私の家の居間の片隅には、ダンベルとか、ダイエットベルトといった、私の過去の戦いの残骸《ざんがい》が置かれている。これについて、皆さん見て見ないふりをしてくれているのであるが、あのブルーのお皿だけは質問が飛ぶ。
「あれ、買おうと思ってるんですが、本当に効きますかねえ……」
何度尋ねられたことであろうか。このブルーの皿というのは、詳しい名称は省くが、腹筋の時に腰にあてるやつである。
「これだと腰も痛めず、最高ですね。ラクラク腹筋が出来ます」
と外国人が宣伝している、通販で買う健康商品だ。けれどもこのお皿はまことに安定が悪く、腰がふらふらしてしまう。
そんなわけで私は腹筋運動をただちにやめ、そのお皿はうちの居間の片隅にガラクタのひとつとして置かれることになった。
「あんたはね、一応努力はするんだけど、いつも三合めで終ってしまうんだよね」
とテツオが言う。
「一生に一度ぐらい頂上までいってみろ」
正しい指摘である。私は日頃の生活態度、そして精神の持ちようを大いに反省した。しかし最後に、責任を他人になすりつけるのは私の常である。
「私って友だちがいけないんじゃないだろうか」
類は友を呼ぶ、と言うが、私は美容に関してうんと努力したり克己心の強い女性が苦手である。二人でダイエットを誓い合っても、
「ま、いいか」
というひと言で、一緒に焼き肉を食べに行ったりする友人ばかりだ。みんな結構仕事では根性がある女ばかりなのであるが、元が元(失礼)なので、美しさということに関しては実に甘い。自分にも甘いが、他人にもすごく甘い。いや、甘いというよりも他人が成功するのは許せない。絶対に蹴落《けお》としてやろうと考えるようだ。
「デザートやめとくわ」
「ダメよ、絶対にここのケーキは食べなきゃ」
「ダイエットしてるんだもん」
「明日からすれば。ねえそうしなさいよ。今日はおいしいものいっぱい食ベて、明日からはうんと頑張るのよ」
こういう友人と一日おきに会っていれば、どうして私に「明日」が訪れようか。
そんなある日、私はたまたま仕事で山咲千里さんにお会いした。私はかねてより、彼女にものすごく興味を持っていた。彼女こそ女の中の女、女のプロフェッショナルといってもよい。美しさということに対し、道を極めようとしているのである。本人は否定していたが、貢ぐ男の人がいっぱいいても当然だと思う。こういう女性に対し男性はオスとしての見栄《みえ》と頑張りがフル回転するのではないか。
果たしてお会いすると、その美しいこと。女優さんにも二通りあって、「サギ師!」とつぶやきたいほど画面に出ている方がずっと綺麗《きれい》な人がいる。このあいだすれ違った女優の○○○○(ピッー!)なんか、顔中吹き出物だらけでガリガリに痩《や》せてんの。そこへいくと千里さんは信じられないほど綺麗な、陶器のような肌をしている。切れ長の目に巧みなアイライン、口紅の色も素敵《すてき》。神さまがうんと注意深くつくり上げたものを、本人がさらに努力して磨きをかけてるんだからすごい。
「あの、ウエストを細くしようとして、肋骨《ろつこつ》を一本抜いたって本当ですか」
私はかねてからどうしても聞きたかったことを質問した。
「本当にそういう噂、どこから出るんでしょうか」
眉《まゆ》ひとつ動かさずお答えになったが、その顔がまた綺麗なの。端整なのだ。
「ハヤシさん、今度一緒に飲みましょう」
と電話番号を交換して別れたのであるが、その夜さっそくお電話をいただいた。
「今日はとっても楽しかった! ハヤシさんこれから仲よくしましょうね」
私が狂喜乱舞したのは言うまでもない。喜びついでに、仲よしの友人に電話し、こんなことを口走った。
「私の今までの人生の、いちばん大きな間違いはね、あんたみたいなモテない女と長いことツルんでたことだわッ、私は今日から山咲千里ちゃんと仲よくする。そしてゴージャスで美しい女の生き方を学ぶのよ。もう明日からの私は変わるのよッ」
「あの、私も仲間に入れて……」
「ダメッ」
もう普通の精神状態でない私はこうわめく、
「私はあんたのそういう姑息《こそく》なところが嫌いになったのよ。もう私はあんたとは違う世界の人なのよ」
が、あれから半月たち、私は相変わらず彼女と仲よくツルんでいる。千里さんには会うことがない。なぜならあのような方とおつき合いいただいても、私が下女になることは目に見えている。三合めの女には、分相応の友人というものがあるのだ、とあのブルーの皿を見るたびにそう思う(注・後から人に聞いた話であるが、山咲さんは肋骨問題に大層お怒りになったということだ。やはり美人と仲よくするのはむずかしい)。