帝国ホテルでステーキなど食べたのである。天罰が下らない方がおかしい。私はボーイと目があうたびにドギマギし、ナイフとフォークの使い方が間違っていやしないかという不安におののいて食べたので、心痛のあまり味が全くわからなくなってしまったのだ。
なんとかコーヒーまで飲んで外に出た時は、三人は冬だというのに汗びっしょりかいていたのである。
また友人のひとりが、
「あのひと皿で何日暮らせるか」
などとつまらないことをいい出したので、またまたみんな暗くおちこんでしまった。
すべての初体験がそうであるように、私とステーキとのそれも、感想をもつほど深くかかわりあうことができなかったのは本当に残念である。
第一回目に、あまりにも大それたことをした祟《たた》りであろうか、どうもステーキというのは私と相性がよくないのである。まぁ、こういっちゃナンだけど、当時にくらべて私はずい分お金が自由になるようになった。やろうと思えば、マキシムとか吉兆とかのステーキだって食べられると思うのだが、なぜか気がすすまない。先日もある有名ホテルのステーキレストランに招待されたのだが、「こんなんじゃ、同じ建物の中の寿司屋の方がよかった」とずっと心の中でブツブツいってたのだ。
まずシェフが塊のままの肉を見せに来る。そして焼き方を聞く。そして食べてる最中に、
「いかがですか」
なんて聞きに来る。まさかまずいといえまいに。ちっと大きすぎたから残そうと思ったのだが、この時の彼の笑顔がちらついて全部たいらげてしまった。牛を食べに来た人間をブタにする気かよ、エッ。
あれほど憧れていたステーキなのに、長い歳月、美味飽食に慣れた私は、「タダの焼いた肉」とさげすむまでになっているのだ。
これは恐ろしいことである。
そんな自分がイヤでイヤで、ステーキを食べる時、本当につらいの、ワタシ。
焼肉を食べる時のはつらつとした姿はそこにはない。
焼肉屋には世をしのぶような、いちまつの後ろめたさがあって、それが私は気に入っている。同じ牛肉でありながら、片方は金のお盆にのっかってうやうやしく運ばれたりするのに、焼肉の方はパセリひとつ飾られることなく大皿に盛られてくる。
焼き方もしつこく英語で聞いたりしない。
レアにしたけりゃ、自分ですればよいのだといういさぎよさも私は好きである。
田舎で豚肉としかつきあわなかった少女は、焼肉を知って初めて牛肉の親友を得たのである。
腹いっぱい焼肉をつめ込んだ私は、ガムをくちゃくちゃいわせながら男と外に出る。焼肉屋というのは、どういうわけかホテル街の近くに多いのだが、片方の本能を十分満足させられたせいか、ふたりはとても無邪気にそこを通りすぎるのよね。