私の若い友人のミカちゃんが、このあいだ十センチのピンヒールを履いていた。
流行だ、流行だといっても、ピンヒールを履いている人を見るのは初めてだった。
おまけにヴァレンティノのそれは、キリのような細さなのである。私などが履けば、体の重みでたちまちポキッと折れそうだ。ミカちゃんが言うには、奥の方まで甲を入れられるデザインなので、慣れると何でもないんだと。
テツオは、あのピンヒールを見ると、ぞくぞくっとするそうだ。
「SMクラブの女みたい」
と言う。
そう、今回は何の話かというと、このSMの話である。もちろんムチをばしっ、ばしっということではない。精神的SMのことですね。
私は典型的なM女である。別になりたくってなったわけじゃない。男の人にモテなかったという長い間のトラウマが、私をこうさせたのである。
私は基本的に男の人に尽くすのが好き。ちょっと冷たくされても、これが私のあるべきポジションかナと、安心するところもある。
男の人におごられるのに慣れていなくて、すぐにお財布を開く。
つい最近、ある男の人に言われた。
「キミみたいな金の使い方をしていると、まず恋愛感情は生まれないよ」
彼が言うには、男はどんな時でも主導権を握りたいものなのだそうだ。それなのに私はおいしい店を選び予約をする。相手に喜んでもらおうと思い、いいワインを選ぶ。そうすると当然のことながら勘定書きが高くつく。私のデイトの相手は、たいてい普通のサラリーマンなので、ちょっと悪いかナアーと思う。そしてトイレに立つふりをして、すみやかに密《ひそ》やかにお会計を済ませておく。
私は二十代の頃からフリーランスになり、小金を持っていた女だったので、こういうことには慣れているのだ。が、喜ぶ男ばかりではない。中にはむっとする人も出てくるようなのである。
「キミね、どんなことをしても男に店を選ばせなさい。そして男に勘定書きを持たせなさい」
彼はそして最後に、しみじみとした声でこうのたまったものだ。
「ハヤシさん見てると、本当に男で苦労してきたんだなあと思うよ」
これは私にとって屈辱の一瞬でした。ヒトヅマとなり、夫がいて、世間から多少ちやほやしてもらえる立場になっても、私の過去は隠せないのね。
恋人に恥をかかせないようにと、テーブルの下でお金を握らせた若きあの日のことは、すぐに見透かされてしまうものなのね。
こうして女は次第に卑屈なM女になり、その性質は一生消えないものになるのである。
私はずっと駆け引きということが出来なかった。押す、ということはわかっていても、引くというタイミングが全くつかめない。
こんなことを言っちゃナンであるが、最初は向こうから強引に来た恋愛だって幾つもある。それなのに、いつのまにか力関係が逆転してしまうというのがいつものパターンである。M女であることがバレるのだ。
が、このあいだ柴門ふみさんとの対談で、かの葉月里緒菜さんはこうおっしゃってます。
「恋に駆け引きなんていらない。彼の声を聞きたいから電話をする、顔を見たいから触れたいから会いに行くんです」
これだ! と私は叫んだ。これこそ恋の本来あるべき姿ではないか、私は間違っていた。M女であると言いながら、つまらぬプライドを捨てきれなかった私がいけない。
「年増でも、あのハヅキに教えられ」
つまらぬ格言をつくっている場合ではない。
私はこの感動をさっそくテツオに伝えた。
テツオいわく。
「あのなあ……、自分とハヅキとを一緒に考えるなよな。あんたとあの人じゃ、立場っていうもんがまるっきり違うでしょう」
そりゃあ、そうだ。美しく輝いている女優、葉月さんはいま日本一のS女かもしれない(これはもちろん誉め言葉です)。
彼女が望めばどんな男の人だって手に入るであろう。彼女が電話をしてくれれば、どんな男だって嬉しいはずだ。
しかし、私の女の持ち時間はもうわずかしかない。なんとかしてS女に近づくことは出来ないものであろうか。
それには周囲に、それらしい男を揃えておくことも重要であろう。テツオのように、
「あんたさあ、身のほどを考えろ」
とか、
「あんたさあ、そういう色の服着てきていいと思ってんの」
などという男は論外である。
多少魅力がなくても、M男をいっぱい置いとく。私のことを多少|憧《あこが》れの目で見てくれている男ですね。大昔の言葉で言えば、メッシー君とかであろう。そして服装も変える。ぺったんこ靴にタイツは、S女っぽくない、ここはやっぱり十センチのピンヒールでありましょう。
私は果敢に挑戦しようではないか。S女になってピンヒールを履く。そして財布を絶対に開かない女になる……。が、私の足サイズ二十四・五センチの十センチピンなんてこの世にあるのか。まずサイズからSにしなきゃならない。