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ルンルンを買っておうちに帰ろう32

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:林真理子はなぜ林真理子か 私はお世辞が大好きなくせに、ひどく気の弱いところがある。あんまりほめてもらったりすると、「ちょ
(单词翻译:双击或拖选)
 林真理子はなぜ林真理子か
 
 私はお世辞が大好きなくせに、ひどく気の弱いところがある。あんまりほめてもらったりすると、
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そんなもんじゃないすよ」
 と必死で照れたりするのだが、最近は年のせいかなかなか素直にとってもらえず、「年増のぶりっ子」と陰口をたたかれるのがオチである。
 それに私の場合、こうほめてほしいという方向に人がなかなか気づいてくれず、ちょっと悲しい気持ちになることが多いの。
 たとえばですね、
「元気がいい」
 とよくいわれるけれど、いまどき小学生の女の子だってこんな言葉喜びやーしないよ。
 あとこのバリエーションとして、
「バイタリティがある」
「非常に活発な」
 とかいわれるけど、せめて「才色兼備」とぐらいいってよ。
 ひとつ見本を見せましょう。最近いちばん嬉しかったほめ言葉は、パーティーで某有名カメラマンから、
「お、天才少女が来たね」
 といわれたことである。�少女�というのにいたく感激してしまった。
 さて、近頃いつのまにか、(自分の口からいうとすごくイヤらしいんだけれど)自分でも気づかないうちに、私はささやかなサクセス・ストーリーの主人公になっていた。サクセス・ストーリーにはいくつかの神話がつきものだ。こうした中に、
「林真理子はコンプレックスをはねかえしてああなった」
 という声がある。これにはそうとう頭にきてる。殺人罪が適用されなければ、その場でナイフをつき刺したいぐらい。
「あたしってそんなにブスかよー、あたしになんか肉体的欠陥があるかよー」
 とタンカきっちゃうぞ。
 本当のことをいえば、私は他人が思っているよりずっと美人だと思っているし、自分でいっているほど性格も悪くないと思っている。こんなことをいえば、友人の中野ミドリなどはさだめし、
「ホントにその根拠のない自信が、あなたのすごいとこね」
 とため息をつくだろうけれど、キミたちの悪口をいつも私がエヘラエヘラ聞いてると思ったら大間違いだぞ。
 そして私は他人がいうほど、変わっている人間だとか、個性的だとか、非常識だなんて思っていないのである。それどころか、いまどき珍しいぐらい古風な、礼儀正しい女性だとひそかに自負しているほどだ。
 いくら親しくなっても目上の人になれなれしい口をきかない。盆暮れのあいさつはキチンとする。自分の�分�をわきまえ、でしゃばったりしない。ホント。なんていったって、私は草柳大蔵センセイの隠れ愛読者なのだ。あの方のエッセイは、現代の若い女性に対する怒りと絶望からか、突然分裂気味になるけれど、「エチケット読本」として読むと、あんなにわかりやすくておもしろいものはない。
 とにかく、私はぞんざいな口をきいたりすることが、個性的だとか、新しいとか思っている女たちが大嫌いなのだ。なぜって私は普通の服を着て、普通に黙っていても、みんなの中で絶対にいちばん目立つものをもっていると信じているもんね。
 もうおわかりでしょう、私はものすごいナルシストなのである!
 これはあまりにも大胆な意見だから、めったに人にいったことはないけれど、実はこのすごい自意識によって、いまの私はあるといっても過言ではない。ひとは私のことを目立ちたがり屋といってののしるが、この世には生まれ落ちた時から人の注目を浴びるように運命づけられた人間がいるのを、あなたたちは知らないのだろうか。
 小学校の時から、とにかく私は目立っていた。成績がいいわけでも、かけっこがいちばんというわけでもなかったが、非常に特異なキャラクターをもった少女といわれていたようだ。みんながあまりにも「変わっている、変わっている(田舎の子どもはボキャブラリーが少ないのです)」というものだから、自分でもそうだろうか、といつしか少し色気も出てきたりしますねぇ。するともっとみなの期待に応えたくなるのは人情というものである。高校生の頃には、地方放送局でラジオのD・Jをやったりして、私はすっかりマイナーな有名人になったりもしたのである。
 だからそれからの私に訪れた暗い日々を、�ハングリー精神を養った時期�というのは間違っています。
 大学卒業直後、就職とお金が全くなかった日々。コピーライターになりたての頃、「バカ、ドジ」とののしられた日々。そこにあったのは怒りとか、根性とかではなくて、驚きであった。不思議さであった。
「あたしはあれだけ長い間、あんなにたくさんの人から、どこか見どころがある少女だといわれてきたのになんかおかしい。なんか間違っている」
 会社でトイレ掃除をしている時にふとこんなことを思い、ゾーキンを持ったままボーゼンとしてしまったことも何回かある。
 普通ならここですごい発奮して、広告の勉強をし直すとか、左翼に走ったりするのだろうが、私は例のごとく、
「不思議だ、不思議だ」
 といいながら、アパートに帰って寝てばかりいる、病的なまでに怠惰な女であった。
 いま思えばあれだけ罵詈雑言《ばりぞうごん》を浴びせた会社の先輩たちに、最近のテレビドラマの主人公よろしく、いっちょレジスタンスでも起こせば、「お、気概のあるやつ」と、それなりに認めてもくれたかもしれない。ところが、この不思議少女は物ごとを全く深く考えないタチで、どんなにいじめられても次の日はちゃあんと朝一番で出社し、灰皿なんか黙々と洗っていたのでした(自分のことだからなんとでも書ける)。
 しかしこのシンデレラが、いつか灰皿を捨てる日が来た。彼女はものすごい動物的な嗅覚《きゆうかく》で、自分のことを認めてくれる世界と人々を、この広い東京でやっと見つけ出し、ずんずんと近づいていったのだ。
 それは野心というには、あまりにも知恵の足らないやり方だった。お饅頭《まんじゆう》の包みをぶら下げて、私はコンニチワとある権力者のところへ遊びに行ったのだ。その人がいいだしっぺになってくれて、いつのまにか私のまわりにはあの小学校の時のムードが、また漂いはじめたのだ。
「コピーの才能がある」
「どっかきらきらしたものがある」
 五年ぶりぐらいに聞くほめ言葉である。うれしくて涙が出た。
 ここで謙虚に、この小さな成功を喜び、そのこころをもちつづければ、私にも「人格」とかが芽ばえてくるのであろうが、私は徐々に、ものすごくオゴリタカブっていくのである。
 いままで私をささえてきたのは、一地方都市の、名もない人々の声であったが、最近はもっとメジャーの人々から賞賛を寄せられているという自信が、私をさらに上の方向へと目を向けさせるのである。
 しかし、いいことばかりはいわれない。ある人々からはあきられていく。
「もう林真理子なんて駄目だよ」
 という声がそこらへんから聞こえはじめるのだ。権威筋からの反応に極端に弱いのは、私の一大特徴であって、聞くやいなや、自信がみるみるまに青ざめていくのである。ここまではいきつけないところまでおちこんでいく。
「もうこんなことやめて田舎に帰ろう」と真剣に思うのもこんな時だ。
「オゴルモノハ久シカラズ」
 とかいった言葉をやたら思い出す。
 けれども私のスゴさは、この後必死に処方箋《しよほうせん》を求めるように、ほめ言葉をいってくれる人のところへ駆けつけるところにある。
「いやー、この頃いい仕事してるじゃない」
「やっぱり君のような女性はめったにいないよ」
 その瞬間、また私の中に、ふんぞりかえる椅子《いす》ができあがるという仕掛けだ。
「百人ノテキアラバ、百人ノミカタアリ」
「自信ハ美徳ダ」
「少年ヨ、大志ヲイダケ」
 さっきの倍ぐらいの格言が次から次へととび出す。
 おちこむのも、おごるのも、とにかく極端なのである。
 私の歴史は、ゴロゴロとこの坂をころげ落ちたり、はいずりあがったりしてきた繰り返しだった。
 そうしているうちに気づいたのだが、この坂の距離は長くなってきており、ころげまわる私自身も大きくなってきているのだ。
 目ざすものはさらに大きなものとなり、そしてひとつずつ、私はそれを手に入れるようになった。これが私、「林真理子のエネルギーの原則」つうものだろうか。
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