「ボ、ボクの体はもうメチャクチャらしい。医者から仕事とめられてるんだ」
エディターの秋山さんは、二か月ごとにこんなことばかりいっているけれど、ニューヨーク、ヨーロッパと遊びまわって、入院する気配は全くない。
彼がいますごく凝っているのは漢方薬で、その他にも「難病治療研究所」というところにも通って、背骨にハリをしてもらっている。
ざっと見わたしても、私のまわりには病気と戦っている人は実に多く、最近寄るとさわると自然食品とか、あそこのマッサージがどうのこうのという話ばかりである。
まあこれだけストレスの多い世界だから、なんらかの障害が出るのはもっともだと思うのだが、この頃、私のような元気はつらつ少女が居ごこちが悪くなったのには少々閉口している。
「お早ようございまあす」
私打ち合わせに元気に登場。
「ゴホン、ゴホン、キミはいつも元気でいいよなぁー。オレなんか夏カゼこじらしちゃってんだろ、そのうえ徹夜つづきで体力ないときちゃうんだから、ゴホン、ゴホン」
とまず朝っぱらから、デザイナーの体調を長々と聞かなければならないのだ。
「キミなんかよく眠れるでしょ」
「はぁい、毎晩十時間は寝ないとだめなタチでーす」
「いいよなー、元気なひとは。オレなんか忙しくて睡眠時間少ないうえに、最近不眠症気味で、ゴホン、ゴホン」
それでも私はやさしい人間だから、
「だいじょうぶですか」
とか眉《まゆ》をひそめてみせたり、丸薬を飲む水をコップに汲んできてあげたりするんだけれど、彼の症状はひどくなるばかり。
「ゴホ、ゴホ、もうダメ」
とかせき込まれたら、こっちも気がめいっちゃう。
最初にいった秋山さんは、すごく流行に敏感な人である。
彼は、
「とにかくいまやたら健康で明るい人間はダサイ」
とはっきりという。
「そもそもキミは体型がいけないね」
「そうすかー」
「いまね、そういう頑強な肥満体というのはうけないのよ。いかにも仕事がなくて、ヒマしてラクしてるって感じじゃない」
「仕方ないすよ、本当にそうなんだもん」
「ダメ、ダメ、それじゃいけないの。いまうけてる女っていうのはね、ちょっと陰がなきゃいけないの」
「あ、小林麻美みたいなのだ。あのひとなーんも仕事してないけど、素敵な女性の生き方とかファッションとかいう企画になると必ず顔を出すもんね」
「そう、そう、ああいうのがこれからきっと流行《はや》るね」
「わー、私もこれから結核になって高原のサナトリウム入ろうかな」
「うん、そういう過去をもつことは、これからのキミの仕事にきっとプラスになる」
病気で苦しんでいる方には本当に失礼な話だが、こんな冗談をいっていたおりもおり、知り合いの女の子が体をこわして入院してしまった。
彼女は美人で名高い音楽コーディネイター。都心の個室はいろんな人からの花束でいっぱいだ。私がいる間も、有名ミュージシャンたちのお見舞いがつづく。ちょっとしたロックフェスティバルの楽屋みたい。
彼女には内緒の話だけれど、それを見てすっかり私は羨ましくなってしまった。人はよく自分の葬式の場面を思いえがいてある快感にひたるというが、女の場合は入院という言葉に置きかえることができるようだ。
私の場合、誰と誰がお見舞いに来てくれるかしらん。花束もいいけど果物もいいな。病院は、絶対に、信濃町《しなのまち》の慶応付属病院だもんね。真っ白いレースのガウンなんか着ちゃおーっと。
とつまらぬことを考えながら歩いてたら、曲がってきた車にはねられそうになってしまった。
わ、こわかった。同じ入院にしても、交通事故というのはちょっと品下るという感じがするからよく気をつけよう。
そうしているうちに、バチがあたったのか、私はからだの具合がちょっと悪くなってしまった。胸が痛くて夜も眠れないぐらいになってしまったのだ。
「乳ガンかしら」
自分で下した診断に、本当にゾーッとした。私は急いで近くの本屋に立ち読みしに走った。そこの本屋はひどい品揃えで、「家庭医学事典」を置いていない。私はひどく腹を立てたが、運のいいことには「女性セブン」が乳ガンの特集のページを組んでいた。
「乳ガンになりやすい女性」というのが表になっていて、その一として色白の肥満体というのがあった。くやしいけれどあてはまる。その二として、バストが大きい人というのがある。ふん、ふん、これは完全にあたっている。その三として、高カロリーの油っこい食事が好きな人。そりゃーそうよね。こういうのが好きだから肥満体になるんだものねと、なんとなく反ぱつ。その四として高学歴のインテリ女性という意外な一行があった。これもあたってないことはない。日大といえども大学は大学。一応私は卒業しているし、コピーライターというのも、インテリの職業といえないことはない。その五として、年齢の高い未婚女性で、出産経験のない人。と書いてある。
私は驚きと恐怖で週刊誌をとり落としそうになった。五つの注意信号が全部あたっているとは、私はもう間違いなく病魔にとりつかれているのだ。
その夜はベッドの中でひとり泣いた。無駄使いばっかりして貯金が全くない、保険にも入っていない身の上をつくづく悔やんだ。もう入院したいなんて冗談でもいいませんから、元の健康体に還してくださいと神さまに祈った。胸はあいかわらず痛かった。
「思えばなんてつまらない人生だったんだろ」
深く思いつめると、行きつくところまで行くのが私の性格である。
「そんなにすんごい恋もしなかったし、結婚もできなかった。子どもひとりこの世に残さずに死んでゆく女の身の上。なんてみじめなんだろ」
あおむけに泣いていたもので、涙が鼻の中にズーズー入る。だからこんどはうつぶせになって泣きはじめた。
これほど悩んだにもかかわらず、私は病院へ行かなかった。はっきりと診断を下される前に、明るい気持ちで楽しいことをすませておこうという、いつもの根性が頭をもたげてきたのだ。
あのパーティーに出たら、あの旅行に行ったら病院に行こうと思っているうちに、ずるずる日がたってしまった。
そして私はこの重大な秘密を、ひとりでしまっておけずに、ひとりの友人に打ち明けたのだ。
「どうりでこの頃ヤケに元気ないと思った」
彼女はいった。
「思い切って行ってごらん。いっしょに行ってあげてもいいから。あなたは思い込みの激しい性格だから、きっと間違いだと思うわよ」
彼女の言葉に励まされて、私は病院へ行った。病院の門をくぐるのは、歯医者以外これが初めてである。
受付の女性が、
「どういう病状なんですか」
と冷たく聞く。
「乳ガンかもしれないんです」
といいかけたら涙がこぼれそう。
そして診療室のドアを開けたら、老人の医師が、
「どれ、どれ、乳ガンだって。そりゃ大変だねー」
とすごく明るい大きな声で迎えてくれた。
あ、ひとの秘密あんなに大きな声でいってる。
「ガン患者なんてね、ドア開けた時からわかるの。あんたみたいな人がガンだなんて騒ぐと、本当の患者がおこるよ」
という医師の言葉は嬉しかった。
「あんた、いつもバカみたいにでっかいバッグ持って歩いてるんじゃない。アレってよくないのよねー、肩と胸にすごい負担なの」
よかった、ガンじゃなかったんだ。私は喜びのあまり、あとの皮肉っぽい言葉もぜんぜん耳に入らなくなってしまったほどだ。
その日から私の自慢のタネがもうひとつ増えた。もちろん、ひとりで病院に行ったことではない。
私は心配してくれた友人に、その恩も忘れてこんな電話をかけた。
「それでさー、お医者がいうには、胸の大きい人ほど負担が大きいんだってさー。まぁあなたは絶対に心配ないわね。ヒャ、ヒャ」
こういうことばっかりしてるから嫌われるんだワタシ。