さてプライベートな、メイクアップレッスンを受けた私は、使った化粧品の名前と番号を全部メモしていく。
マックやロラックだと、うちの近くのデパートでも簡単に手に入るのであるが、問題はルミコである。ルミコといったって小柳ルミ子のことじゃない(誰も思ってないか)。ニューヨークで大人気の日本人メイクアップアーティスト、ルミコさんという人がつくった化粧品は発色がよく、今おしゃれなコを中心に大層|流行《はや》っているのだ。
私の知っている限り、このルミコが売られているのは池袋西武デパートである。私の住んでいる原宿からはとても遠い。
まあ、それは行けば何とかなるとしても、このコーゲン堂というのはいったい何なんだろうか。超微粒子の白粉《おしろい》のパッケージの裏に名前が書いてあったが、聞いたことがない。
「ああ、これは麻布十番にあるお店なんですよ」
と私にメイクをしてくれたA氏。
「僕も行ったことがないんだけど、探せばどっかにあるんじゃないのかなあ」
麻布十番商店街の中の化粧品問屋なんて、いかにも業界っぽくていいではないか。私はきっとつきとめようと、住所を書きとめておいた。
さてA氏にメイクしてもらった顔で、私はパーティーに出かけた。友人でもおしゃれでセンスある人は、
「わあー、今日はどうしたのォ、すっごくキレイ。ぐっとアカぬけたわよねえ」
と誉めてくれる。が、オバさんコンサバファッションしか知らない友人は、
「何よ、それ。芸能人の真似してるみたい」
などと言う。こんな感想しか持たず、スーツ着て宝石つけてるから、すぐにオバさん化の波はやってくるのだと私は心の中で思った。
さて家に帰って化粧を落とす前に、やっておかなければいけないことが幾つかある。それはまず夫に顔を見せること。
「ねえ、ねえ、私ってキレイ?」
と昔の口裂け女のようなことをつぶやきながら、顔を近づけていく。
「あー、キレイ、キレイ」
テレビの画面を見たまま、全くこちらの方に顔を向けずに夫は言った。ふだんならここでカッとするところであるが、頼みごとがあるのであまり怒らないようにする。
「ねえ、悪いけどポラを何枚か撮ってくれない」
「何するんだよォ」
「眉の形と、リップのひき方を記録しておくんだから」
前髪を両手で上げて、眉の形がよく見えるようにポラロイドを撮ってもらう。唇の形は写真ではよくわからないので、自分で絵を描いておく。鏡を見ながら一生懸命なぞった私の唇は厚くて大きい。昔はものすごいコンプレックスだったのであるが、時代の流れというものはありがたい。今のメイクは、この唇をさらに大きくはみ出すようにして描くのね。
そして私は次の日、さっそく池袋に向かった。西武一階ルミコの売場に行く。手には指名手配のような絵を持っている。これは私が化粧品をメモするために、顔のデッサンを描いたものだ。これを見て店員さんが笑っていた。
ルミコでアイシャドウを三色、ファンデーションを買う。この時わかったのであるが、ルミコブランドは、つい二ヶ月前渋谷西武にもオープンしたそうである。なんだ、なんだ、うちのすぐ近くで用が足りたじゃないの。その後、いろんな売場に行き、ランコムのマスカラ、ロラックのカバーファンデーション、プリスクリプティブのリップなどを揃えていく。
が、ニナ・リッチがどうしても手に入らない。私はいかにもニナ・リッチの化粧品が掲載されていそうな「ミス家庭画報」を立ち読みし、巻末の協力店のリストの中からニナ・リッチの会社名を見つける。そして電話をしたところ、売っているのは銀座か日本橋の三越ということであった。
が、もうそこまで行く元気がない。
私はひとまず家に帰ることにする。
そしてさらに次の日、私は期待と緊張のあまり、いつもよりずっと早く起きてしまった。夫を送り出した後、昨日買ってきた化粧品のパッケージを全部開け、点検する。この幸福感、このわくわくするような気持ち……。全部で二万円足らず、エステを考えれば安いじゃないか。
あの指名手配書をバスルームの壁に貼りメイクをしていく。ニナ・リッチのコントロールカラーがないので、他のもので間に合わせたが、ルミコのファンデはやっぱりいい。するっと肌になじんで、しかも薄くつく。眉を聖子風にぐっと上げ、ルミコのアイシャドウを重ね、ハイライトをつける。アイラインはやめ、マスカラだけで仕上げると、おとといのカッコいい私が出来上がるはずであった……。が、何か違うぞ。私は手配書を見、ポラを確かめ、唇のスケッチを眺めた。が、まるで違う。やはり一流のメイクアップアーティストがやったことを、一日でマスターしようというのは無理であろうか。
が、私はやる。今度の週末はコーゲン堂にも行く。ニナ・リッチも手に入れるぞ。
ところで、あなたも私と同じことを考えてるでしょ。この根性と執念をどうしてダイエットに生かせないのか。問題はそこなのよッ!