二年前のこと、私はチューリッヒで、ダナのイブニングドレスを買った。ちょうど冬のはじまりの頃で、
「クリスマスパーティーに行くかもしれないし……」
などといいわけして買ったのであるが、考えてみるとイブニングドレスを着ていくパーティーなんて、一度も行ったことないじゃないか。が、自分で言うのもナンであるが、その黒いイブニングドレスはわりと私に似合った。襟ぐりの大きいところも悪くない。化粧品会社からサンプルでいただく美容液をたっぷり塗りたくった結果、私のデコルテはかなり白く艶《つや》やかになっていたからである。
「ハヤシさん、すっごく似合う。こういうの日本人にはなかなか着こなせないわよねぇ……」
「ハヤシさんは背が高いから、すっごくいいですよ」
同行の女性二人も口々にお世辞を言ってくれる。が、そして二人は同時にこう言った。
「だけど、着る前にダンベルをやるべきですよ……」
二の腕をむき出しにするのは、あんまりだということらしい。
そんなこと他人から言われなくたって、鏡というものがある。首から肩がすっかり出ているこのドレスを試着する際、ひょいと横を向き私は愕然《がくぜん》とした。二の腕の幅と、私の横から見た体の幅とがほぼ同じではないか。腋《わき》の下は三重にぶよぶよとなって、ドレスの布からはみ出しているのである。
そんなわけで私はそのドレスを一度も着ていない。いや、一回だけニューヨークのメトロポリタン劇場に行く時だけ着ていったかしらん。その時はもちろん、ストールで二の腕をぐるっと巻いてったけどね。情けない。
私は自己顕示欲といおうか、露出の多いものは堂々と度胸で着こなしてしまおうというタチである。が、悲しいかな、自分のことを客観視することも出来る。他人の迷惑も、ちゃんと考えられる人間だ。よって、お肉を見せるものは出来るだけ避けるというファッションになっている。黒のイブニングは例外中の例外といっていい。
このあいだテツオとごはんを食べている時、
「この頃の女の子は、どうしてあんなに見せたがるんだろうか」
という話になった。このあいだテツオがクラブに行ったら、春まだ浅いというのに、ほとんどの女の子が下着としか思えないようなスリップドレスだったという。どの雑誌を見ても、今年はシースルーだのチューブだのというし。半裸の女の子たちが街に溢《あふ》れ出すのだ。
「ああいうのを見ると、一年中発情しているって感じだよなぁ」
テツオは例によって、自分に都合のいい解釈をする。
「見るからにヤッて欲しいっていう感じの格好してるからさ、こっちもそうしなきゃ悪いかなぁと思うんだけど、オレはもう元気がないしさ」
だからあんたは、いつまでたっても結婚出来ないのよと私は怒鳴った。
「女がいつだって、男の目を意識して服を選んでると思ったら大間違いだからね」
最近、女の体に対する愛着といおうか手のかけ方というのは、日増しにエスカレートしていくようである。エステへ行っても、まだ若くスリムな女の子が、全身コースを選んでいる。ボディケア商品は売れているし、みんなお風呂《ふろ》上がりにはエクササイズし、いろいろ塗り込むわけだ。そんなわけでみんなお肌がすべすべ、見えないところもキレイ。
夏になったら、そういうものを出して見せたくなるのはあたり前であろう。
それによくシェイプアップされた体というのは、あんまりイヤらしくない。ぽっちゃりとした脚にナチュラルストッキングはエッチな感じであるが、ほどよく筋肉がついた脚は素肌のままで全然平気だ。
私がもし若くて、自信のある体をしていたら、ジル・スチュアートのスリップドレスをいっぱい着てみたい。パーティーの時なんかも黒のマイクロミニよね。もうどんな視線が左右から来ても平気なのよ。
「だけどよ、やっぱり目のやり場に困るぜ」
とテツオはつぶやくが、それは彼が三十代というおじさん年齢だからである。
今どき女の子のチューブトップや、スリップドレスにむらむらくるような男の子が、いったい何人いるだろうか。
これは私は断言していいのであるが、近頃の若い男の子というのは性欲がかなり減退している。レイプ事件を起こす若い男の子の方が珍しい。みんな恋人とそれなりの性生活を楽しんでいるのであろうが、女の子の半分むき出しの胸を見て、
「ヤッてあげなきゃ悪いかナ」
などと考えるのは、テツオの年代までだ。
たかだか露出の多い服を見て、生唾《なまつば》ごっくんするほど、今どきの男の子が恵まれてないわけじゃない。絶対に自分を襲ってこないライオンや虎に囲まれ、自由にのびのびと体をのばす女の子……。私にはそんな風に見えるあのテの服は、案外いちばん男の目を気にしないファッションかもしれない。