ロマンティックな夜であった。
ロマンティックな散歩道であった。
こういう時、一緒に歩いているのが女友だちだなんて、何て悲しいんだろうと思った。
それでつい自慢話をしてしまう。
「この道さ、昔よく彼と歩いたもんだわ。コートの彼にぴったり寄り添ってさあ、もう離れたくなくって一晩中でもずうっと歩いてたの……」
ふうーんと彼女は黙って聞いているようであったが、意地の悪い女であるからこういう一矢をはなつ。
「そんな好きな男と、どうして結婚しなかったの」
正直なのが唯一の取り柄の私は、つい本当のことを口にする。
「私がフラれたの……」
別れの電話のことを、まるで昨日のように憶《おぼ》えている。当時アパートの五階に住んでいた私は、半分本気、半分お芝居でこう叫んだものだ。
──たった今、窓から飛び降りて死んでやるからねっ!──
すると彼は静かに言った。
──君のそういうところが、もうついていけなくなったんだ──
「えー、まー、ヒサンー、へえー、世の中にそこまで言われる女っているんだ」
彼女は目がキラキラしてきた。本当に嬉《うれ》しそう。私は昔の話なんかするんじゃなかったと後悔した。
「わかったわー、あなたが他人に対してやさしいわけが。ハヤシさんって案外みんなに気を使って、すごくやさしいじゃない。それって男の人にいっぱいフラれたからなのね」
そこへいくとさーと、彼女は哀し気に眉《まゆ》を寄せたが口が笑っている。
「私ってダメなのよねー、子どもの時から男の人にちやほやされてたでしょ。大人になってからはスチュワーデスしてたから、これもまたモテまくってたわよね。だからさー、私って人に対してやさしくないのよ。あなたみたいになれないのよね」
私がむっとしたのは言うまでもない。
前にも書いたと思うが、私は典型的なM女である。男の人に尽くし、甘やかしていい気にさせてしまう。その結果、手ひどいめに遭うことが多いわけですね。
が、こんな風に言ったり書いたりしていても、失恋の記憶というのはとてもつらい。どんな大昔のことだって、思い出すたびに胸がキュッと痛くなってしまう。
男の人なんかもう信じられない、などと後ろ向きの気分にはならなかった。けれども、私は嫌われたんだ、という劣等感からずうっと逃れられなかったような気がする。
ところがつい最近のこと、私はある人とひょんなことから親しくなった。先日ゆっくりとお酒を飲む機会があり、遅くまで盛り上がった。
その最中、不意に彼女はこう言ったのだ。
「私、ハヤシさんの昔の恋人、よく知ってますよ」
「えっ、誰のこと」
まあ私も年くって結婚したため、そういう男の人は何人か存在している。相手が私なら自慢にもならぬはずだが、どういうわけか自称「ハヤシマリコの男」というのも業界にはいるらしい。
「あの人から五時間もハヤシさんのことを聞かされました。どんなに好きだったかと切々と言ってましたよ。あの頃はお互いに若過ぎて結婚出来なかったけれども、彼女とのことは僕の一生の思い出だって……」
私はすんでのところで涙をこぼしそうになった。ずうっとずうっと長いこと、私は彼にフラれたと思っていたのであるが、向こうは向こうで違うというのである。
ううっ、嬉しい……。積年のくもりが一気に晴れたような気がする私であった。
そういえば私の尊敬する先輩作家がこんな風なことをおっしゃった。
私たちが老いた時、あの年はどんなだったろうかと考える時がある。そのチャートとなるのは、決して仕事ではない。私たちはその年を、その季節を、どんな人とめぐり合い、どんな人と愛し合ったかということで記憶しているのだと。
フラれたといじいじと憶えているのは、自分で自分の季節を汚すことなんだ。フラれたなんてもう言わない。こういう場合「失恋」という便利な日本語がある。愛し合ったけれどもタイミングがはずれてしまっただけなのだと、美しいストーリーをつくればそれでいいんだ。
そう、記憶なんて自分でいいようにつくり変えりゃいいんだ。誰かに�嘘つき�と咎《とが》められるわけじゃない。
「私は生まれつきモテてたんだ」
とにかくそう思う。そう信じる。
卑下した過去から、明るい未来が生まれるはずがないんだもの。