私は今、最低の日々をおくっている。
なぜなら、私の人生の中でも最長の「お食事会連続二十八日」という記録をつくったのだ。
毎晩、フレンチ、イタリアン、懐石、フグ、中華と食べ、三日間の京都旅行ではそれこそ朝からご馳走《ちそう》を食べていた。
もうデブになったのが自分でもはっきりとわかる。前に体が倒せないぐらいお腹に肉がついてきた。
もう悲しいなんていうもんじゃない。このところちょっとダイエットがうまくいっていたというのに、あっという間にたっぷりのお肉がついてしまったのだ。
「私って最低の女……」
ヨヨと泣き伏したいような気分。もう洋服を買うどころではない。それどころか最近のものだって入らないのである。しかも私は昨年の秋、すんごい大物を買っていた。
パリのエルメス本店でオーダーした革のジャケットである。ジャーン!
当時の流行に合わせて、ミリタリー調にしてあるが、すっごくカッコいい。実のことを言うと既製品を買おうと試着したところ、胸のところのボタンがはちきれそうになったのである。
「アンタ、案外胸があるんやな……」
一緒に行ってくれた男友だちが、大阪弁のいやらしい口調で言い、私はいささか得意になった。
「そうなのよ、ウエストはぴったりなんだけどさ、胸がいつもきつくてさあ……」
とかなりのホラを吹いた手前、オーダーしなくてはならなくなったのである。
二ヶ月たってパリから届けられたこのジャケットに、アルマーニのノータックパンツを合わせた私を、一目お見せしたかった。あの時が私の華だったかもしれない。今よりずっとマシな体型を維持出来ていたのである。
そう、あれは昨年の秋、女友だちと出かけたプライベートなパリ。おまけに久々のベストセラーが出て、電話で尋ねるたびに増刷がかかり、私はその印税分を買い物につぎ込むという楽しいことをしてのけた。
バーキンなんか二個も買ってしまいました。思えばエルメスのバッグと私とのつき合いは、もう十年以上前からになる。やはりパリの本店でケリーバッグを買ったのが最初だ。だが、すぐに後悔することになる。
まだ若く、おしゃれのレッスンが出来ていない私に、エルメスのケリーはまるっきり似合わなかったのだ。おまけにあのバッグは不便極まりなく、電車の切符を買ったり、タクシー代を払ったりする時にいちいちベルトをはずして開けなくてはならない。私はすぐにわかった。
「そうか、こういうものは運転手つきの車に乗る女性が使うものなのか……。電車に乗ったりする女が持つもんじゃないんだ」
そんなわけで長いことほったらかしにしていたのであるが、その間にすっかり年増になった私は、この三、四年再びケリーを持ったり買うようになった。
高級ブランドがあまり好きではない「アンアン」であるが、エルメスのバッグだけは別のようだ。「いつか持ちたい憧《あこが》れのバッグ」という特集で、四十五万円のケリーバッグが出てきたのにはびっくりした。
が、私は言いたい。四十五万円のハンドバッグを持つ二十代の女の子って、いったいどんなコなんだ。親がよっぽど金持ちか、そうでなければおじさんに買ってもらったとしか考えられないではないか。
このあいだ雑誌を見ていたら、普通の若いOLが、ローンでどうしても欲しかったケリーを買ったと出ていたけど、ちょっと異和感を感じる。四十五万円出したら、プラダのバッグが八個買える。その方がずっと素敵じゃないか。
それに私から言わせると、エルメスのバッグは決して「無理して買って」「大切に使うもの」じゃない。むしろ乱暴に無造作に使うものじゃないかと思っている。
何年か前、スペインで黒いケリーを買った。日本で化粧品を買っている最中、それをウインドウの上に置いたところ、
「すごく年季が入ってますね」
と若い店員さんに感心された。が、実は一年も使っていない時であった。毎日のようにガンガン使い、そこいらの床に置いたところ、すっかりくたびれ果てていたのであるが、私はそうしてこそ初めてケリーの野性味が生きてくると考えている。
よく「パーティー・ファッション」拝見ページで、ドレッシーなドレスにケリーや馬鹿デカいバーキンを持っている若い女のコたちがいるが、あれはどうかなあ……。私はうんとフォーマルな時には、チューリッヒで買ったフォーマルな布のバッグを持っていく。七千円だったが値段は関係ない。おっかなびっくり大きなエルメスバッグを持つよりもずっといいぞ。
この頃エルメスのバッグを持つコツがやっとわかった。それは、
「エルメスだからといって、バッグごときに絶対にえらそうな顔をさせない」
ということなのである。
が、コツはわかったが、最近私はバーキンの重さが肘《ひじ》にこたえるようになった。よってプラダの小さいものを愛用している。年増になってちょっと似合うようになり、何個も買えるような小金も出来たが、その時はバーキンを持つ体力を失くしている。世の中ってうまくいかないものね。